イベント ホンダCB750FOURやカワサキZ1はまだまだ新しい?真の国産クラシックバイクを『ビンテージランin津島』で見た!【写真・22枚目】 エントリー車のIMC K型。 天王川公園の丸池を周回する外周路に並べられたクラシックバイク。この場所は1926~1967年までオートレース場で使用された。マシンが並ぶのは旧スタート位置。 1955年に天王川グランドで開催されたバイクレースを映した一枚。今回の『ビンテージランin津島』に展示された写真パネルより。 かつて二輪や三輪、四輪競技が行われていた800mのオーバルコースは、天王川公園の丸池を周回する遊歩道となっている。 『ビンテージランin津島』が開催される天王川公園の全景。 イベントは朝9時の開会式からスタートした。 地元・津島市出身の水谷勝選手が今回のスペシャルゲストとして招かれた。1982年の全日本ロードレース選手権・500ccクラスのチャンピオンであり、鈴鹿8耐をはじめとした数多くのレースで活躍した水谷選手のキャリアは、少年期にここ天王川から始まった。 ステージ上では水谷選手がレースで使用したスズキRG500ガンマとGSX-R1000のエンジンスタートデモを開催。RG500ガンマは白煙とともにレーシーな2ストサウンドを会場に響かせた。 『二輪文化を伝える会』理事長の松島裕さんによる講演も開催された。レース場跡地が往時のまま残る天王川公園の歴史的重要性や、我が国のオートバイの歴史についてわかりやすく語っていた。 懐かしのチンドン屋の実演ステージ。オートバイファンだけでなく一緒に来た家族連れが楽しめるようなプログラムも充実していた。 昭和の風物詩であった紙芝居の実演も行われ、子供たちを中心に人気を集めていた。 8回目を数える今回の『ビンテージランin津島』には、1969年までに生産された国産車、欧州車、アメリカ車が約80台集まった。 展示エリアは車両の間隔が広く取られ、貴重な車両をじっくりと見学することができた。現代のバイクとは異なる構造のマシンも多く、オーナーに直接車両について質問ができる。 ダイハツの子会社だったツバサ工業が1954年に発表したT80をレーサーに改造したマシン。実際に天王川グランドで行われたレースを戦った車両だ。 1954年型のダートレーサー。フレームは手作りされたようで、エンジンは1954年型ツバサ製、ミッションはBSA製、車種不明のガーターフォークとさまざまなバイクのパーツが流用されている。 水谷勝選手が2005年鈴鹿8耐に参戦時に使用したウォルターウルフカラーのGSX-R1000。水谷選手がスペシャルゲストとして招かれたことから、ステージ上に特別展示された。 同じく水谷勝選手が1982年全日本500チャンピオンとなった際に使用したスズキRG500ガンマ。 今回の『ビンテージランin津島』にエントリーしたオーナーとスタッフ全員による記念撮影。 極東製のオートレース競争車。オーバルコースを周回することで戦われるオートレース車両の中でも、比較的に早い時期に製作されたマシンのようだ。一般的なレーサーとは構造が異なることがわかる。 スポーツカブC110をベースに、ホンダが世界GPを戦うために1962年に49.9ccDOHC4バルブエンジンを持つワークスマシンとして誕生させたのがRC110である。そして、同車をベースにレース初心者にも扱いやすい市販レーサーとして販売したのが写真のCR110カブレーシングだ。天王川のレースでも大いに活躍した。 1965年型ドリームCB77スーパースポーツの警察仕様であるCP77をオーナーの中川明洋さんがレース仕様にレストア&カスタムした。同じレーサーの部品を使用し、CR110のワークシート、ワンオフマフラーを装着した。 1927年型ハーレー・ダビッドソンJD型。1922年に誕生し、VLにその座を譲る1929年まで生産された同社のフラッグシップモデル。心臓部は1200ccのOHV/排気サイドバルブのオホッツバルブエンジンを採用する。 1952年7月の道路交通法改正を受けて36ccだった自転車用補助エンジンのスズキ・パワーフリーの排気量を60ccまで拡大した改良型のダイヤモンドフリーDF60。 スズキ・ダイヤモンドフリーDF60のリヤビュー。同車は第1回富士山登山レースを自転車用補助エンジンとしては最速の58分59秒で部門優勝したほか、札幌~鹿児島間の日本横断テストを成功させるなど、スズキは後発ながら高い性能を発揮した。 スズキ・ダイヤモンドフリーDF60の空冷2ストローク単気筒エンジン。最高出力は2psを発揮する。その高性能ぶりから月産6000台を販売する振りの人気を博した。 1954年型IMC K型。美しいこのオートバイは名古屋の伊藤機関工業がトライアンフ・サンダーバードを参考に製造した。当時のユーザーからは「もっとも美しい国産バイク」と評価され、『モーターサイクリスト』誌の人気投票で1位に輝く。 1954年型IMC K型のリヤビュー。しかし、伊藤機関工業はキャブトン・ブランドで知られる名古屋市内のみずほ自動車製作所にエンジン供給を頼っていたため、競合を恐れた同社に取引を停止されてしまい、わずか1年で生産中止となる。その後はガスデンにエンジン供給元を変更したが、伊勢湾台風の工場被災や販売競争の熾烈化によって経営が悪化。1962年に事業を精算した。 1959年型ポインター・ラッシーのリヤビュー。同車はジュニアの後継として誕生したモペッドで、女性へのアピールすべくおしゃれで愛らしいスタイリングが採用された。 1963年型ホンダ・ベンリィスポーツCB92。現代に続くCBブランドの元祖だ。空冷4ストローク並列2気筒SOHC125ccエンジンを搭載したスーパースポーツモデルで、1959年の浅間火山レースのクラブマンレースにおいて優勝した高性能マシン。 1966年型ホンダCL72。スポーツモデルのCB72をベースに、オフロード走行性能を向上させた国産初のスクランブラーで、心臓部には空冷4ストローク並列2気筒SOHC250ccエンジンを搭載した。 1968年型ヤマハ125A-7。「赤トンボ」の愛称で親しまれたYA-1の血統を受け継ぐYA-6の後継車として誕生。スマートなルックスにセルモーターやホワイトリボンタイヤなどの充実した装備、低中速トルクの太いロータリーバルブ式の2ストロークエンジンを搭載した高級車として人気を博した。 1966年型カワサキ250A1サムライ。1965年の日本グランプリからロードレースへ参戦した同社が、ロードレーサーKACスペシャルと基本設計を共有するスポーツバイクとして発表した。輸出市場を視野に入れ、北米で人気のティアドロップ型タンクやキャンディレッド×ホワイトのカラーリングが外観上の特徴となる。 1935年型BMW R12サイドカー。同社のエンジニア兼デザイナーだったアルフレッド・ベーニングが手掛けたR7コンセプトに基づくアール・デコ調のデザインのバイクとして誕生した。心臓部は745cc水平対向エンジンで、世界で初めて油圧式のテレスコピックフォークを採用した。 1935年型BMW R12サイドカーを側車(車両右)側から撮影。同社の生産は戦時中の1942年まで続いた。生産された3万6000台のうち、少なくない数にサイドカーが装着され、軍用車両として斥候・連絡・物資輸送・兵員輸送などに活躍。ナチス・ドイツによる電撃作戦の原動力のひとつとなった。 1935年型BMW R12サイドカーのリヤビュー。同車のフラットツインの動弁形式はサイドバルブ式である。同時期に登場した高性能モデルのR17ははOHVエンジンを搭載していたが、こちらは2年ほどで生産を終了した。これはおそらく軍用車両としての信頼性が重視された結果であろう。 1963年型メッサーシュミット・べスパGS4。イタリア製のベスパ を敗戦後に連合国から航空機製造を禁止されたドイツのメッサーシュミット社がライセンス生産した車両。 1963年型メッサーシュミット・べスパGS4のリヤビュー。車名のGSとはグラン・スポーツの意味で、この車両は160cc空冷2ストエンジンを搭載しているようだ。イタリア製とは異なり、電装系はHELLA社、メーターはVOD社、シートはDenfeld社製となる。 メッサーシュミット・べスパGS4は2000台ほどしか生産されていない希少車。この車両は1990年代はじめに、宮城県の地ビール工場に技術者として来日したドイツ人のスクーターマニアが持ち込んだ車両とのことだ。 1947年型インディアン・チーフ。ハーレーと並ぶアメリカンバイクブランドの雄が世に送り出したフラッグシップモデル。写真の車両にも採用されているインディアンの特徴であるエスカルゴフェンダーは1940年代に採用された。戦後モデルはリーフスプリング・トレーリングリンクフォークからガーターフォークへと置き換えられた。 1949年型ハーレー・ダビッドソンFL1200。心臓部は1948年にナックルヘッドに代えて信頼性の向上したパンヘッドを、写真の1949年型から油圧式のテレスコピックフォークを採用している。この時点で現在に通ずるクルーザーのカタチが成立した。 1950年型ハーレー・ダビッドソンFL1200ハイドラグライド。パンヘッド&油圧式のテレスコピックフォークにディープフェンダーという現在のハーレーに通じるスタイリングをすでに実現している。鮮やかなオレンジ色はオリジナルペイントかもしれない。 水谷勝選手とスズキRG500ガンマのツーショット。 株式会社チャンピオン76(ハーレー・ダビッドソン名古屋)のブース。かつては天王川グランドでの二輪車レースで活躍したハーレー・ダビッドソンの地元ディーラーが『ビンテージランin津島』を協賛。ニューモデルの展示のほか、グッズの物販が行われた。 懐かしいグッズを物販する出店。販売するアイテムは昭和の時代を忍ばせる珍しいお宝ばかり。掘り出し物を探す人で終日店舗は賑わっていた。 一般来場者の二輪駐車場にも珍しい車種が集まっていた。写真は目黒製作所のジュニアシリーズの人気モデル・メグロS3。 『ビンテージランin津島』の会場で展示されていてもおかしくないミントコンディションの戦前型BSA(S29か?)。展示エリアだけでなく、駐車場もチェックすることもオススメだ。 同じく一般駐車場にパークしていたヤマハXS650。1970年にXS1がマイナーチェンジして登場したモデル。年式的に『ビンテージランin津島』にエントリーはできないが、車両のコンディションは素晴らしく、また今となっては希少なモデル。 この画像の記事を読む