T-series 2 Door Saloon /Drophead coupe /Corniche /Continental

フルサイズ4シータークーペとして

1965年に登場した「ベントレー Tシリーズ」と「ロールス・ロイス シルバーシャドウ」は、同社初のモノコックシャシーを筆頭に様々な新機軸を採用し、一気に近代化を果たした画期的なモデルとなった。しかしながら、「Sタイプ」までに用意されていた様々なコーチビルダーによる2ドアクーペ、コンバーチブルモデルに関しては、モノコックシャシーゆえローリングシャシーを提供できないという事態が起こってしまった。

そこでジョン・ブラッチリーらは、4ドアサルーンの開発に目処がついた段階で、2ドアモデルの検討を開始。一時は専用のショートホイールベースシャシーを開発することも案に上がったが、フルサイズの4シータークーペ&コンバーチブルにすることが決まり、ブラッチリーの助手のビル・アレンがデザイン。4ドアと同じフロアパンに、マリナー・パークウォードで専用ボディを架装することが決定された。

こうして4ドアから1年後の1966年初頭に登場したのが、Tシリーズ・2ドアサルーンである。

4ドアサルーンよりも上質な仕立てに

スタンダード4ドアサルーンよりも上質なインテリア。
スタンダード4ドアサルーンよりも上質なインテリア。

一見、4ドアのTシリーズを2ドアに変えただけに見える2ドアサルーンだが、そのボディはプレススチールではなく、マリナー・パークウォードの職人たちが1台ずつアルミを叩いて作る、完全ハンドメイドとなった。あわせてインテリアもスタンダード4ドアサルーンよりも上質な仕立てになっていた。

続く1967年にはオープントップのドロップヘッドクーペも登場。その中身は基本的に2ドアサルーンと同様で、エンジンは228PSを発生する6230ccV8OHVのL410型を搭載。本国仕様のトランスミッションにはハイドラマティック4速AT、北米仕様にはGM400ターボ・ハイドラマティック3速ATを組み合わせている。

その後1971年には V8エンジンの排気量を6747ccへと拡大。本国仕様のトランスミッションもGM400ターボ・ハイドラマティック3速ATに統一されるとともに、ベントレー、ロールス・ロイスともに2ドアボディの名称がコーニッシュに変更されることとなった。

1984年にコンチネンタルに名称変更

そして1977年に4ドアとともにマイナーチェンジを受け、V8エンジンにボッシュKE/Kジェトロニック・インジェクションを装着。外装では安全対策のためのラバーバンパー、リファインされたフロントマスク、エアダムを装着。そのほかラック・アンド・ピニオン式ステアリングの採用、フロントサスペンションの改良、アルミラジエター、オイルクーラーの装着、エアコンの改良などが行われている。

1981年に2ドアサルーンの生産は終了となるが、オープンモデルのコーニッシュの生産は継続。1984年にはベントレー版の名前がコンチネンタルに変更され、同時にダッシュボード、シート、バンパーなどのマイナーチェンジが行われている。

すでに4ドアはミュルザンヌ、シルバースピリットの時代に変わっていたが、2ドアオープンだけ生産が継続され、1989年にはボッシュMKモトロニック、新デザインのホイール、そしてエアバッグの装着に伴うインパネなどの改良を実施。1995年にファイナル・エディションとしてV8エンジンにターボチャージャーを装着したコンチネンタルSが8台製作され、28年におよぶTシリーズ・2ドア/ドロップヘッドクーペは幕を閉じることとなった。

わずか569台のみ生産

この間、ロールス・ロイスの2ドアモデルが合計で6691台を生産し、好評を得たのに対し、ベントレーの2ドアサルーンは63台、ドロップヘッドクーペは506台、合計わずか569台しか作られていない。

これはその生産期間中、終始ベントレーがロールス・ロイスの影に隠れ、ブランドとしての存在価値を失っていた証拠でもあるのだが、皮肉にも現在ではその希少価値から、ベントレー・バージョンの価格が高騰している。

「ベントレー Tシリーズ」

初のモノコック・シャシーや最新技術が採用された「Tシリーズ」の悲運【ベントレー100年車史】

今や高級スポーツカー・メーカーとしての地位を確固たるものとしたベントレー。その誕生させる原動力となったウォルター・オーウェン・ベントレーの情熱と独創的技術から始まった100年に渡るクルマ作りの歴史を紐解いていこう。今回は初のモノコックシャシーでありモダンなメカニズムが投入された「Tシリーズ」を取り上げる。