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ホンダ・スーパーカブは2017年10月1日に累計生産台数1億台を達成、現在も生産が続けられています。メカニカルな部分がすべてカバーされた先進的なデザイン、女性にも乗れるサイズ、バックボーンフレームの採用や鋼板プレス製のフロントフォークなどの徹底した軽量設計、ハイパワーで燃費のいい空冷OHV49cc4ストロークエンジン、クラッチレバーレスシフト、ユニークなボトムリンク式フロントサスペンション…伝説的MC、いや日本が誇る世界の「民具」が誕生したのは1958年10月、今から60年以上前のことです。瞬く前に日本中を席巻し米国でも大ヒット、今のホンダの礎(いしずえ)を築いた歴史的MCです。
このスーパーカブはその後さまざまな改良が加えられ、幾多のバリエーションも生みだされ、次第に姿をかえていきます。現代のモデルは空冷OHCの燃料噴射に、バックボーンフレームは鋼管スペースフレームと樹脂成形カバーに置き換えられ、フロントサスペンションはテレスコピックに…特徴的なデザインを除いては大きく変貌しました。
その長い歴史の途上でホンダは興味深いチャレンジをします。1983年10月発売のスーパーカブ50スーパーカスタムにだけ装備されたフロントサスペンションの「アンチリフト機構」です。今回はオリジナルのボトムリンク式フロントサスペンションとその課題、そして「アンチリフト機構」の採用でホンダがなにをしようとしたのか? またなぜ「アンチリフト機構」が他のモデルに展開されず消えていったのか…そのあたりを解き明かします。
ホンダ・スーパーカブ50 スーパーカスタム1983年10月
この1983年のモデルはパワートレインを除いては初期型に近い構成です。当時最大のウリは180km/L!という驚異的な燃費でした。とはいっても「30km/h定地走行テスト値」なので実用上そんな数値が出るわけではなかったのですが、それでも立派な勲章でした。
もうひとつの特徴がこのスーパーカスタム(以下SC)だけに採用され、そしてなぜかそれ以降のモデルには継承されなかった「アンチリフト機構」です。
(2021.11.26追記)アンチリフト機構は1983年のスーパーカブ・スーパーカスタムだけでなく初代スーパーカブC100(1958)の最初期型(後期型には不採用)やC90(採用年式不明)、CM90(1964)などのモデルにも採用されていたことがわかりました。
【主要諸元】
エンジン形式:空冷4ストローク単気筒SOHC2バルブ
総排気量(cc):内径×行程(mm):49 (39×41.4)
最高出力(PS/rpm):5.0/8,000
最大トルク(kg・m/rpm):0.50/6,000
変速機:自動遠心式ロータリー4段
車両寸法(mm):全長×全幅×全高:1835×660×1085
軸距離(mm):1180
乾燥重量(kg):78
タイヤ前・後:2.25-17・2.25-17
価格(円):144,000
ホンダ・スーパーカブ50 スーパーカスタムの重心三角形
スーパーカブ50 SCの画像にホイールベースを底辺とする直角二等辺三角形を描いてみました。重心がこの三角形の頂点または右斜辺の付近の赤い点線で囲ったあたりにあるとMCの加減速で最大のパフォーマンスが発揮されます。スーパーカブは頂点のすこし後よりですが、なかなかいい位置にあることがわかります。この緑色の「ウィリー」領域は加速の限界がウィリーによって制限されます。ただしウィリーさせるためには1Gに近い加速度が必要で、カブにはそんなパワーはないので実質的には安全です。逆にこの領域に重心がある場合、制動時にジャックナイフが起こることは絶対ありません。スーパーカブに限らず長寿命の製品はよくみると基本に忠実なパッケージや構成になっています。
ボトムリンク式フロントサスペンションのおさらい
「アンチリフト機構」講義の前に、まずホンダスーパーカブのボトムリンク式フロントサスペンションをおさらいしましょう。
ボトムリンク式フロントサスペンションは鋼板プレス製フロントフォーク下端にボトムリンクと呼ばれる短いリーディングアームを取付け、リンクの後端をフロントフォークの支点に固定、前端は車軸の固定側(ブレーキシューパネル)に結合されています。またボトムリンクの中央部がフロントフォークに内蔵されたスプリング・ダンパーユニットと取付られています。
ボトムリンクは支点を中心に回転し、路面からの入力をスプリングとダンパーで緩衝(かんしょう)します。この時タイヤとホイールは車軸回りに自由に回転しているので路面の凹凸による上下荷重入力や突起乗り越しなどの衝撃荷重は全て車軸に入力されます。この時のスピンドルの動きが青色の両矢印です。
ところがブレーキを掛けるとタイヤ・ホイールとブレーキ・シューパネルが拘束されるので入力位置がタイヤ接地点になります。この時の接地点の動きが空色の両矢印です。制動時のタイヤ接地点と通常走行時の車軸の動きを比較すると通常走行時の車軸がおおむね上下に動いているのに対し、制動時のタイヤ接地点は上下というよりは「ほとんど前後に動いている」ことがわかります。
これは極端なアンチダイブジオメトリーを意味しています。なんだか接地点に棒を突き立ててバーを乗り越えようとしている棒高跳びの選手に見えてきませんか?まさにそういう設計です。
スーパーカブSCのアンチリフト機構とは?
これが「アンチリフト機構」付きのボトムリンクサスペンションです。ボトムリンクに対してブレーキシューパネル(ブレーキの固定側)が車軸回りに回転可能になるよう設計変更されています。そのままだとブレーキをかけた時ブレーキシューパネルがタイヤと一緒に回ってしまうので、それを防ぐためのリンクが追加されています。これが「アンチリフトリンク」 です。アンチリフトリンクというのは実はブレーキシューパネルの「回り止め」なんです。ところがこの単なる「回り止め」がすごいのです。
「アンチリフトリンク」はブレーキシューパネルとフロントフォークとの間にボトムリンクと同じ長さ、同じ角度で取り付けられています。アンチリフト機構を設けることによって車軸自体の動きは変わりませんが、制動時のタイヤ接地点の動きが劇的に変わります。
通常のボトムリンクサスペンションはタイヤ接地点が制動時に上下というよりは、ほぼ水平(空色の両矢印)に近い動きをしますが、アンチリフト機構を付けるとスピンドルの動きと全く同じ半径と角度(緑色の両矢印)で動くようになります。このタイヤ接地点の動きの変化がアンチリフト機構追加の意味です。
一般的にボトムリンクとアンチリフトリンクのような「平行等長リンク」(平行で長さが等しい2本のリンク)で位置決めされるリンク機構は支えられるもの全体がリンクと全く同じ動きをします。
重要なことは「アンチリフト機構が効果を発揮するのはブレーキをかけた時だけで、通常走行時の作動はノーマルなボトムリンク式サスペンションと全く同じ」だということ。「アンチリフトリンク」はブレーキシューパネルの「回り止め」なのでブレーキをかけていないときは遊んでいて何の働きもしません。
アンチリフト機構付きサスペンションの解析
ボトムリンク式フロントサスペンションとアンチリフト機構の理解ができたところで、いよいよホンダスーパーカブのサスペンション特性の講義に入ります。
リヤは一般的なチェーンドライブのスイングアーム式なので詳しい説明は省きます。まず加速時のアンチスクォート特性です。アンチスクォート高さは521mmで重心高を620mmと仮定するとアンチスクォート率は84%というノーマルな値に落ち着きます。おさらいしておくと荷重移動とばね定数から計算される車体の沈み込みに対し、アンチスクォート効果によってリヤの沈み込みが約1/6 (16%)になるということです。
さて、制動時のアンチダイブ/アンチリフト特性ですが、なんといってもオリジナルのスーパーカブがおもしろい!タイヤ接地点の動きはボトムリンクの支点回りの回転なので接地点からその支点に向かって線を引き、それをホイールベースを制動力配分で分けたところの垂直線まで延長した交点がアンチダイブ高さです。
制動力の前後配分を70:30で作図するとなんとアンチダイブ高さ2000mm!(図に収まりきらないので折れ線で省略して描いてます)、アンチダイブ率が320%(2000mm÷620mm×100%=323%)!驚異の世界新記録!(たぶん…)です。
アンチダイブ率が0%なら荷重移動どおり車体の前部が沈み込み、100%なら沈み込みがゼロ、100%以上だと逆に持ち上がります。したがってこのボトムリンクは制動時に荷重移動で想定される沈み込み量の2.2倍も逆にサスが伸び(320%-100%=220%→2.2倍)、車体の前部が持ち上がるということです。
それでは「アンチリフト機構」付きボトムリンク式フロントサスペンションのアンチダイブ特性をみてみましょう!なんとアンチダイブ高さ136mm、アンチダイブ率22%(136mm÷620mm×100%=21.9%)とオリジナルとは全く異なる一般的な値になりました。この値は荷重移動とばね定数から計算される沈み込みが22%減、つまり78%になるということです。それほど強いアンチダイブ率ではないので感覚的には「普通に沈み込む」感じですね。
それに対してリヤのアンチリフトは43% (266mm÷620mm×100%=42.9%)と一般的な値です。この数値はフロントのアンチリフト機構とは無関係なのでアンチリフト機構の有無で変わりません。
アンチダイブ/アンチリフト姿勢変化・マッピング
ホンダスーパーカブの制動時のアンチダイブ/アンチリフト姿勢変化をマッピングしてみました。制動力の前後配分を70:30とし、アンチリフト機構【あり】と【なし】を比較するために両方の位置をマッピングしています。
まず、アンチリフト機構のないオリジナルの特性を見てみましょう。左上のピンクの領域にあるのがアンチリフト機構【なし】をマッピングした点です。この領域は制動時に前後とも持ち上がる(↑↑)という面白い特性になります。この特性がスーパーカブ特有の感覚を生み出しています。
アンチリフト機構【あり】は中央の黄色い三角形の領域にあります。実はクルマではここがもっとも一般的な領域です。この領域では制動するとフロントが少し沈み込みリヤが少し持ち上がる、アンチダイブ率/アンチリフト率とも0-100%の範囲にあります。
アンチリフト機構はまさにこれを意図して図中の青の破線太矢印の方向に移動(変化)させるものでした。ちなみにフロントテレスコピック/リヤチェーンドライブ式スイングアームの一般的なMCはさらに右下のAの領域にあります。
「アンチリフト機構」はなぜ消えたのか?
MCのブレーキのかけ方の基本は「フロントを強めに!」です。これは強めに制動をかけた場合の荷重移動を考え、スリップに対する余裕を前後輪でバランスさせるためです。実際にバランスさせるには、制動のごく初期は前後輪の荷重配分と同じ割合でブレーキをかけ、ジャックナイフを起こす寸前の最大制動時はフロント100%かければいいことになります。
しかし通常の弱~中レベルのブレーキングでは制動力の配分は適当でも問題ないので「カブ乗り」たちはフロントが持ち上がらないようにかなりリヤ寄りでブレーキをかけていたと思われます。車両パッケージ的にもリヤヘビーなので、通常走行ではこれでも理にかなっています。
前後の制動力をためしに20:80の配分でマッピングしなおしたのがこの図です。前後制動時の瞬間中心に向かう線の交点は図中のB点になり、それを起点に作図するとフロントのアンチダイブ率は100%、リヤも110% (685mm÷620mm×100%=110%)となって制動時にほぼ姿勢変化がない「超健康的」な値になります。おそらくこれが「カブ乗り」のライディングスタイルだったと思われます。風変りな機構に人が操作で順応してきたのです。
この制動力配分マップでアンチリフト機構【あり】を作図するとC点になります。アンチダイブ高さを作図するとたったの42mm、アンチダイブ率 7% (42mm÷620mm×100%=6.8%)となり、ほとんど無抵抗にフロントが沈み込みます。リヤ寄りブレーキに慣れた「カブ乗り」はフロントサスペンションが壊れたと思ったでしょう。
カブの流儀で制動するとアンチリフト機構付きはかえって運転しにくいのです。「アンチリフト機構」がこのモデル以降立ち消えになった理由はおそらくこれだと思います。
しかし、いまでもスーパーカブで峠道やサーキットをガンガン攻め、限界的なブレーキングでコーナーに突っ込もうと思っている方にはアンチリフト機構は大変有効です。ボトムリンクの過剰なフロントリフトで苦労しているカブ乗りの方はアンチリフト機構付へのコンバージョンをお勧めします。フル制動時の姿勢変化が劇的に改善します。
余談ですが、このアンチリフト機構付きボトムリンクにそっくりのサスペンションが今のホンダMCにあります。なんとフラグシップのゴールドウィングです。これも大変興味深いので次回はゴールドウィングのフロントサスペンション機構とスーパーカブの類似性について講義します。