全チーム共通のシャーシ

全日本スーパーフォーミュラ選手権は、1973年にスタートした国内トップフォーミュラレースの系譜を継ぐシリーズであり、現在の日本のみならずアジア圏における最高峰フォーミュラカテゴリーである。世界選手権フォーミュラ1(F1)の直下に位置づけられ、ヨーロッパで開催されるFIA F2と並び、F1への登竜門として重要な役割を担っている。
マシンは全チーム共通のシャーシ「SF23」を使用し、タイヤはヨコハマタイヤがワンメイク供給する。エンジンは2000cc直列4気筒ターボで、トヨタとホンダの2種類が用意されているが、性能は厳密に調整され、ほぼ同等である。すなわちスーパーフォーミュラでは、ドライバーの純粋な実力、チームの技術力、そして戦略が勝敗を左右する。毎戦、1000分の1秒を争う極めてハイレベルな戦いが展開されるシリーズである。
2025シーズンは昨年を上回る全12戦で構成された。Rd5オートポリスとRd8スポーツランドSUGOを除き、1大会2レース制が採用され、走行マイレージ増加を目的としたフォーマット変更が行われた。この変更がシーズン全体にどのような影響を与えるかも、注目点のひとつであった。
岩佐が初ポール・トゥ・ウィン


前半戦は、既報のとおりチーム・ダンデライアン勢が選手権を優位に進めた。シリーズ中盤の富士テストを挟み、後半戦突入となる第4大会富士では、Rd6でディフェンディングチャンピオンの坪井翔(チーム・トムス)が前戦オートポリスに続いて優勝。翌日のRd7では太田格之進(チーム・ダンデライアン)が勝利を挙げ、両陣営が一歩も譲らぬ展開となった。
第5大会Rd8はスポーツランドSUGOで開催された。残暑厳しい杜の都で、参戦2年目となる岩佐歩夢が初のポール・トゥ・ウィンを達成する。雨に見舞われた難しいコンディションのレースを的確にまとめ、年間王者争いへ本格的に名乗りを上げた一戦であった。
第6大会(Rd9・10)は再び富士スピードウェイが舞台となる。Rd9は豪雨の中、セーフティカー先導でスタートしたものの天候はさらに悪化。赤旗中断を経て、レースは14周で終了となった。予選トップだったサッシャ・フェネストラズが、嬉しいスーパーフォーミュラ初優勝となった。翌日のRd10は、予選終了後に濃霧が発生し、視界不良により回復の見込みが立たず決勝は中止。Rd10の決勝レースは、最終戦鈴鹿大会へ持ち越されることとなった。
ルーキーイヤーで優勝の快挙

最終第7大会の舞台は鈴鹿サーキットである。本来のRd11・12に加え、キャンセルとなったRd10を含む1大会3レースの強行日程となり、2025シーズン王者決定の場となった。ポイントでは坪井がリードしていたが、鈴鹿を得意とする2位の岩佐、3位の太田、4位の牧野任祐にも逆転の可能性が残されており、行方はまったく読めない混戦であった。
予選ではRd11・12ともに岩佐がポールポジションを獲得し、流れを引き寄せる。しかしRd11決勝ではスタートでやや出遅れ、3番手から好スタートを切ったイゴール・フラガと接触。無念のリタイアに終わった。優勝は今季初勝利となる野尻智紀。これによりポイントリーダーは依然として坪井のまま、岩佐と太田が僅差で追う緊迫した状況で最終日を迎える。
最終日は、まず富士で中止となったRd10の代替レースが行われた。見事なスタートを決めたのは2番手スタートのフラガで、ポールポジションの牧野を抜き去り、そのままトップでチェッカー。ルーキーイヤーにして初優勝という快挙を成し遂げた。3位には太田が入り、チャンピオン獲得の可能性を大きく引き寄せる。
過去最高の来場者数26万3900人

泣いても笑っても本当の最終戦となるRd12。ポールポジションからスタートした岩佐が、終始安定した走りで優勝を飾る。これにより大逆転で、岩佐は念願のドライバーズチャンピオンに輝いた。表彰式では、今シーズンのシリーズ名誉総裁を務めた遥子女王殿下より、遥子女王杯が授与された。チームチャンピオンは、牧野と太田が安定した速さを示したチーム・ダンデライアンが獲得している。
このように極めて高いレベルの戦いが繰り広げられた2025年全日本スーパーフォーミュラ選手権は、シーズンを通した公式戦の総来場者数が26万3900人に達し、過去最高を更新した。モータースポーツファンの関心が確実に高まっていることを示す数字である。
さらにシーズン終了後の12月10日から12日にかけて鈴鹿で開催された合同ルーキーテストには、WRCチャンピオンやマカオGPウイナーを含む有力若手ドライバーが参加し、国際的な注目度の高さも際立った。ドライバーラインナップなどは今後順次発表されていくが、2026シーズンに向けて期待は大きく膨らんでいる。
PHOTO/田村弥(Wataru TAMURA)

