Continental R /S /T /Azure
発端は2ドアコンセプトカー「プロジェクト90」

1985年に登場した「ターボR」は、ラグジュアリーサルーンとしては驚異的な世界的ヒットを記録し、一時期風前の灯と化していたベントレーのブランドバリューは急激に上昇した。それを受け、1991年のジュネーブ・ショーで発表されたのが、久々のベントレー専売モデルとなった2ドアクーペ「コンチネンタルR」である。
その発端となったのが、ロールス・ロイス/ベントレーのマーケティング・ディレクターのピーター・ワードの指示で、ジョン・へファーナンとケン・グリーリーがデザインし、1985年のジュネーブ・ショーで公開した2ドアコンセプトカー「プロジェクト90」だ。
1986年になるとチーフデザイナーのグレアム・ハルは、へファーナンとグリーリーと共にスタイリングチームを結成しプロジェクト90のデザインをブラッシュアップ。こうして誕生したコンチネンタルRのボディは、ホイールベースこそターボRと同じながら、全長5342mm、全幅2045mmm、全高1463mmとターボRよりも長く、低くなった。
スポーツドライビングを意識した2ドアサルーン

エンジンはターボR由来の6.75リッターV8OHVターボながら、インタークーラーの追加など改良が施された結果、ベースを上回る最高出力330PS、最大トルク610Nmを発生。非公表ながらその最高速度は233km/h、0-60mph加速は7.7秒とされた。
そこに組み合わされるトランスミッションはGM製4速AT「4L-80E」で、それまでのコラム式と違い、ベントレー史上初めてセンターコンソールにシフトレバーが備わっていたのも大きなトピックといえた。またシャシーもハードにリセッティングされたアダプティブライド付きセルフレベリング油圧サスペンション、ツインキャリパー付きベンチレーテッドフロントディスクブレーキを備えるなど、スポーツドライビングを意識した仕立てとなっていた。
発表から数週間で2年分の生産分が完売する大反響を巻き起こしたコンチネンタルRは、1994年にコスワースがシリンダーヘッドを改良したV8ターボを搭載。最高出力が365PS、最大トルクが678Nmへと向上したのに伴い、タイヤ、ホイールも17インチ化されている。
さらに水冷式インタークーラーを備え最高出力390PSを発生するハイパフォーマンス版のコンチネンタルSも37台の限定生産で特定の顧客に対し販売されている。
スーパースポーツサルーン「コンチネンタルT」

続く1996年には水冷式インタークーラーとエンジンマネジメントシステムにザイテック「EMS3」を採用。これにより最高出力は390PS、最大トルクは746Nmへと大幅にアップし、初めて最高速度249km/h、0-60mph加速6秒以下と公式にアナウンスされた。
この1996年には、コンチネンタルRのホイールベースを102mm短縮し、200kgの軽量化を施したボディに404PS/800Nmへとチューンされた6.75リッターV8OHVターボを搭載した「コンチネンタルT」が登場。プッシュボタン式のスターター、より大径のベンチレーテッドディスクブレーキ、ABSを備え、スポーツカーらしいハンドリングを得たコンチネンタルTは、往年のブロアーベントレーの再来と評価され、ベントレーのスポーツイメージの向上に大きく寄与することとなる。
ピニンファリーナの手になるオープンモデルも

一方、1995年にはこれまた久々となるオープンモデルの「アズール」が発表された。ベースとなったのはコンチネンタルRで、オープン化に伴い補強されたボディや、ソフトトップの開発、製造はイタリアのピニンファリーナが担当。1996年モデルのコンチネンタルRと同じ、水冷式インタークーラーとザイテックEMS3を備えた390PSを発生する6.75リッターV8OHVターボなどコンポーネンツのアッセンブリーは、クルー本社工場で行われた。
その後も小改良を加えられながらコンチネンタルR/コンチネンタルSは2003年までに1504台、コンチネンタルTは1999年までに350台を製造。アズールは2002年までに1403台が製造され、ベントレー復活の礎を築くこととなった。

