R Type Continental
求められたのは「よりベントレーらしいモデル」

戦後初の量産車であるマークⅥのマイナーチェンジモデルとして1952年に登場した「Rタイプ」。しかしながら実質的に「ロールス・ロイス シルバードーン」と変わらない成り立ちに対し、ユーザーはもとよりベントレー側にも、戦後の混乱期から復興が進んでいくにつれ、よりベントレーらしいモデルを求める機運が高まりつつあった。
その開発を指揮したのが、チーフプロジェクトエンジニアであるイヴァン・エヴァーデンと、ロールス・ロイスのチーフスタイリストであるジョン・ブラッチリーの2人だ。彼らは1951年にRタイプをベースとした2ドアスペシャリティクーペの開発計画を始動する。
ここで大きな影響を与えたのが、1938年にギリシャの実業家、アンドレ・エンビリコスのオーダーを受け、フランスのジョルジョ・ポーランがデザインし、カロジエ・プールトゥーが製作した流線型のボディを41/2リッターに架装した「エンビリコス・クーペ」と、イヴァン・エヴァーデンがポーランと共同で開発した4ドアクーペのプロトタイプ「コーニッシュ」だった。
量産型デリバリー開始は1952年


軽量で空力的なボディを製作するためにH.J.マリナーでは、ロールス・ロイスの風洞施設でミルフォード・リードが行った実験のデータをもとに、スタンレー・ワッツが最終的なデザインを決定。ボディワーク、窓枠、フロントガラス枠、リヤガラス、シートフレーム、バンパーなど広範囲にわたってアルミニウムを使用することで、車両重量を1700kgに収めることに成功した。
エンジンは「マークⅥ」の4566cc直列6気筒OHVをベースに圧縮比を6.75:1から7.25:1へ引き上げ、ダウンドラフトタイプのゼニスキャブレターの装着、吸排気マニフォールドの変更といったチューンを施したもので、最高出力155PS/4000rpmを発生。トランスミッションはクロスレシオの4速MTが装着された。
問題はいくら軽量化を果たしたとはいえ、当時これだけの重量で最高速度185km/hを謳うスーパースポーツに対応するタイヤが存在しなかったことだ。そのため、“オルガ(Olga)”と呼ばれたプロトタイプには、ダンロップのミディアム・ディスタンス・レースタイヤを装着。1951年にパリ近郊のバンク付きモンレリーサーキットで行われたテストでは、ファイナルギヤを3.41から3.07に変更した結果、5周平均で118.75マイル(最高周回速度は120マイル弱)を記録している。
その後、オルガでは2分割だったフロントウインドウを1枚ガラスにし、ルーフの高さを1インチ低くするなどの改良が加えられ、1952年6月から量産型のデリバリーが開始されている。
現代の魔法の絨毯として

当時の『オートカー』誌が「長距離を瞬時に消し去る現代の魔法の絨毯」と評した「Rタイプ・コンチネンタル」は、世界最速の4人乗り高級GTであるとともに、往時のベントレーの復活を象徴するモデルとなった。
1954年にはオートマティック・トランスミッションがオプション設定されるとともに、排気量が4887ccに拡大されるなど改良が施されたが、新車価格がRタイプ・サルーンの4824ポンドに対し、7608ポンドもしたこともあり、結局1955年の生産終了までに送り出された台数はわずか208台に留まった。
そのうち193台がH.J.マリナー製の2ドアクーペで、他にはパーク・ウォード製のドロップヘッドが4台、クーペが2台、フランスのフラネイ製が5台、スイスのグラバー製が3台、そしてイタリアのファリーナ製が1台製作されている。
現代ベントレーに与えた影響

しかしながら、2003年に発売された「コンチネンタルGT」のデザイン的、精神的モチーフになるなど、その生産台数以上にRタイプ・コンチネンタルが、後世のベントレーにもたらした影響は大きいといえる。
ちなみに写真のRタイプ・コンチネンタル(シャシーナンバー:BC16C)は1953年12月にスイスのローランド・ゲニン博士にデリバリーされた個体で、2001年にベントレー・モーターズが購入。現在もオリジナルの4.6リッターエンジンと共に当時の仕様を保ったままコレクションに収めているものだ。
