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1000台混走バトル、全盛期のリアル
助手席より愛を込めて。
大阪環状、あるいは単に“環状”と称される阪神高速環状線。そのレイアウトは、大外回りの途中に2本の短絡路を設けたものとなる。
環状族の間ではメインとされた“ショート”の他、ルートの取り方によって“ロング”と“ショートショート”と呼ばれる計3つのコースが存在した。同じ都市高速でも首都高や名古屋高速の環状線と決定的に違うのは、一方通行で最大4車線ということだ。
そんな“環状”は1970年代から関西有数の走りのステージとして知られ、1982年に月刊化直後のOPTION誌は早くも、『大阪府警vs大阪環状改造族』というドキュメンタリー記事を展開していた。
全盛期を迎えたのは昭和末期から平成初期。実数は掴み切れないが、ざっと100以上のチームが存在したと言われる。主力マシンはワンダー&グランドシビックとCR-X。中でもVTEC搭載モデルが人気を集め、それに対抗したFR勢ではハチロクやKP61スターレットが主役を張っていた。
今回話を聞いたのは、当時ランダムレーシングのメンバーとしてグランドシビックで走る彼氏と付き合っていた…という女性。サバサバした性格と歯に衣着せぬストレートな物言いから、彼女を知る人は皆、親しみを込めて『姐さん』と呼ぶ。
「助手席専門やったけど、横に乗ってても環状はほんま最高やった。まだ10代で若かったこともあって、どんなに無茶な運転されても絶対に死なへんと思ってましたから。もう身を任せてるんで、怖いという感覚すらもなかったですよ」。
直管爆音のシビックはロールケージを組んだ内装ドンガラという仕様で、車検なしナンバーなしも当たり前。シートは2脚しか付いていないのに、ロールケージに掴まる3人を後ろに乗せて環状に上がることもしょっちゅうだった。
「ナンパ目的でまずナビオに立ち寄るチームもありましたけど、ランダムはもっと手前で集合。新御堂筋とかでガソリン入れたて、”さぁ、行くぞ!!“みたいな感じでしたね。走るのは20時くらいから。まだ一般車もいる時間帯なんで今思うと迷惑な話なんですけど、そこを縫うように走ってましたよ」。
追い越し方も独特だった。相手の前に出て車線変更するのではなく、隙間を見つけて、そこに斜めからノーズを強引に突っ込んでいく環状抜き、略して“カンヌキ”と言われた。
世間一般には無謀としか思えないその走り。当然、一般車を巻き込んだ事故やチーム同士の抗争も頻発した。良くも悪くも、そんなお祭り騒ぎが繰り広げられた環状。1年で最も盛り上がったのはクリスマスや年末に行なわれたパレードだ。
「大阪の各地域から全てのチームが合流してきて。恐らく1000台という単位で環状族が集まってたと思いますよ。そんな動きを警察も察知してるから検問を張って一斉検挙。次の日、大きく新聞沙汰になったりしてました」。
今回のインタビューにあたり、姐さんには当時の写真を持ってきてもらえるよう頼んでおいた。アルバムを引っくり返し、別れた旦那さん(グランドシビックに乗っていた彼氏)にまで連絡を取って探してもらったが、出てきたのは3枚だけだった。
その写真を代わる代わる眺めながら、姐さんが呟いた。「ほんま懐かしいわぁ。環状は自分の青春そのもの。もう30年も前のことなんやね…」と。
●撮影協力:ジェイズレーシング 大阪府茨木市畑田町10-17 TEL:072-645-3500
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