Chrysler Citadel

Chrysleブランドのプロダクションカーのフルモデルチェンジやマイナーチェンジのデザインを手掛けながら、その翌年もコンセプトカーのデザインをするチャンスが巡って来ました。それが、1999年のNAIASで発表される事になる”Chrysler Citadel”です

この車はChronosの様な象徴的な物ではなくずっと実用的なコンセプトで乗用車の様な乗り易さとSUV的な居住性を両方持ち合わせた実用車としての提案でした。エクステリアもサイドグラスとドア断面がほぼ段差無くつながった様なスッキリとした1本のチューブの様なボディーで、余分な抑揚や奇抜さは極力排除したスタイルとしました。数年後このコンセプトは ”Chrysler Pacifica”として生産車になるのですが、当時は居住性の神様の様なミニバンの需要が圧倒的に高く、少し背の高い乗用車は中々メジャーにはなり得ませんでしたが、近年このSUVと乗用車の中間的なパッケージの車が増えて来たことを嬉しく思います。このCitadelのプロジェクトが始まる少し前、Chrysler DesignにACCDを卒業したばかりのもう一人の日本人デザイナー:土屋アキノさんが加わり、このCitadelのプロジェクトではインテリアデザインを担当してくれました。

日本を遠く離れた地で日本人2人で一台のコンセプトカーを作り上げて行くという大変貴重な経験をさせてもらいました。

初めての2ドア車デザイン : Dodge Viper

そして、ちょうどCitadelのデザイン開発が一段落した頃、隣のパッケージングスタジオで進んでいた3代目Dodge Viperの開発がいよいよスケッチ段階に入り広くアイデアを募集する為にスタジオの垣根を取り払い全てのデザイナーにスケッチコンペがオープンなりました。私にしてみればDodgeブランドを代表するリアルスポーツカー、しかも自分にとっては殆ど手掛けた事の無い2ドア車のプロジェクトとなれば参加しない訳には行きません。スケッチに与えられた時間は10日間程という短い時間でしたが、それだけに集中してテーマ開発にのめり込む事が出来ました。

30人ほどがスケッチコンペに参加し、50作以上のスケッチが壁を埋め尽くしました。参加者全員が投票権を持ち自分の作品以外に投票する形式で、アイデアスケッチの人気投票が行われ、基本的にはその得票数を参考にダイレクターのN.Waling氏によってスケールモデルに進む6案が選ばれ、幸いにも私のスケッチも次の段階に進むことが出来ました。

Dodge Viperをデザインする過程が比較的ストレスフリーなのは、先ず車その物のコンセプトが明確であること、そしてユーザーが欲するイメージも同時に明確であることです。斬新さや目新しさと言った物よりも誰もが感じるハイパフォーマンス感や速く走れそうなスピード感、更に初代Viperが作り上げたアメリカンスポーツの感覚を更に研ぎ澄ます事を念頭にこの3代目のデザインを磨き上げて行きました。 その後、2台のフルサイズモデルに左右別案の計4案のデザインが移行し、デザインの熟成と技術的な検証を重ねてクレイモデルを完成させました。

最初のスケッチから大きな方向変換も無く自らのイメージを追及出来たので、デザイン審査で私のデザインを基本に後2人のデザイナーの提案した、サイドギル(フロントフェンダーのエアアウトレット形状)とフロントグリルオープニングが融合されて生産車のデザインが確定しました。

もちろんインテリアのデザインも一新され、こちらは後にChrysler DesignのトップとなるRalph Gills氏のデザインが採用されました。

空力対策

生産型デザインが確定したと言っても そこは生産車、大小様々な改良は続きます。特にViperにとって重要な事は車両性能や走行安全性の問題。当初2つのモーターで駆動していたワイパーブレードを一般的なシングルモーターとして軽量化を図ったり、一度は車両後方で集合させていたマフラーパイプをより排気性能の優れたサイドエグゾーストに変更したりしました。そして、もう一つスポーツカーならではの問題がありました。当時、走行中に後輪の接地力が不十分で、高速道路のランプウェイ等で車両がスピンアウトする事故が何件か報告される様になっていました。エンジニア達はこれらの事故を重視し走行状態での後輪の浮遊を防止するために空気力学的に後輪のゼロリフトを目標に掲げました。もちろんリヤスポイラーは有効でしょうが、デザインも含めて先ずノーマルボディーでのゼロリフトを目指しました。難しかったのはその症状の検証で、車両下部の空気の流れも影響するので通常の風洞実験施設ではなくローリングロードという車両下の道路面がベルト状になっていて車速に応じてそのベルトが回ると言う走行状態を再現する風洞設備が必要でした。エンジニアを含む我々5人程のスタッフはクレイモデルと共にドイツのシュツットガルトの大学が持つこのローリングロード付きの風洞に赴き一週間テストを繰り返しました。空力の面白い所はフロントコーナー部を少しいじってもリヤリフトに影響が出るという事がわかりました。全体のボディーデザインイメージを壊さない範囲でトランク面のキックアップを調節したりしながらテストを繰り返しましたが、なかなか大きな成果が見つかりません。そんな中、車両下部後端の空気の流れが乱れている事に気づいたエンジニアがリヤバンパー下部に空気整流版(ディフーザー)の設置を提案、フォームコアパネルやクレイでそれを造形してテストしてみるとリヤタイヤ間の空気がよりスムーズに速く流れ、リヤリフトの減少に大きな効果が有ることがわかり最終的には僅かながらマイナスリフトを達成できました。Viperのリヤバンパー下部に数枚のフィンが付いているのはこの為です。

NAIAS コンセプトカー へ

私にとってもう一つ嬉しかった出来事は、ちょうど生産車の最終デザインが承認された頃、翌々年のNAIASのコンセプトカーを決めるタイミングだったので、DodgeブランドのコンセプトカーとしてこのViperをお披露目しようという事が決定した事でした。ただし生産車の発売はまだ数年先だったので、生産型コンバーチブルのボディーを基本にクーペボディーを開発してよりスポーティーさをアピールすることが決まりました。そして、ここでも私を驚かせたのは、生産型のボディー寸法でも十分に誇張したスペックであるのに更に幅広く、低いボディーとインチアップしたホイール&タイヤサイズ (Frt:20” & Rr:21”) にすると言う方針が下されたことでした。 そして、2000年1月のNAIASでDodge Viper SRT-10という真っ赤なコンセプトカーが発表されました。

私にとって初めてのDodgeのコンセプトカー。私のデザイン歴で初めての2ドアスポーツクーペのお披露目でした。

更にこの後、このコンセプトカーViper SRT-10をベースにレース専用車両の開発が始まり、気分はサーキットへと向いて行くのですが、幸運の風はその翌年2001年9月11日の同時多発テロ911という事件をきっかけに突然風向きを変え、強く長い逆風が米国社会全体を襲いました。このテロ事件以降、米国経済は厳しいスランプに陥りChrysler 社内でもレース活動の中止が決まり、そして様々なプロジェクトが中止され、リストラなどの暗い噂が飛び交い、私も自身の身の振り方について考えなければならない事態となりました。その後のお話はまた次回に。