歴史 陸橋、マンション、マツダの販社・・・見よ、半世紀の経過などものともしない、環7中間部の変わらなさ! 1973-2026 東京環状7号線、52年間の変貌を見る 2/3 ~ 板橋区・杉並区編~【MFクルマなんでもラウンジ】No.23 昔のモーターファン探訪 「モーターファン1974(昭和49)年2月号」より【写真・1枚目】 「スモッグが重苦しく包む環7。路面を揺り動かして疾走するトラックの群---苦悩する環7の姿がそこにある(常盤台)」(「道」特集キャプションより。) これが・・・ こうなる! この写真を貼り付けるいま気づいたが、写真右下にある2つのマンホールまで52年間変わっていないことにぶったまげた。 2026年2月12日(木)8:58撮影。 その元画像。サイズを合わせた前の写真の陸橋頂上向こうがふさがっているように見えるが、位置合わせをしそこなったのではなく、その遠方にマンションが建っているためだ。 またまた国土地理院の航空写真を。 板橋区常盤台上空。 1975(昭和50)年1月10日撮影。 現代に近い2024(令和6)年4月10日撮影の同じ場所の航空写真。 道の形、右に見せる学校校舎の形も変わっていない。 色を重ねた1975年航空写真。 2024年色づけ航空写真。 1973年版ページ写真を撮ったと思われる場所。 筆者が撮った場所。 やはりここから撮ったに違いない。 メーンタイトルは「52年経っても変わらない」がごとき書き方をしたが、上空から見ると周囲の建物は大変わりしていますな。 「もとは純白だったガードレール。排気ガスに真っ黒におかされている。」(「道」特集キャプションより。)。 1973年から時期がだいぶずれるが、ここでは1979(昭和54)年11月14日に撮影された杉並区高円寺南の航空写真を。 2019(令和2)年11月1日撮影の同所航空写真。 てっきり2つだと思っていた高架は当時国鉄の中央本線の向こう側にもあったのだ。 その関係はいまも変わらない。 というわけで、これが1973年末のMFページ掲載写真。 キャプションのとおり、ガードレールは排気ガスのすすで真っ黒けっけ。 それがいまは・・・ こうなっている。 当時写真をまねてモノクロにした。 52年の間に排ガス浄化は進んでいるし、ハイブリッドが多いこともあって、さすがに現在のガードレールはクリーンなものだ。 その元画像のカラー版。 読者のみなさまには、カメラ位置や画角違い、3つの高架の位置関係が再現できていないことに目をつぶる優しさをお願いしたい。 2026年1月29日(木)15:48撮影。 1979年の航空写真でカメラ位置を推測。 それにしても当時のカメラマンはどうやって撮ったのだろう? 2026年版はその少し後方からシャッターを押している。 白状・自首・反省・懺悔・切腹。 「環7の深夜は屋台ラーメン店がならび、タクシーやトラックが腹ごしらえに立ち寄っていく。」(「道」特集キャプションより。) 手前側を「マンションA」、その向こう側を「マンションB」とする。 ここからはずらり航空写真を。 まず1979年11月14日撮影の杉並区高円寺南5丁目を上空から。 こちらは2019年11月1日撮影の同じ場所。 色付けした1979年写真。 A、Bのマンションが建つのは、前項ラーメン屋台の場所から数百メートル南下しただけの場所だった。 位置関係がわかってしまうとあっけないものだ。 1973年末の同じページ写真をもういちど。 こちらもモノクロにしてみた。 ラーメン屋台のトラックが置かれたのは、街路樹と街路樹の間だろうか。 ここで立ち寄り客がラーメンをすすっていたわけだ。 その元画像のカラー版。 2026年1月23日(金)1:29撮影。 1973年ページ写真の「深夜」が何時ごろなのかわからないが、筆者が撮ったこの日のこの時間のクルマの量は少なかった。 マンションA:おれたちもお互い長ぇなあ。 マンションB:だなあ。 マンションA:いつまでいっしょにいられるかな。 マンションB:22世紀までこのままなんじゃねえか? という会話が聞こえてきそうな、ずっと変わらない2棟のマンション。 マンションBの1階は、いまはバイク用品店になっている。 もっとも、ページ写真の主役はマンションではなく、屋台トラックだったのだが。 マンションがよく見えるよう、別アングルより。 当時のカメラマンが撮ったと思われる場所。 いろいろな設備や街路樹が遮る都合上、筆者はこの位置から撮った。 「環7のような環境には落葉樹の方が強いといわれるが、タールのこびりついたアオギリはどこか力がない。杉並区和泉町で。」(「道」特集キャプションより。) ここも・・・ ほとんど変わっていなかった、現在の杉並区和泉。 ただし、マツダ販社の建物は変わっているようだ。 元のカラー版。 2026年1月29日(木)13:23撮影。 1973年末とほぼ同時期の1975年1月20撮影の、杉並区和泉4丁目。 2019年11月1日撮影の杉並区和泉。 ホンダ販社:お宅のクルマ、世界初でロータリーエンジンまわしてすごいじゃないですか。 マツダ販社:いやあ。先日のオイルショックでこの先どうなりますやら。 そちらこそ見事ですよ。世界初でマスキー法をクリアしたCVCCシビック、売れているみたいじゃないですか。 ま、このあたり、トヨタや日産より先行したことだし、この先52年はわれわれのメーカーの時代ですな。 ホンダ販社・マツダ販社:ぶわっはっはっは・・・ マンション:あのう、ページ写真の主役、私なんですけど・・・ マツダ販社:・・・・・・。や、やっぱりトヨタはいつの時代も強ぇですな・・・ ホンダ販社:ですな・・・ マンション:あのう、52年前にもいいましたが、ページ写真の主役、私なんですけど・・・ 1973年ページ写真の撮影場所はたぶんここ。 2026年はここから撮った。 「48年3月31日から警視庁は、通行区分と50km/h系統の規制にのり出した。遵守されれば防音・防振の緩和になるというが---。」(「道」特集キャプションより。) 「48年」とは昭和48年=1973年のことだ。 年季の入った歩道橋。52年前のままだろう。 1973年末、この景色だったこの場所が・・・ いまはこうなっている。 そのカラー版。 2026年1月29日(木)12:41撮影。 いまはバスレーンの区分が路面に記されているだけだ(さきのさびさび歩道橋写真参照)。 また登場、1975年1月20日撮影の、板橋区和泉&方南上空。 前項9.のマツダ販社部分も含めてトリミングした。 つまり元は同じ航空写真だ。 同様なトリミングの2019年11月1日撮影航空写真。 こちらもさきのマツダ販社からいくらも離れていない場所だった。 住居など、周囲の細かな建物は変わっても、大きな建築物はお互いに変わっていない、長い時間同じ場所にい続ける同志だ。 1973年のページ写真はここから撮ったに違いない。 筆者も同じ場所から。 大きなヒント、昔のマツダマークの看板! この画像の記事を読む