FERRARI F80
歴史を塗り替える存在


“フェラーリ F80”はF40やF50、エンツォ、ラ・フェラーリといったアイコンモデルの最新版。フェラーリ初の電動ターボを採用し、3.0リッターV6ツインターボ+3モーター構成のパワーユニットは総合1200PSを発生する。今回は、このモデルをフランス人ジャーナリストのLaurent Chevalier氏がドライブした試乗記を教材として取り上げる。
スーパーカーの歴史転換点となるF80
F80試乗記のドラマチックな書き出しは、フランス人ジャーナリストならではの情熱的な文体を感じさせる。従来のスーパーカーをすべて過去のものにする、と断言する一節から始まる:
“From the first few turns of the wheel it’s clear, there will be a before and after. Forget the Paganis, the Koenigseggs, and the Bugattis… pushing driving sensations to a level never before reached. Never.”
ここで用いられている“before and after”は、大きな変化の前後を示す二分法的な言い回しである。時間の経過を二つに切り分けることで、歴史を塗り替える存在となり得るF80を「スーパーカーの転換点」として描いている。
余韻を残す一語文
さらに“never before reached”に続けて、“Never.”と一語だけを独立させている。「かつてないレベルに到達した」だけでは伝わらない迫力を、短い一語文で畳みかけることで読者の心に強烈な余韻を残す。記事の雰囲気を日本語に反映すると、以下のようになる:
「ステアリングをわずかに切った瞬間、スーパーカーの歴史が“これ(F80)以前”と“これ以後”で明確に分けられるのがわかる。パガーニもケーニセグもブガッティも、もはや忘れてしまえ…(F80は)ドライビングの感覚を、これまで誰も到達したことのない次元へ押し上げた。かつてない程に。」
ジャーナリストの文化的背景
ドラマチックな文体は、イギリス人の抑制的な比喩やドイツ人の論理的な記述とは異なり、情熱的な言葉を選び大胆に表現している。F80の冒頭描写は、フランス人ジャーナリストの文化的個性も如実に示している。
歓喜の“けいれん”と生命を帯びるマシン


コーナリング性能に関する描写も、F80の試乗記では非常に独特だ。まず筆者はこう書き出す:“I’m having spasms of euphoria.”
映画「アバター」の比喩
直訳すれば「私は多幸感のけいれんを起こしている」となる。医学的な痙攣ではなく、「喜びと興奮で体が震えるようだ」、という誇張的な比喩表現である。単なる「嬉しい」ではなく、「歓喜が抑えきれず身体を突き動かす」というニュアンスを強烈に伝えている。続けて筆者は次のように述べる:
“There are cars that feel as if they’re one with the machine; here, it’s the opposite: it’s as if the instrument has become a living organism. The first thing I thought of was the movie Avatar.”
直訳すると、「(ドライビングすると、自分の身体と)一体になったように感じるクルマもある。だがF80は逆だ。むしろマシンが生きた有機体になったように感じる。最初に思い浮かんだのは、映画『アバター』だった」となる。一般的には、「ドライバーとクルマの一体感」で走りの良さが表現されるが、ここでは「クルマが生命を帯びた存在になる」としているのがユニークだ。さらに『アバター』の世界観を持ち出すことで、まるで異世界に没入するかのような体験を描き出している。
「人馬一体」を超える一体感
“I’m having spasms of euphoria.” という一文は、“有機体としてのマシン”の描写と呼応している。アバターの登場人物がバーチャル世界の生物と意識の上でつながり、強烈な感覚を共有するシーンを想起させるからだ。筆者はF80のコーナリングを、生き物とつながるような体験として表現している。
日本語としてまとめると、「歓喜に震えるほどの感覚に襲われていた。多くのクルマは一体感を覚えるものだが、F80の場合は逆だった。マシンそのものが生命を持った有機体のように感じられ、頭に浮かんだのは映画『アバター』だった」とするのが自然だろう。
この一連の表現は「マシンを超えた存在」というF80のキャラクターを際立たせ、読者に強烈な印象を残す。
クルマ以上の存在として描かれるF80


今回紹介した2つの表現はいずれも、フェラーリF80を単なるスーパーカー以上の存在として描き出している。こうした表現の意図を理解すれば、試乗記はスペックやデータの紹介にとどまらず、言葉が紡ぎ出す物語として楽しむことができる。特に神話性の強いフェラーリというブランドに関しては、革新性や性能についても、それをどのようにレトリック(心に響かせるための表現技術)を用いて語るかに、その本質が表れているのだ。
