2025年のD1GPシリーズが開幕したのは、5月の奥伊吹だった。このラウンドで、広島トヨタ team DROO-PのHT DUNLOP 86(ドライバー:石川隼也)は、リヤタイヤに19インチのSP SPORT MAXX GT600を履いて出走した。また、同じく広島トヨタ team DROO-PのHT・DUNLOP・85(ドライバー:松川和也)は、ステアリングの機構を油圧式+電動油圧ポンプに変更して操作性を改善。そしてURAS RACINGのDUNLOP CUSCO SKYLINE(ドライバー:野村圭市)は、ボディグラフィックをCUSCOカラーに変更し、リヤサスペンションの取り付け位置やナックルを変更して初戦に臨んだ。

野村はこの変更が功を奏した。第1戦の単走は、濡れた路面がまだらに乾いていく難しいコンディションだったが、ヘアピンの安定性などで得点を稼ぎ、初の追走進出を決めた。

野村の追走の対戦相手は前年度チャンピオンの中村だった。後追いとなった1本目では3.9ポイントのリードをとったものの2本目に逆転されて敗退。第1戦は15位に終わった。

第2戦もやはり朝はウエット路面で、その後しだいに乾いていく難しいコンディションとなったが、こんどは石川と松川がそろって追走に進出した。追走ではふたりともベスト16で敗れてしまい、石川が12位、松川が13位で終了。野村は第2戦の追走進出はならなかったが、滑るところとグリップするところが混在するような路面でも対応できるダンロップタイヤの強みが生かされ、奥伊吹の2連戦は全員がポイントを獲得して終えることができた。

第1戦ベスト16。野村は先行をきれいに走ったが、そのぶん中村(直)にしっかりドリフトを合わせられた。
第2戦では松川も追走に進出。松川は先行時、後追い時ともにヘアピンでミスをしてしまって敗れた。

第3戦、第4戦はすでに猛暑が始まっていた6月下旬に茨城県・筑波サーキットで開催された。前戦ではSP SPORT MAXX GT600の19インチを試した広島トヨタ team DROO-PのHT DUNLOP 86だが、このラウンドでは18インチのDIREZZA β02に戻してきた。縦のグリップでは19インチタイヤに分があることが確認できていたが、横のグリップに関してまだ未知数の部分があったため、トータルで考えて18インチのDIREZZA β02を選んだのだ。

第3戦、松川と野村は単走で敗退してしまったが、石川は3番手で追走に進出した。石川は、ベスト16で見事な接近ドリフトを見せて和田に勝利すると、ベスト8では対戦相手の藤野にミスが出て準決勝に進出。準決勝でも相手の横井の判断ミスによる減点で勝利して、自身初の決勝進出を果たした。

決勝の対戦相手は2連勝中の目桑。最初の2本はお互いに高い接近ポイントをとったが、トータルで石川は0.6ポイント上まわった。しかし得点差が1.0以下の場合は決着がつかないルールのため、勝負は再戦に持ち込まれた。

これは不運だった。目桑は準決勝での相手のクラッシュにより、ここまでの走行が1本少なかった。この時点でタイヤの消耗が激しかった石川のマシンは、再戦の1本目で目桑に接触しハーフスピン。これが決め手で勝負は決まり、石川の初優勝はならなかった。

翌日の第4戦では、3人とも追走進出を逃してしまったが、第3戦の石川の準優勝により、猛暑でのドライ路面の審査区間が長いコースでダンロップタイヤはその性能を証明することができた。

毎年恒例となった筑波でのタイヤメーカー応援席。ダンロップタイヤのファンも集まってくれた。
第3戦決勝で目桑を追い詰める石川。しかし、わずかな運の差で優勝を逃してしまった。
第3戦で2位の表彰を受ける石川。自身D1GPでは過去最高順位だ。

第5戦、第6戦は、真夏の開催を避けて3ヵ月後の9月下旬に福島県・エビスサーキットで開催された。このサマーブレイク中のテストで、路面温度が高い状況でのドリフト走行ではDIREZZA β02のほうが性能が安定していることがわかったため、team DROO-PのHT DUNLOP 86もこのラウンドからは、18インチのDIREZZA β02で走ることに決めていた

この2連戦はダンロップ勢にとって受難のラウンドだった。前日の練習日に松川がコースアウトして横転し炎上するトラブルに見舞われたのだ。松川はこの2連戦をリタイヤ。

また野村はトランスミッションの破損に見舞われた。スペアに載せかえたものの、それも同じように破損。けっきょく野村はラウンド中にこの問題を解決できず、やはり2戦ともリタイヤとなった。

このラウンドからカラーリングを変更してきた石川は第5戦で単走敗退となったものの、第6戦は完成度の高い走りで単走を6位通過。追走では藤野と対戦し、接戦を演じたが、後追い時の姿勢の安定性の得点が低く、敗退。11位に終わった。

なお横転・炎上した松川車のダメージは深刻だった。team DROO-Pの松岡監督も、当初は廃車にすることを考えたが、SNSで「復活させてほしい」というメッセージが次々と寄せられたことで翻意。次戦オートポリスでの復活を目指すことを決意した。

公式練習日にクラッシュしたHT・DUNLOP・85。横転しただけでなく出火したため、ダメージは大きかった。
エビスラウンドでは野村のマシンのトランスミッションが何回も壊れ、原因は究明できないまま終わった。
第6戦ベスト16。藤野とお互いに接近ドリフトを見せた石川だが、わずかな差で敗れた。

第7戦、第8戦は、4週間後の10月下旬に大分県・オートポリスで開催された。この期間、エビスでクラッシュしたteam DROO-PのHT・DUNLOP・85はフレーム修正を受け、さまざまな部品を交換し、エンジンを組み直し、レースウィーク前ぎりぎりで復活を遂げていた。

松川は2戦とも追走進出はならなかったものの、進入で大きな角度を見せるなどして、マシンの復活をアピールした。

また野村車は、駆動系を見直し、補強も入れて、エビスでのトランスミッション破損は対策できていたが、残念ながら2戦とも単走敗退となった。

石川は第7戦を落としたが、第8戦は鋭い振りを見せて追走に進出した。追走ではベスト16でまたしても藤野と対戦し、後追いからは同時振りを見せたものの、先行でラインが小さくなるミスなどにより敗退。12位に終わった。

修復を受け、カラーリングを変更して第7戦に出走した松川車。多少のトラブルはあったがしっかり走りきった。
第8戦、振りやリズムなど、動きはよかった野村だが、ゾーンを外した減点により単走敗退となった。
第8戦のベスト16で、石川はまたしても藤野と対戦。若干のミスが出て敗退してしまった。

2025年最後の2連戦は11月に東京・お台場の特設コースで行われた。気温は低く、路面の凹凸も大きいという、タイヤにとっては過酷なコースだ。

第9戦、松川と野村は単走敗退となったものの、石川は8番手で単走を通過。追走トーナメントでは目桑と対戦した。1本目の先行時には目桑に近い距離でドリフトを合わせられ、2本目は後半に向けて距離を詰めたものの、進入でやや距離が離れていたこともあって逆転ならず。12位に終わった。

第10戦は翌日に行われた。松川は大きな角度を見せたものの、通過指定ゾーンの部分不通過などの減点があって単走敗退。野村も振りの鋭さが足りず追走進出はならなかった。

このラウンドでも順調に単走を通過した石川は、ベスト16で中村(龍)と対戦。1本目、石川は直線で離されてしまって後追いでのポイントがあまりとれなかった。2本目の先行時にもゾーン外し等のミスをしてしまって敗退。第10戦は13位だった。なお石川のシリーズ順位は14位だった。

最終ラウンドにのぞむ石川(左)、松川(中央)、野村(右)。お台場では3人とも大きなトラブルなく走りきった。
石川は第9戦、第10戦とも追走進出を果たしたが、ベスト16で敗退。上位進出はならなかった。

シリーズ終了後、野村圭市は「今年、うまくいった部分でいうと、足のつくり、セットアップに関しては、小橋選手(2020年D1GPチャンピオン)がサポートについてくれたこともあって理解が進んだと思っています。タイヤの性能を引き出せるような足のセットアップというのが、すごく勉強になりましたね。実際トップのひとたちを見ていると、そういう足のつくりをしているので、それに対応した乗りかたをしていかないといけないなっていうのもあるんですけど、スカイラインはほかにだれも乗ってないんで、データが少ないぶん、もっと研究が必要かなとは思います。

ダンロップタイヤに関しては、どこのサーキットに行っても……車速が高いサーキットでも、お台場みたいな、ちょっとギャップが多くて荒い路面でも、安定してグリップしてくれました。雨でも晴れでも関係なく。なので本当にいつでも安心して走れました。ただ、今年は追走に行けたのは1回だけだったので、来年はもっとがんばります」と語った。

野村は、2025年シーズンに初のポイント獲得を果たしたほか、ほかのラウンドでも“戦える”走りを見せた。

そしてteam DROO-P松岡監督は「今年はまず筑波の2位。あれがみんなの気持ちを変えたことは間違いなくて、本当に『勝てる』『勝つ可能性があるんだ』っていつでも思えるようになった。その後の戦いかたもやっぱりあれで変わったし、すごい大きな1戦だったと思います。エビスでのひっくり返って燃えた事件というのは、結果的にあれがあったことで、スタッフも、こんなにいっぱいファンがいるんだとか、こんなにいっぱい応援してくれる人がいるんだっていうのが、形で見えたのね。SNSとかで。その結果『それに応えなきゃ』って勇気づけられた。決していいことではないんだけれど、結果的にすごいいい経験をさせてもらった。プラスに働いたと思ってます。

今年は新しいチャレンジをしようと、最初は19インチのSP SPORT MAXX GT600というタイヤを投入して、追走にも残ったし、悪くなかったんですよ。ただ、路面温度が上がってくる時期のドリフトにはやっぱりβ02のほうがよかった。しかも筑波ではやっぱりβ02ですごい戦えたじゃないですか、けっきょく、なんかβを裏切ったような……β02に申し訳ない気持ちがあって。β02は本当にオレたちのために作ってくれたタイヤだとオレは思ってるから、やっぱりもうβ02を信じて、あのタイヤでもっと戦いたいってあらためて思えた1年だったと思っています。

じっさい、シーズンを通して、路面状況とか、気温とかによって、タイヤがあまり食わないという状況は当然あるんですよね。でも食わないからどうにもできないとか、食わないからなにかが起きてしまうっていう状況には1回もならなかった。それはダンロップタイヤのポテンシャルであったり発熱の速さがアドバンテージになったのは間違いないですね。ただ、ダンロップタイヤは雨が特に強いから、雨を期待してたんだけど、けっきょく1回もなかったね(苦笑)。でも今後ウエットは必ず来るはずだから、そこで神様が味方してくれる日が来ると思ってます」と1年を振り返った。

team DROO-Pの松岡監督。2025年はひさしぶりの優勝まであと一歩というラウンドもあり、手応えと悔しさが混在するシーズンとなった。

石川は準優勝を経験し、松川はクラッシュからの修復で結果的に車両がリフレッシュ。野村も初めて追走に進出し、ダンロップ勢は手応えをつかんだシーズンとなった。