レースウィークのルーティンと「特別なリクエスト」

フランスのマコンに拠点を置くバイクウェアブランド、IXONは、2010年からMotoGPでライダーにレザースーツを提供し、サポートを行っている。2026年シーズン現在、MotoGPクラスで2名(ブラッド・ビンダー、アレックス・リンス)、テストライダーで3名(中上貴晶、アレイシ・エスパルガロ、ロレンツォ・サバドーリ)、Moto2クラスで4名(セルジオ・ガルシア、バリー・バルトゥス、フィリップ・サラック、セナ・アギウス)のライダーに、IXONはレザースーツを提供している。

今回お話を伺ったのは、レーシング・サービスとレーシング・マネジメントに携わるラウラ・エスピさん。MotoGPだけではなく、スーパーバイク世界選手権(WSBK)やブリティッシュ・スーパーバイクも担当しているというから、シーズン中はかなりの忙しさだろう。

「MotoGPのレースウィークでは、まず、すべてのレザースーツを準備し、エアバッグやスライダーをチェックします」と、ラウラさんはMotoGPの週末におけるルーティンを説明する。

「それから、ライダーにどのスーツを使いたいかを確認します。新しいものを好む場合もあれば、使い慣れたものを好む場合もあるんです。そのようにして準備し、(走行が始まって)クラッシュがあった場合は、ピットに行ってスーツをチェックします」

「技術担当でありパターン・マスターであるベネディクト(・オデ)はライダーの採寸を行い、2〜3戦ごとに現地に来て、スーツのフィッティングが適切かどうかを確認します。これは非常に重要な役割なんです。さらに、彼女はレースウィーク中に発生するあらゆる問題に対応し、スーツの修理なども担当しています。というのも、海外ラウンドのパドックでは、レザースーツ用の(フルサイズの)ミシンを持っているのは私たちだけだからです」

実際に、タイGPでは日曜日になってブラッド・ビンダーから「特別な要望」があった。この取材は日曜日の朝に行ったのだが、まさにその取材中のことである。つまり、数時間後にはレーススタートというタイミングだ。

日曜日のチャン・インターナショナル・サーキットは、前日よりも気温が上昇した。このため、路面やエンジンから上がってくる熱で、ビンダーは腕にひどく熱さを感じていたのだ。タイGPでは珍しいことではなく、例えば2025年開幕戦でも多くのライダーが熱に苦しんだ。ただ、2026年のタイGPは、とりわけ金曜日は曇っていて風が強く、気温がそこまで高くはなかった。というわけで、日曜日に急遽、対応が迫られたのである。

ラウラさんとベネディクトさんは、このような「特別なリクエスト」に迅速に対応しなければならない。レザースーツの役目は、ライダーを保護すると同時にライダーが走るときに快適な状態を保つこと──それが「快適である」と気付かないほどに──だからだ。

「(ビンダーが)腕にひどい熱を感じているため、熱から保護するために追加の素材を入れる必要があります。私たちは『スーパーファブリック』と呼ばれる素材を使用しており、バイクが非常に高温になる状況での熱対策として、腕の後ろ側にこの追加の素材を装着して、熱から保護します」

「昨年も、多くのMotoGPライダーが同じ問題に直面しました。バイクやアスファルトが非常に高温になるためです。その結果、足が赤くなった状態でレースを終えるライダーもいました。しかし私たちは、この追加のスーパーファブリックを用いて、こうした高温のコンディションからライダーを保護しています」

「そのため、私たちはミシンを用意しています。海外ラウンドでは、(フルサイズの)ミシンを持っているのは私たちだけです。だからこそ、どんなことが起きても対応することができるんですよ」

そう話すラウラさんの横では、ベネディクトさんがミシンで作業を行っていた。ビンダーの「特別なリクエスト」に急いで応えるためである。

「例えば、3年前のムジェロだったと思いますが……」と、ラウラさんはエピソードを明かす。

自転車愛好家として知られるアレイシ・エスパルガロが、イタリアGPの木曜日に自転車で走っていて転倒。負傷してしまったのだ。当時、エスパルガロはアプリリアのファクトリーライダーだった。

「転倒の衝撃で、(エスパルガロの)手が大きく腫れてしまったんです。ヨーロッパでは大きなトラック(サービストラック)にミシンを積んでいるので、その場でグローブを調整し、手が入るようにしました」

「また、ハウメ・マシアがMoto3クラスからMoto2クラスにステップアップした際、腕上がりの症状が出ました。そのときは該当するスーツの部分を少し広げて、腕に余裕を持たせることで、快適に走れるように調整しました。このような対応ができるという点でも、ミシンの存在は非常に重要なのです。もちろん、ベネディクトのような技術スタッフの存在もね」

このように、MotoGPのパドックでは臨機応変な対応を行い、ライダーの安全性と快適性に寄り添っている。

海外ラウンドの場合、通常はライダーにつき5着のレザースーツが用意される(Moto2ライダーの場合は、4着から5着)©Eri Ito
ビンダーのレザースーツに、急遽、熱対策が施された©Eri Ito
タイGPはフライアウェイラウンドなので、このようなプレハブが各チームやサプライヤーのオフィスになる©Eri Ito
ヨーロッパのMotoGPではサービストラックがパドックに並び、このなかで作業が行われる(写真は2025年チェコGPのもの)©Eri Ito

MotoGPライダーのレザースーツ

では、MotoGPライダーが使用するレザースーツとは、どのようなものだろうか。

「すべてのレザースーツは各ライダー専用に作られています。そして、どのスーツも、彼らが到達するスピードに対応するための最高仕様のものです。つまり、すべてのライダーが同じクオリティのスーツを使用していますが、サイズや細かな仕様は、それぞれのリクエストによって異なります。例えば、足の部分にグリップを設けるライダーもいれば、臀部にグリップを設けるライダーもいます。これはライディングスタイルのニーズや、バイクの特性によって異なります」

MotoGPライダーが使用しているレザースーツは、MotoGPのために製作された特別なもので、市販されているものとは異なる。そして、この世界最高峰の現場で培われた技術が、市販製品に反映されている。

「例えば、ビンダーはムジェロで時速366kmを記録しました(※2023年、ビンダーが時速366.1kmの最高速をムジェロ・サーキットで記録。翌2024年にもポル・エスパルガロが同サーキットでまったく同じ最高速を記録している。これが、現在までの史上最速のトップスピードである)。そのため、こうしたレザースーツは、MotoGPのようなトップレベルのレースのためだけに作られています。希望があれば個別に製作することも可能ですが、基本的にはレース用途に特化しています。ここではカンガルーレザーやケブラーなど、さまざまな特別な素材やコンポーネントを使用しており、このレベルのモータースポーツに対応するための仕様になっています」

「そして、市場で販売している製品は、そうした(トップレベルで得られた)情報に基づいて作られています。私たちは世界最高レベルのMotoGPライダーと仕事をしており、彼らとともに経験を積んでいます。そして、そうしたすべての情報は、市場向け製品にも反映されます。パターン、フィッティング、スライダー、快適性、エアバッグなど、あらゆる要素です」

プロテクターも同様だ。

「ここ(レースの現場)で使用しているプロテクターは、MotoGPやレース用途のために特別に作られたものです。市販製品では、各選手権や各国によって、求められるプロテクターが異なりますので、例えば、ヨーロッパの規格とアジアの規格は異なる場合があります」

臀部や足の部分にグリップ素材を用いるライダーもいる。これらはライダーからのリクエストによって異なる©Eri Ito
©Eri Ito
プロテクターもライダーによって形状や位置が異なる©Eri Ito

IXONのレザースーツの特徴とは

ラウラさんは、IXONのレザースーツには、「大きな強みが二つある」と言う。

「ご想像の通り、私たちにとって最も重要なのは安全性です。そのため、市場で最高の素材であるカンガルーレザーを使用しています。また、レザースーツのパターン設計は、クラッシュ時に穴が開くのを防ぐように作られています。さらに、エアバッグシステムは身体全体、特に重要な部位に加えて、肩や腕の上部、そして背中から尾てい骨までを保護します。つまり、安全性が最優先です。私たちは全員、この点に強くコミットしています」

「そのうえで、大きな強みが二つあります」

一つ目は、「軽さ」だ。

「私たちのスーツはパドック内で最も軽量です。他と比べて1〜2kg軽いだけでも、大きな違いになります。これはMotoGPだけでなく、Moto2でも同様です。Moto2は非常に僅差のカテゴリーなので、1〜2kg軽くなることの影響は非常に大きいのです」

もう一つが、「空力性能」である。

「ライダーが伏せた姿勢を取ったとき、セナ・アギウス、セルヒオ・ガルシア、アレイシ・エスパルガロ、タカ(中上貴晶)、そしてスーパーバイク世界選手権(WSBK)のチャビ・ビエルへといったライダーを見ても、フィッティングが非常に優れていることがわかります。高速走行時の姿勢において、私たちは風洞実験で他ブランドと比較したデータも持っています。これらが、IXONのレザースーツにおけるもう一つの大きな強みです」

現在のMotoGPでは、差が僅差であるだけに装具にわたるまで空力性能(あるいは軽量さ)が求められる。少し話はずれてしまうが、空力を気にして、ブーツのスライダーを外すライダーもいるほどだ。IXONは、そんな極限の空力性能が求められる世界にあって、それを強みとして持っているという。

IXONライダー二人が引退した、思い出深い2024年最終戦

そんなラウラさんにとって、MotoGPパドックでの思い出深いエピソードを教えてもらった。それは、2024年シーズンの最終戦だという。これは私たち日本人MotoGPファンに
とっても、忘れがたいレースだったはずだ。7シーズンにわたってMotoGPクラスにおける唯一の日本人ライダーとして戦い続けた中上の、フル参戦ライダーとして最後のレースだった。そしてそのレースは、アレイシ・エスパルガロの引退レースでもあった。IXONライダーでもある二人は今、ともにホンダのテストライダーとして開発に貢献している。

「あれは、私がこの仕事を始めてから2年ほど経った頃の出来事でした。彼(タカ)が家族とともにいる姿、アレイシが息子や娘、そして妻と過ごしている様子を見ることができて、とても印象深い瞬間でした。彼らの引退の場に立ち会えたこと、そして彼らが現役からテストライダーへと移行する過程に関われたことは、とても特別な経験でしたね。もちろん、その後も彼らとは一緒に仕事を続けています。ですが、IXONのサポートを受けながら迎えたキャリアの終わりという意味でも、あの瞬間はとても印象的で、心に残りました」

長くMotoGPで活躍してきた二人のライダーが最後のレースを終えたあと、囲み取材では多くのジャーナリストが彼らを取り囲んだ。もちろん、筆者もそのなかにいた。この年の最終戦はスペインのバルセロナ-カタルーニャ・サーキットで行われ、アレイシ・エスパルガロにとってはまさしく地元だったが、取り囲む人数はどちらも変わりがなかった。囲み取材が終わると、二人にはジャーナリスト、フォトグラファーから温かい拍手が贈られた。彼らの現役時代に対する、大きなリスペクトだった。ラウラさんはサプライヤーとして、さらに近いところで彼らの最後の週末を見つめていたのだろう。

そんなIXONは、2010年からMotoGPライダーにレザースーツを提供している。MotoGPのパドックとしては、比較的若いブランドだ。けれど、急速かつ順調に成長を遂げてきた。あらためて、IXONがMotoGPライダーにレザースーツを提供し、サポートする理由は何だろうか。

「IXONがMotoGPやWSBKのライダーをサポートする理由は、それが世界最高峰のモータースポーツだからです。世界最高のMotoGPライダー、あるいは世界中のトップライダーの近くで活動できることです」

「それによって最高のライダーに対して自分たちの装備を提供し、守ることができますし、また、彼らから得られるフィードバックをもとに、レザースーツの開発を進め、成長し続けることができるのです」

「世界最高峰」に柔軟に対応しながら、IXONはレザースーツの世界でさらなる高みへと向かう。

ラウラ・エスピさん
レーシング・サービス、レーシング・マネジメントを担当する。2023年より現在の仕事を担い、MotoGPのほか、WSBK、ブリティッシュ・スーパーバイクも担当している。

©Eri Ito