マン島TTレースに行ったのは、今年で2回目だった。1回目に行ったのは、2023年のことだ。そのときの衝撃と、「言葉にできない」という思いを経て、もう一度マン島に向かった。
2回目のマン島TTレース
5月28日にマン島のロナルズウェイ空港に着いたとき、空はまだ明るかった。時刻はすでに19時だったが、マン島は日本よりも緯度が高いので、夏の日照時間が長いのだ。着込んできたパーカーのジッパーを首元まできっちりと上げる。日照時間も寒さも、驚くほどではない。というのも、つい数日前までシルバーストン・サーキットでイギリスGPを取材していたからだ。シルバーストンよりもマン島のほうが北に位置しているが、それでも気温の低さは予想の範囲を超えなかった。
2年前にイギリス・ロンドンに半年ほど滞在していたとき、その天候の変わりやすさに驚いていると、ロンドン生まれ、ロンドン育ちの英語教師が「four seasons in one dayだよね」と笑っていた。1日のうちに四季を味わえてしまうほど、天気も気温もよく変わるのだ。マン島もまた、じつに天気が変わりやすい。ネックウォーマーを被り、ライトダウンとパーカー、それから防風性能を持つパーカーを着込むほど寒い日もあれば、長袖のシャツ1枚で汗をかいて歩いたこともあった。
ただし、朝夕は必ずと言っていいほど寒かった。寝起きに「寒い寒い」と震えていると、ホームステイしていた家のホストマザーは「そういうときは、これ」と言って掃除機を指さした。動いて温まりなさい、ということらしい。筆者としては暖房器具が必要な気温なのだが、マン島の人たちがそうなのか、あるいはこの家の人たちがそうなのか、彼ら、彼女らが暖房器具を使っているところを見たことがない。
ちなみに、今年のマン島TTレースは天候不順によってスケジュールがよく変わった。最終的に、最高峰クラスであるシニアTTレースが2012年以来、史上2回目となる中止となった。ころころと変わる天候とスケジュールに、存分に翻弄されたのだった。
筆者がマン島TTレースに来たのは、2回目である。1回目は2023年で、マン島に到着した日と発つ日を含めて3日しか滞在できなかったが、それでも、マン島TTレースを見て、感じて受けた衝撃は人生の中で味わったことのない種類のものだった。
マン島TTレースが「すごい」ことはわかったが、自分が持つどんな言葉もこのレースを表現するには陳腐だということもまた、よくわかった。目の前で行われているレースの光景が脳内で焦点を結ばないのだ。
マン島TTレースの歴史はとても長く、深い。1907年に始まった、現在も開催されているものとしては世界最古の二輪レース。1907年といえば、日本は明治40年である。ちなみに、筆者が主に取材するロードレース世界選手権MotoGPは、1949年に始まった。1949年の第1戦、つまり初年度の最初のレースがマン島TTレース、「ツーリスト・トロフィー(TT)」だった。1976年を最後に「ツーリスト・トロフィー」は世界選手権から外れ、1977年からは「イギリスGP」がシルバーストン・サーキットで行われている。奇しくも、筆者がマン島に来る直前まで取材していたサーキットである。
今年、再びにマン島TTレースに来たのは、せめてもう少しだけでも表現できる言葉を見つけたいと思ったからだった。
グリッドのライダーの表情は
「マン島TTレースとは?」。その答えを求めて、予選日にはスタート前のライダーを追いかけた。
天候によって予選が中止となった日の夕方、知り合いのクルマに乗せてもらってTTマウンテンコース60kmを1周した。スタート、フィニッシュ地点、ラムジーの街、マウンテンエリア。クルマで普通に走れば、1周するのに1時間以上かかる。長さもさることながら、公道をコースとしているのでランオフエリアはないに等しい。約60kmのコースを、1周あたり16分から18分ほどかけて走る。総合ラップ・レコードはピーター・ヒックマンの平均時速136.358mph(約219.45km/h)。それほどの速度で、ライダーたちはコースを駆け抜ける。


そんな走行を前にして、予選スタート前のライダーの過ごし方は様々だった。ライダーはグリッドにバイクを並べてスタートを待つ。現在のマン島TTレースは1台ずつスタートするタイムトライアル形式のレースである。
ベテランのジョン・マクギネスは、妻や娘だろう女性たちとハグをして、ゆっくりとヘルメットを被ってスタートに向けて準備を進めた。そのうちにスタートが遅れるとアナウンスがあった。それを聞いたマクギネスが、ヘルメットを脱ぐ。
マン島TTレースにおいて、スケジュールが変わることは珍しいことでは全くない。ライダーは、そんな変更にも即座に対応しなければならない。装具の準備だけではなく、このレースにおいて非常に重要な集中力も、すぐに切り替えなければならない。電気のスイッチのように、「パチン」と。数分後、スタート時刻を知らせるアナウンスがあった。マクギネスはもう一度ヘルメットを被り、グローブをはめる。ライダーの周囲に、息が詰まるような空気が漂う。まもなくスタートなのだ。
マクギネスと同じくホンダ・レーシングUKから参戦したディーン・ハリソンは、予選のスタートを待つ間、バイクにまたがったまま、じっとタンクに両肘をついて、下を向いていた。そのまま絵画になったように、彼は微動だにしなかった。
2025年のマン島TTレースで史上最多勝利記録を33勝に伸ばしたマイケル・ダンロップは、メカニックによってバイクがグリッドに運ばれてからしばらくしてやってきた。サーキットでのレースとは違い、マン島TTレースにはピットを出てグリッドにつくためにコースを1周するサイティングラップはない。メカニックがピットからバイクを押してグリッドに運んでくる。このときバイクと共にグリッドに歩いてくるライダーもいるが、この日のダンロップがグリッドに来たのはスタートの5分前だった。グリッドにはカメラが多いし、すぐ近くの柵にはびっしりとゲストがスマートフォンを構えている。これもまた、彼なりの集中の仕方なのかもしれない。




穏やかで生き生きとしているパドック
そんなグリッドとは対照的に、パドックはとても牧歌的だった。「パドック」と聞くと特別なチケットやパスが必要だと思われるかもしれないが、マン島TTレースではそんなことはない。パドックは全ての人に開かれている。車両を保管しているテントやそこに付随するホスピタリティなどを、自由に見ることができる。
といっても、しっかりとホスピタリティ設備があるのは大きなチームくらいで、多くのプライベートチームは、トラックやキャンピングカーにテントを組み合わせて車両保管および整備の場所を設け、その一角に食事ができるテーブルセットを置いたりしていた。その規模もチームによってそれぞれに異なる。
パドックで寝泊まりする人もいるから、敷地内にはトイレとシャワー、コインランドリー設備が整っている。マン島TTレースのレースウイークはなにしろ長くて、約2週間もあるのだ。
観戦客はそんなテントやトラック、キャンピングカーの間を歩く。走行時間が迫ると、その人混みをかき分けるように、参戦する車両がピットに向かう。
パドックは海側に下っていて、より海に近いエリアでは、レースを待つ時間に若い男がチェアにだらりと腰かけていた。テントの中には、昼食のパスタをつまらなそうにつつく男がいる。立ち並ぶキャンピングカーの向こうには海が見える。頭上のカモメは我が物顔で飛び交っている。
MotoGPのパドックも、現在のような豪華なホスピタリティになる前はこんな光景が広がっていたのかもしれない。過去には中、小排気量クラスのライダーもパドックで寝泊まりしていて、洗濯物があちこちにかかっていた、と聞いたことがある。
レースの目が離せないほどの緊迫感と、パドックの穏やかな生活の雰囲気は相反するものだった。けれど同時に、これがマン島TTレースなのだろう、とも感じた。きっと──これはたった2回だけマン島TTレースを見た筆者の一つの答えなのだ。とてもじゃないが言い切ることはできない──、マン島TTレースは公道をレーシングスピードで駆け抜け、表彰台でトロフィーを掲げるだけではない。パドックの営みも含めて、マン島TTレースなのかもしれない……。
マン島TTレースに出るライダーの、生き様がそこに存在していた。
なるほど、だからこそ「マン島TTレースを完全に理解すること」は難しいのだろう。誰かを完全に理解することはできないのだから。そして、それは観戦という意味でもマン島TTレースが人を魅了する理由の一つなのかもしれない。
6月11日、マン島を発つためにロナルズウェイ空港に向かった。目に痛いくらいの快晴だ。シニアTTレースの日にこの天候だったら、と少しばかりうらめしい気持ちはあった。けれど、そんな気持ちを覚えた自分におかしくなった。マン島TTレースに天候が合わせなければならない道理はどこにもない。またここに来る理由ができたというものだ。マン島TTレースを走る、彼らの人生を見るために。



