ブルース・マクラーレンとSpeedy Kiwi

ブルースは自らの名を冠したマシンで1966年にF1に参戦を開始すると、翌年には初優勝を果たす。以後、革新的なエンジニアリング力を武器に多くの勝利を重ね、そのレガシーは今日のマクラーレンレーシングに受け継がれている。
創立当時のエンブレムには、彼の母国ニュージーランドの国鳥「キーウィ」が描かれていた。1967年に誕生した“Speedy Kiwi”と呼ばれる第2世代の紋章は、ブルースのルーツとチャレンジングスピリットを象徴するものであり、後のロードカーに通じる「走りの哲学」の原点にもなった。
国際化とスポンサーシップの時代

ブルース亡き後もチームは進化を続けたが、F1の国際化に伴いキーウィは姿を消す。1980年代には“McLaren International”のロゴが採用され、チェッカーフラッグをモチーフにした三本のシェブロン(山形ライン)が現れる。これはスピードと前進をイメージさせると同時に、F1、インディ500、ル・マン24時間を制した“トリプルクラウン”も暗示していた。また、赤と白の配色も含め、当時のメインスポンサー「マルボロ」の影響も色濃く表れている。
ロードカー第一章:F1と“スピードマーク”

1992年、マクラーレン初のロードカー「F1」が登場する。設計を手掛けたのは“奇才”と呼ばれたF1マシンのデザイナー、ゴードン・マーレイ。3座シートレイアウト、カーボンモノコック、BMW製V12エンジンなど、革新技術の集大成だった。
このクルマのフロントに配されたエンブレムには、3本のシェブロンをひとつに統合した“スウィッシュ形状”を持つ新しいデザインが施されている。「レースでの志と新しいロードカー部門の歩みが重なり合う中で、3本のシェブロンが1本に統合された」とするマクラーレンの公式コメントが残されている。このエンブレムとロードカーF1は、マクラーレンが「レースで培ったテクノロジーを公道へ持ち出す」ことを示す象徴にもなった。
1997年にはスウィッシュ形状から現在の「スピードマーク(Speedmark)」につながる新しいビジュアルに進化し、F1マシンなどに描かれた。流線形の赤い“羽根”は、リヤウイングが生み出す空気の渦(ボーテックス)をモチーフに、スピードを視覚化したものだ。
第二章:12Cから始まる「McLaren Automotive時代」




2010年、マクラーレンオートモーティブが設立され、ロードカー事業が本格化する。2011年に登場した同社の量産車第1号「MP4-12C」(のちに「12C」)は、2002年に第2世代へと進化していたスピードマークを採用。シャープさを増した右肩上がりのマークは、「パフォーマンスと先進性」の象徴としてその後のモデルにも受け継がれていく。
第三章:ハイブリッド時代の象徴━Artura以降の新ロゴ


2021年に発表されたハイブリッドスーパーカー「Artura(アルトゥーラ)」では、スピードマークの角度と比率が見直され、より細身で立体的な造形に改められた。このエンブレムは、2023年に登場した「750S」や「GTS」、2024年デビューの「Artura Spider」にも共通して使われている。メタル調で精密な工業製品のような質感をもち、マクラーレンの英国車らしいミニマリズムと融合している。
エンブレムは「エンジニアリング哲学」と「情熱」の象徴

マクラーレンのエンブレムは、単なるブランド記号ではなく空力などエンジニアリング哲学の延長線上にある存在だ。スピードマークは車体のラインと呼応し、風を切るような動きを感じさせる。
創業者ブルース・マクラーレンは、「燃えるような情熱こそ成功の第一条件だ」と語り、”Life is measured in achievement, not in years alone.” という名言を残している。「人生(の価値)は年数だけでなく、成し遂げた成果によって測られる」というのが彼の信条だ。その言葉のとおり、マクラーレンというブランドは、常に“より速く、より美しく”を追い求め、人と技術が共に挑戦を続ける姿勢を象徴している。
スピードマークは、その情熱と探究心の軌跡でもあり、ブルースの精神を今に伝えている存在と言えるだろう。

