
お話しを聞かせてくれるのはこの方!
元ホンダの名物広報!
高山正之さん
Takayama Masayuki
1974年、本田技研工業入社。狭山工場勤務から本社に異動し、94年に本田技研工業国内二輪営業部の広報に就任。2020年7月に退職するまで、二輪メディアを支えてきたホンダマンだ。スーパーカブの知識で、右に出る者はなし!
モトチャンプの思い出と言えばスクーターレース!
モトチャンプ
今回のコラムでは、高山さんがモトチャンプとかかわったことで、楽しかったことや大変な目にあったことを教えてください!
高山
モトチャンプといえば、なんといってもスクーターレースです。1980年代は、全国でスクーターレースが盛んになっていました。私の所属部署は、バイクの楽しさを自ら体験して広めるという珍しい仕事をしていました。
モトチャンプ
楽しんで給料もらえて、最高!
高山
職場の20歳代の有志3名で、スクーターレースに出ることにしたのです。私はトライアル、他の二人はロードレースとバギーの普及担当でスクーターレースは素人でした。
モトチャンプ
素人でも、ホンダ本社チームとなると……ワークス!?
高山
いえいえ(笑)。原宿本社の社有車イブパックスSを調達して、モトチャンプを見ながら最低限のレース仕様を作り、多摩テックの会場に持ち込みました。
モトチャンプ
楽しかったでしょ?
高山
豪雨でしたから、転ばないように走るのが精いっぱいで楽しむ余裕はありませんでした。順位は忘れましたが、転倒せず完走しました!

飲み会から始まった“世界最高地点”宣言
モトチャンプ
モトチャンプの影響でホンダの社員がスクーターレースに出るなんて、光栄です。他にはどんな楽しい思い出があるのでしょう。
高山
これは、知る人ぞ知ることなのですが、2000年に参加したモトチャンプミーティングで編集部の方々に口約束したことで大変なことに。
モトチャンプ
今だから語れる昔話ですね。
高山
2000年9月27日に都内で行われたモトチャンプさんの飲み会に参加したのです。そこには、スクーターレースのチャンプやカスタマイズの大御所などそうそうたる顔ぶれが集結していました。
モトチャンプ
そんな人たちが集まると、話しのスケールも大きそう……。
高山
たしか日本一になるとか、そんなテッペンを取るような話題で盛り上がっていました。そして、私に話が振られまして……。
モトチャンプ
高山さんだったら、ホンダ初とか業界初ネタに期待しちゃいます!
高山
その場の雰囲気で「まるちステッカーを世界最高地点まで連れていきます」と宣言してしまったのです。
モトチャンプ
え!? まさかエベレストまでもっていくとか?
高山
そのまさかです、翌日から出張で中国のチベットに行くタイミングでしたから、勢いに任せて豪語してしまいまして……。
モトチャンプ
その場にいた人たちは、半信半疑だったでしょうね。
標高5200m、チョモランマで撮影!?
高山
縁あって、バイクでチョモランマ(エベレストの中国名)ベースキャンプまで走る計画でした。標高約5200m。
モトチャンプ
それは“まるちステッカー世界最高地点到達記録”ですね。
高山
数グラムのステッカーをトランクに入れて中国へ。3000mを超えると高山病が出ると言われますが、「私は高山なので大丈夫」と豪語していました。
モトチャンプ
結果は?
高山
5000mを超えたら、ふらふらでした。バイクにしがみつくのが精いっぱい。頭も真っ白で、ステッカーを貼るのを忘れかけました。
モトチャンプ
危ない……。
高山
何とか貼って証拠写真を撮影。ただし業務中でしたので、報告書には載せていません(笑)。
モトチャンプ
ネタばらし、大丈夫ですか?
高山
25年前の話ですから。1枚はバイクに貼り、残りはチベットの方々へ差し上げました。
モトチャンプ
もしかしたら、今もどこかで大事にされているかもしれませんね。
高山
シルクロードを渡ってヨーロッパに届いているかもしれませんよ。
モトチャンプ
まるちステッカーが世界を駆け巡る……いい話ですね!
高山
モトチャンプとまるちステッカーは永遠に不滅です!
モトチャンプ
どこかで聞いたようなフレーズですが、うまく締まりました!

※この記事は月刊モトチャンプ2026年2月号「広報人生、負けるもんか」で連載されたものです。
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