8 Litre
パワフルでラグジュアリーなモデルとして

ル・マン24時間をはじめとするレースで数々の栄冠に輝き、それらを駆る“ベントレーボーイズ”がアイドル的な人気を博したベントレー。それに伴い、王侯貴族やセレブリティにとってもベントレーを所有することはステイタスになっていくのだが、一方でスポーツカーよりも、より大きく、パワフルでラグジュアリーなモデルを求める声も大きくなっていった。
それに応えW.O.ベントレーは、「6 1/2リッター」よりも強力なフラッグシップモデルの開発を指示。6 1/2リッターのエンジンをベースにボアを110mmに拡大し、ロールス・ロイス・ファントムよりも大きい7983ccへと排気量を拡大した直6SOHC4バルブ・エンジンを開発する。
220HPを発生するこのエンジンには、これまでの直6と同様にアルミ合金のピストン、コイルとマグネトーを別々に搭載したツインスパーク点火に加え、軽量化のためにマグネシウム合金エレクトロン製のクランクケースが使用されていたのが特徴であった。
完全無音で時速100マイル

そのパワーに対応するため、スチール製ラダーフレーム・シャシーはクロスメンバーで補強。またブレーキは、デワンドル真空サーボアシスト付きのドラムブレーキが4輪に装着されていた。
標準シャシーのホイールベースは144インチ(3700mm)で、他にロングホイールベース仕様(156インチ)を用意。また3台のみショートホイールベース仕様(138インチ)も製造されている。
発表時にW.O.ベントレー自ら「私は常に、完全無音で時速100マイル(約160km/h)を走破するクルマを製造したいと考えてきた。今、それが実現したと思う」とスピーチしたように、ベントレーでは「8リッター」の最高速度を201km/hと公表。最も重いサルーンボディを選択した場合でも160km/h以上の最高速度を保証して人々を驚かせた。
廉価版の4リッターを開発するも

こうして満を持して発売された8リッターだったが、1929年9月にアメリカの株価が大暴落して世界大恐慌が発生。その余波をもろに受けた8リッターの製造は、1932年までにわずか100台にとどまった。
それを受け、ベントレーは4リッターのリカルド製IOE直6エンジンを8リッターのシャシーに搭載した廉価版の4リッターを1931年に開発。ベイビー・ロールスと呼ばれたロールス・ロイス・20HPの市場を狙ったが、期待に反してその生産台数はわずか50台に終わり、ベントレー・モーターズの財政状態は急速に悪化。1931年夏には巨額の貸付金の返済ができず、ウルフ・バーナートの努力もむなしく、その経営は管財人に預けられることになった。
そこで管財人はネイピア&サンズへの売却交渉を開始。両社は1931年10月までに買収を完了させる予定だったが、突如ブリティッシュ・セントラル・エクイタブル・トラストがそれを上回る価格での買収を提案。裁判所の仲介によって入札が行われた結果、ブリティッシュ・セントラル・エクイタブル・トラストが12万5000ポンドでベントレーを落札したのである。
ロールス・ロイスによる吸収合併

買収後、このブリティッシュ・セントラル・エクイタブル・トラストがロールス・ロイスのフロント企業であることが発覚。こうしてW.O.ベントレーをはじめとする経営陣が知らないうちに、ロールス・ロイスによるベントレーの吸収合併が完了してしまった。
ちなみに現在もベントレー・モーターズに保管されているウェイマン製のファブリックボディをもつ8リッター“GK706”は、カンパニーカーとしてW.O.本人が使用していたもの。ロールス・ロイスによる買収後、売却され数人のオーナーのもとを転々としたが、2006年にベントレーが買い戻してレストア、再び“社有車”として所有している。

