T Series

当時最高のパワーウェイトレシオ

「ベントレー Tシリーズ」
「ベントレー Tシリーズ」

SタイプのためのV8エンジン開発に目処が立った1958年、クルーではそれまでのラダーフレームに代わる、初のモノコック・シャシーをもつ新型車の開発をスタートした。

チーフ・エンジニアのハリー・グリルズのもと、1962年までにジョン・ブラッチリーとジョン・ポルウェルは、ボディ、フェンダーを一体化した“ポントン・サイド・スタイル”の3ボックスデザインへと大胆にモデルチェンジ。スティールとアルミニウムからなるモノコックボディはS3よりも室内スペース、ラゲッジスペースが拡大しながらも、全長で7インチ(約17.8cm)、全高で5インチ(約12.7cm)、全幅3.5インチで(約8.9cm)コンパクトになった。

エンジンは、シリンダーヘッドに小改良を施し228PSを発生する6230ccV8OHVのL410型を使用したが、10万マイルを超える耐久走行を含む大規模なテストを実施し、熟成を図った結果、当時の量産車の中で最高のパワーウェイトレシオ1.2kg/PSを達成している。

さらにトランスミッションは最新のGM製であるGM400ターボ・ハイドラマティック3速AT(当初は対米輸出のみ)を採用。サスペンションはフロント・ダブルウイッシュボーン、リヤトレーリングアームの4輪独立懸架となり、シトロエンのハイドロニューマティック・システムを利用した車高調整機能も装備された。

一気に近代化したメカニズム

またブレーキもそれまでの4輪ドラムから、ハイドロニューマティックの油圧機構を利用した4輪ディスクブレーキに改められたほか、軽量パワーステアリング、サブフレームに「バイブラショック」と呼ばれるゴム製マウントを装着し、路面の騒音や振動を遮断するなど、一気にメカニズム面での近代化(開発過程では前輪駆動も真剣に検討されたという)が図られたのも大きな特徴と言える。

1965年9月のロンドン・モーターショーで「ロールス・ロイス・シルバーシャドウ」、10月のパリ・モーターショーで「ベントレー Tシリーズ」してそれぞれデビューを果たしたが、その違いはフロントグリルとバッジのみで、今まで以上に両車の差はなくなってしまった。

そして1970年にはV8エンジンの排気量を6747ccへと拡大。また本国仕様のトランスミッションもGM400ターボ・ハイドラマティック3速ATに変更されたことで、ドライバビリティは大きく改善されている。

マイナーチェンジが実施されるも

しかしながらロールス・ロイス本体が航空機用ジェットエンジンの開発失敗により1971年に国有化され、1973年には自動車部門がロールス・ロイス・モーターズとして分離、独立することとなった。その中でベントレーブランドの存在意義は年々希薄となっていき、一時はブランドの廃止も検討されるようになった。その結果、1970年代中盤にはベントレーは全生産台数の5%未満にまで落ち込んでしまう事態となったのである。

そんな中、1977年にマイナーチェンジが実施されシルバーシャドウとともにベントレーもT2へと進化。外装では安全対策のためのラバーバンパー、リファインされたフロントマスク、エアダムの装着などの改良が施されたほか、ラックアンドピニオン式ステアリングの採用、フロントサスペンションの改良、エアコンの改良といった実用本意の変更も行われた。

さらに1979年にはV8ユニットにボッシュCISインジェクションが装備されるなど近代化も施されたが、1980年をもってシルバーシャドウとともに生産を終了することとなる。

結局、シルバーシャドウがシリーズ1、シリーズ2の合計で3万57台を生産する大ヒット作となったのに対し、終始ロールス・ロイスの影に隠れるような形となったベントレーTシリーズは合計で2336台の生産に留まった。

「Sタイプ」

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今や高級スポーツカー・メーカーとしての地位を確固たるものとしたベントレー。その誕生させる原動力となったウォルター・オーウェン・ベントレーの情熱と独創的技術から始まった100年に渡るクルマ作りの歴史を紐解いていこう。今回は傑作スタンダード4ドアボディの「Sタイプ」だ。