Lamborghini Diablo
「P132」プロトタイプを起点とする物語

1990年にデビューを飾ったディアブロは、市販モデルとして初めて最高速度325km/hの壁を破り、アウトモビリ・ランボルギーニに新たな時代の到来をもたらすことになった。ディアブロの物語は1985年、カウンタックの後継車として、世界最速のスーパースポーツを生み出すことを目指した「P132」からスタートする。
初期のP132 プロトタイプは、鋭いウェッジシェイプの先進的なラインを備えていたが、1987年にクライスラーの傘下に入ったことで、デザインに洗練さが加えられ、調和と未来志向のビジョンが明確になった。最終的なデザインは、カウンタックから受け継いだシザードアと快適なキャビンを備えた、美しい2シーターミッドシップとして完成している。
ディアブロは1990年、モナコ公国を起点に開催されたモンテカルロ・ラリーのスタートに合わせて発表された。その後、改良を加え、バリエーションを増やしながら、2001年まで生産。今や多くのコンクール・デレガンスにも登場し、伝説のV12スーパースポーツとなったディアブロは、ランボルギーニのヒストリックカー部門「ポロストリコ」によって、その真正性がしっかりと守られている。
アウトモビリ・ランボルギーニのアフターセールスディレクターを務めるアレッサンドロ・ファルメスキは、ディアブロについて、次のように説明を加えた。
「ディアブロは、ランボルギーニの歴史を象徴するモデルです。近年ではポロストリコにとって、ディアブロの戦略的な重要性が増しています。実際、ディアブロの認証や修復サービスに対する需要が大幅に増加していますが、その主な要因は、このクルマを文化的・デザインのアイコンと捉えた、若い世代のコレクターの存在があるでしょう」
「ポロストリコでは、アーカイブ情報や文書を通じて、ディアブロが紡いできた物語を共有することで、カスタマーや愛好家との絆を強化しています。そして、その活動によって、ディアブロの重要性と永続的な価値を確かなものとしているのです」
ナルド市販車最高速度記録を樹立

「ディアブロ」は、1869年に闘牛士ホセ・デ・ララ(通称「エル・チコロ」)と、何時間も戦い抜いた伝説の闘牛にちなんで名づけられた。SNSやオンラインでのティザー(事前公開)が存在しなかった時代においても、発表前から予約注文が入るほど、ディアブロは瞬く間に世界中でセンセーショナルを呼び起こしている。
リヤミッドに搭載された5.7リッターV型12気筒自然吸気エンジンは、デビュー時点で最高出力492PS、最大トルク580Nmを発揮。0-100km/hを約4.5秒、ナルド・サーキットにおいて最高速度337km/hに到達し、当時の市販車の最高速度記録を打ち立てた。
量産車としては初めてカーボンファイバーを一部採用したボディ、高度なサスペンションが、かつてない走行ダイナミクスを実現。ランボルギーニとしては初めて、調整可能なシート、電動パワーウインドウ、アルパイン製ステレオシステムなどの革新的な快適装備も導入されている。
11年にわたり進化を続けたディアブロ

11年間にわたる生産期間において、ディアブロは多くのバリエーションを生み出すことになった。1993年には、「ディアブロ VT」がランボルギーニのスーパースポーツとして初めて全輪駆動を採用。これはすべてのV12モデルに受け継がれる特徴となり、より高い安定性と走行安全性を実現した。
同年投入された「ディアブロ SE30」はランボルギーニの創立30周年を記念して登場。エンジンの最高出力は525PSに強化、さらに「ディアブロ SE30 イオタ」では59PSにまで引き上げられた。1995年、「ディアブロ VT ロードスターが登場し、ランボルギーニ製V12オープントップへの道を切り開いている。
1998年、アウディ傘下に入ったタイミングで大幅なフェイスリフトを実施。リトラクタブルライトから固定式ヘッドライトへと変更、ABSも搭載され、V12エンジンは排気量を6.0リッターに拡大した。ハイパフォーマンス仕様の「ディアブロ SV」が登場し、1999年にデビューした「ディアブロ GT」では最高出力が575PSにまで引き上げられ、最高速度は338km/hをマークしている。
2000年から2001年にかけては、アウディ傘下で初のチーフデザイナーとなったルク・ドンカーヴォルケによる最終進化型として、「ディアブロ 6.0 VT」と「ディアブロ 6.0 SE」がデビューを飾っている。
モータースポーツや映像の世界にも進出

1990年代後半、ディアブロはモータースポーツの世界にも進出する。1996年には、ディアブロ SV-Rを用いたワンメイク選手権「スーパースポーツ・トロフィー」が立ち上げられ、32台のワンメイクレーシングカーを製作。これはランボルギーニにとって、初の本格的な公式レースプログラムとなった。
この経験を踏まえて、最高出力655PSを誇る「ディアブロ GT1 ストラダーレ」のプロトタイプ2台と、GTをベースにしたサーキット専用モデル「ディアブロ GTR」が誕生。GTRは401台が製造され、全日本GT選手権(JGTC)や、欧州各地のGTシリーズに参戦を果たしている。
また、ディアブロの影響は公道を越えて、映画、テレビ番組、テレビゲームなど、大きな広がりを見せることになった。1994年の『ジム・キャリーのエースにおまかせ』では、ジム・キャリーが赤いディアブロをドライブ。2001年の『DENGEKI 電撃』、2002年の『007/ダイ・アナザー・デイ』、さらにテレビシリーズの『ヤング・スーパーマン』『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』などでも大きな存在感を放っている。
1990年代からは人気ゲームシリーズ『Need for Speed』の欠かせないアイコンとなり、1996年の有名なCMではトップモデルのシンディ・クロフォードと共演も果たした。
