Mulsanne /Brooklands /Eight /Turbo R
Tシリーズの後継として

国営企業となったロールス・ロイスから1973年に独立することとなったロールス・ロイス・モーターズは、1980年8月にイギリスの巨大コングロマリットであるヴィッカーズに買収された。しかしながら、それによって起こった体制の変化は、少なくともベントレーにとっては追い風となった。
「ロールス・ロイス シルバーシャドウ」「ベントレー Tシリーズ」の生産が終わった1980年、ロールス・ロイスはその後継モデルとなる「シルバースピリット」を発表。バッジ違いのベントレー版には「ミュルザンヌ」という名前が与えられた。
スチールモノコックのシャシーは全長5280mm、全幅1890mm、全高1485mmとTシリーズに比べてひと回り大型化。ホイールベースも3060mmと30mm延長され、室内空間はさらに広くなった。ボディデザインは、1975年にピニンファリーナのデザインで登場したロールス・ロイスの2ドアクーペ、カマルグの影響が感じられる直線基調のモダンなものとなったが、フロントブレーキがベンチレーテッドディスクとなったこと、セルフレベリングシステムがシトロエン製からガーリング製に変わった以外、特にシャシー面での大きな進歩はない。エンジンも、もはやオールドスタイルとなりつつあった6.75リッターV8OHVのL410型ユニットで、燃料供給はインジェクションではなく、SUツインキャブレターが装着された。
「ブロワー・ベントレーの復活」として

このようにデビュー当初は新鮮味に欠ける印象のミュルザンヌだったが、1982年のパリ・ショーでベントレーは同社初のターボ・モデルとなる「ミュルザンヌ・ターボ」を発表する。
6.75リッターV8OHVに、ギャレット・エアリサーチ製TO4Bターボチャージャーを装着したミュルザンヌ・ターボは、スタンダードの203PSを大きく上回る304PSを発生。その名の由来となったル・マン・サルト・サーキットでのデモンストレーションでは、ユノディエールで225km/hを記録し「ブロワー・ベントレーの復活」として、好評を得た。
それを機にベントレーもターボを前面に押し出し、ロールス・ロイスとの差別化を推進。6.75リッターV8ターボにボッシュMKモトロニック・インジェクションを装着した「ターボR」を1985年に発表する。
ターボRは最高出力こそ304PSのままだったが、インジェクション化により出力特性が改善。またパワーに対して不満の多かったシャシーは、エンジニアリング・ディレクターのマイク・ダンのチームによって、フロントアンチロールバーの剛性を100%、リヤアンチロールバーの剛性を60%アップ。より堅牢なショックアブソーバーを装着し、リヤサスペンションのサブフレームにパンハードロッドを追加することで横方向の剛性をさらに強化したほか、鋳造アルミホイールとピレリP7タイヤを組み合わせるなど改良を施した結果、ロール剛性が50%向上しハイパーサルーンに相応しいハンドリングを獲得した。
ブランド再評価のきっかけに


これまでに例のないハイパーラグジュアリーサルーンとなったターボRは世界的なヒットを記録し、1931年の合併後に初めてベントレーの販売台数がロールス・ロイスを上回る快挙に貢献。これを機に、ベントレーブランドが再評価されることとなったのである。
一方、1984年にはファブリックシート、スチールホイールなどミュルザンヌの装備を一部簡略化し価格を抑えた「エイト」を追加。ミュルザンヌも1987年にヘッドライトを角型から丸型4灯へ変更した「ミュルザンヌS」へと進化。1992年になるとミュルザンヌとエイトの2本立てだったスタンダードサルーンは「ブルックランズ」に統合されることとなる。
その後も好調を維持し続けたターボRは、1995年のマイナーチェンジでザイテック製インジェクションと4速ATを採用。1997年には389PSにパワーアップされた最終モデルの「ターボRT」がリリースされ、1999年までに合計で4111台が製造されるスマッシュヒットとなったのである。

