連載
今日は何の日?■フェローMAXからMAXクオーレにバトンタッチ
1977(昭和52)年7月7日、ダイハツの軽新規格対応の「MAXクオーレ」が発売された。新規格に暫定的に対応したフェローMAX550に続いて本格対応したモデルで、その後「クオーレ」、「ミラクオーレ」となって、ダイハツの中核モデル「ミラ」へと進化した。

ダイハツ初の軽乗用車フェロー、そしてフェローMAX誕生

1958年に誕生した「スバル360」で日本の軽自動車市場は幕開け、各メーカーから立て続けに新型車が投入され、軽市場は一気に活況を呈した。そのような中、ダイハツが1966年に満を持して投入した軽乗用車第1弾が「フェロー」だ。

フェローは、リアにトランクを持つ3ボックススタイルに日本初の角型ヘッドランプを採用。搭載エンジンは最高出力23psの360cc 2気筒水冷2ストロークエンジンで、駆動方式はFRが採用された。

1967年に高性能で広い室内、おまけに低価格の「ホンダN360」が登場して爆発的な人気を獲得。ダイハツは、N360に対抗するため、1970年に初めてのモデルチェンジで2代目「フェローMAX」を投入。フェローMAXは、ロングノーズにカムテールを組み合わせたダイナミックな2ボックススタイルに変貌し、また車室内空間を確保するため、駆動方式はFRからFFに変更された。
ホンダN360が火付け役となった軽の高出力競争は1960年代後半に熾烈を極めたが、これに大きなブレーキをかけたのが、1973年のオイルショックと排ガス規制の強化だった。排ガス規制対応や安全性確保のために、政府は1976年1月に軽自動車の新しい規格(エンジン排気量360cc→550cc、全長+200mm、全幅+100mm)を施行した。

ダイハツは、この規格変更にいち早く対応し、エンジン排気量550ccの「フェローMAX550」を1976年5月に投入、同時に従来の水冷2ストロークから水冷4ストロークに変更。だが、フェローMAX550のボディサイズは新規格に対応せずに従来と同じだった。
新規格に本格対応したMAXクオーレ
1977年7月のこの日、フェローMAXはボディサイズを新規格に対応させた「MAXクオーレ」へとモデルチェンジ。長くダイハツの軽として親しまれたフェローの名はここで消えた。

MAXクオーレは、ボディの中心を左右に分割して中央部を拡幅、ホイールベースは変わらないが、全長を200mm、全幅を100mm拡大し、これにより室内長は30mm、室内幅は100mmほど拡大されて居住性は大きく向上した。さらに、ボディ各部の強化や遮音材の多用によって、従来の軽よりもワンランク上の静粛性も実現された。

パワートレインは、フェローMAX550と同じ最高出力31ps/最大トルク4.2kgmを発揮する550cc直2気筒水冷4ストロークエンジンと4速MTの組み合わせ、駆動方式はFFが踏襲された。
車両価格は、トップグレードの4ドアセダン「ハイカスタムEX」が69.7万円で、フェローMAX550の同グレードより6.4万円高額に設定。当時の大卒初任給は9.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約169万円に相当する。
その後進化し続けてダイハツの看板モデルのミラへと進化
MAXクオーレは、その後モデルチェンジして1980年に「クオーレ」を名乗った時に、アルトに対抗する形で兄弟車としてボンネットバン(商用車)の「ミラクオーレ」が誕生した。

アルトの一般的なハッチバックに対して、ミラクオーレはハッチバックながら“FF1.5ボックス”というレイアウトで、アルトとの差別化を図った。ミラクオーレはボンネットバンブームの後押しもあり、乗用車版のクオーレの販売台数を大きく上回り、アルトに負けない販売を記録してダイハツの大黒柱へと成長したのだ。

1980年代は、軽ボンネットバンブームで軽市場は活況を呈した。ところが、1989年に物品税が廃止されて消費税が導入されたため、商用車の割安感が少なくなり軽ボンネットバンブームは下降線を辿ることに。その後、アルトもミラクオーレ(その後、車名をミラに変更)は、軽乗用車セダンとなった。
その後、背の高いハイトワゴンブームが巻き起こり、ハイトワゴンが現在も主流となっているが、ミラとアルトは扱いやすい軽セダンとして依然人気を獲得している。
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フェローからクオーレ、そしてミラへと、ダイハツ軽の中核をなした3世代。1970年代中盤は、排ガス規制が強化されて軽自動車苦難の中で誕生したMAXクオーレ、エンジンとボディを大きくして上質に仕上げた、現在の軽自動車の原型となった軽である。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。