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チェコのモストで初めて体験したポルシェ
1978年当時、33歳のローター・ヴュンシェは、ポーランドとチェコスロバキアに隣接する東ドイツのルサティアに住む、ポルシェとレースの大ファンだった。しかし、共産国家だった当時の東ドイツでは、西ドイツに拠点を持つポルシェの情報を得るのは至難の業だったという。
ローターは、本物のポルシェ製レーシングカーをその目で見たいという長年の夢を叶えるため、チェコ西部の街モストにあったサーキット「アウトドロム・モスト(Autodrom Most)」へと向かう。彼が住んでいたルサティアからは国境越えを含め120km強の行程だ。
「当時、東独の若者たちは、ひたすら待つことを学んでいました。トラバントを買うにに、12年も待たなければならないんですよ(笑)。私は自分の目でレースを見られる機会を待ち続けていたのです」と、78歳になったローターは笑う。
1978年8月12日、モストを舞台に欧州のレースシリーズ「インターセリエ(Interserie)」が開催。この時、ローターはただグランドスタンドを歩き回るのではなく、ある目的を持っていた。
「レース関係者を見つけたら、恥ずかしがらずに声をかけようと、心に決めていました。すると、偶然、当時ポルシェでカスタマーレースを担当していたユルゲン・バルトと出会ったのです。それがすべての始まりです」
ウォッカ6本とタミヤの935キットを交換
東ドイツから来たポルシェ・ファンは、チームから心からの歓迎を受ける。そして、これが最後のポルシェ・モータースポーツとの出会いとはならなかった。
1978年、モストで開催されたインターセリエには、ローラ T286、マクラーレン M8、ポルシェ 908、ザウバーC5、シェブロン B31など、珠玉のプロトタイプレーシングカーがスターティンググリッドに並んでいた。ちなみに優勝したのは、ドイツのACマイエンのノルベルト・プリジビラがドライブした「TOJ SC302」だった。
このレースでローターは、憧れのポルシェを間近で見ることができ、ポルシェのレーシングチームの関係者にも会うことができた。この瞬間、彼はポルシェ一筋となったという。そして、ポルシェのスケールモデルをコレクションするようになる。
当時の東ドイツで、スケールモデルは簡単に手に入るものではない。そのため、彼はお目当てのモデルを手に入れるため、貴重品と何度も何度も交換した。例えば、タミヤのポルシェ 935のキットを、ウォッカ6本と交換するといった具合だ。
自作の1/5スケール・モデル製作へ
ベルリンの壁が崩壊し、東西ドイツが統合。その後もポルシェのコクレターとして、スケールモデルを集め続けていたローターだったが、2007年にある転機が訪れる。
「他の人も持っている模型をコレクションケースに並べるのが、嫌になったんです。そこで、ポルシェが風洞模型として使っている1/5スケールの模型を、自分で作り始めることにしました」
ローターはこれまで20台以上の1/5スケール・モデルを製作。すべてが、彼の手によってゼロから作り上げられている。彼の工房に足を踏み入れても、自作パーツで構成された驚異的な1/5スケール・モデルが、この場所で製作されているとは信じられないだろう。
長年エレベーターの製造技師として働いてきたローターは、事もなげに「ドレメル製のミニドリルと電動ノコギリ。必要なのはそれだけです」と肩をすくめる。
1600点のパーツで作られた「ポルシェ 908/02」
ローターが製作した1/5スケール・モデルは、息をのむほど素晴らしいクオリティを誇る。彼が製作した最も古いポルシェは、1956年ル・マンで5位に入賞したポルシェ 550A プロトタイプ ル・マン ワークスクーペ。シルバーに輝くカーナンバー32のポルシェ 904/6は、ヘルベルト・リンゲとペーター・ネッカーのドライブで4位入賞を果たしている。
カーナンバー29、ブルーの908/02は、スティーブ・マックイーンが出演したハリウッド映画『栄光のル・マン』で使用されたカメラカーを再現。このモデルはローターの1/5スケール・モデルの中で、最も精密な1台で、実に1600点以上のパーツで構成。リヤのエンジンカバーを開閉すると、撮影用カメラも収められている。
現在、製作しているのは、ジョン・ウルフがドライブした917 ロングテール。同時進行で製作を進めているシャシーも見せてくれた。 「シャシーにはプラスチックパイプを20メートルほど使っています」とローター。このシャシーには、1971年のル・マン24時間優勝車、ヘルムート・マルコとジィズ・ヴァン・レネップがドライブした、マルティニ・カラーの917 Kのボディシェルが載せられることになる。
ネガ・ポジ技法で自作されたパーツ
このハイクオリティな1/5スケール・モデルは、ネガポジ技法を用いて作られている。ネガポジ技法とは、特殊なプラスチックをフレームに充填し、表面が完璧に仕上がるまで研磨する製法。ボディシェルからホイールに至るまで、すべてのパーツを自作する一方、塗装やデカールはスペシャリストのサポートを得ている。
「すべてが私の担当ではないんです。地元のボディペインター、ステファンが完璧に塗装してくれますし、商業アーティストのエリザベスがデカールを製作してくれています」と、ローターは明かした。
ヴュンシェ自身のガレージには、真っ赤なポルシェ ケイマン GTS 4.0 が置かれている。「もちろんマニュアルトランスミッション仕様ですよ」と、彼は胸を張った。そう、彼はスケールモデルを作るのと変わらないくらい、自分の手でポルシェを操ることも大好きなのだ。