バイクカスタム オクムラエンジニアリングと「カトーくん」【写真・11枚目】 当時のモトチャンプにカラーで掲載されたオクムラエンジニアリングの広告ページ。この時のヘルメットやツナギは今でも加藤選手の自宅で大切に保存されている。 スカイ(ホンダ)やポッケ(ヤマハ)、フォーゲル(ヤマハ)などのチューニングパーツを訴求する月刊モトチャンプの誌面広告(80年代初頭)。スペシャルボアアップキット(4万2500円)は、全てのポートを手削りで加工されたシリンダーと、加工されたピストン、シリンダーヘッドのキットとなっていた。 ハミング(ホンダ)やパッソーラ(ヤマハ)、モトコンポ(ホンダ)やパッソルII(ヤマハ)のチューニングパーツが掲載された月刊モトチャンプの広告(70年代後半)。フロントをディスクブレーキ化する加工も受け付けており、プライマリーギヤもローギヤやハイギヤが販売されていた。 それまではノーマルを基調としたスカイがオクムラのワークスで、加藤選手は自作のマシンでこのスカイと戦ってきた。 オクムラ入りした初のレースではスカイをベースにホイールベースを短くし、ミニトレのタンクや油圧式フロントフォークを装備したニューマシンがレース当日の朝にシェイクダウンされた。 当時のモトチャンプに掲載されたオクムラエンジニアリングの代表、奥村繁一氏。キャプションでは「スクーター博士の異名で知られる奥村繁一・代表」と紹介されている。私も当時はいろいろとお世話になった関西のレジェンドだ。 加藤選手の自宅には立派な作業場があり、そこに保管されている当時モノのオクムラチャンバー。音量規制が厳しくない当時なのでサイレンサーが小さく、形状からパッソル用かパッソーラ用だ思われる。 80年代のミニバイク全盛期は参加台数も非常に多く、2ストロークエンジンの甲高く遠くまで届く音質は近隣住民とのトラブルの元にもなっていった。必然的に音量規制も導入されることになり、サイレンサーも大型化していった。 スチール製のワンオフフレームにパッソーラのフルチューンエンジンが搭載されたオクムラエンジニアリングのワークスマシン。リヤはKYB製のサスが2本装備され、フロントフォークはテレスコピック。ディスクブレーキも装備され前後アルミホイールとなっている。 モトチャンプが開催していたSHOP対抗ゼロハン4時間耐久レース用に作られたオクムラエンジニアリングのワークスマシン。MBX50のエンジンがアルミフレームに搭載され、前後にディスクブレーキを装備。このようなスタイルのマシンは当時多く存在した。 木場選手に誘われてC.F.POSHからRZ50で出場した最後の4時間耐久で見事優勝。この模様を伝えるモトチャンプ誌面でも、加藤選手は「カトーくん」と表記されている。 「たぶん27V」とメモされたチャンバーの型。この型に合わせて鉄板を切り出し、溶接で繋ぎ合わせることでチャンバーが出来上がる。27VというのはペリカンJOGと呼ばれた初期型のJOG(ヤマハ)で、オクムラエンジニアリングが閉業する際に加藤選手はいくつかの型を譲り受けたという。現在、加藤選手は当時の型で作ったチャンバーを「ADDITIONAL」というアカウント名のヤフーオークションで販売している。 縦型JOGのエンジンとフレームを使用し、フレームはサブフレームで強化。タンクとシートは一体化されており、リヤには剛性の高いアクティブ用ホイール、フロントはアルミホイールにディスクブレーキという装備。チャンバーは菅長を稼ぐトグロタイプで、キャブは京浜のPEφ24mm。 この取材は加藤選手のご自宅で行わせていただいたが、加藤選手は当時のステッカーなども数多く保管しており、イベントのたびに作られていたモトチャンプのステッカーを見せてくれた。 この画像の記事を読む