イタリアから日本へ!地球を半周した初代パンダを特別展示
第1回のリポートでも紹介した通り、今回のパンダリーノには2024年にユーラシア大陸を走破してイタリアから来日した「パンドゥーマ」(ファブリッツィオさんとサルヴォさんのチーム)の初代パンダが特別に展示された。

東京を目指していたパンドゥーマのふたりであったが、諸般の事情から旅の終着点を名古屋に定め、パンダを伴っての帰国が一時延期となったことで、しばらくの間、名古屋の『チンクェチェント博物館』に預かってもらっていたのである。

ファブリッツィオさんとサルヴォさんがこの旅を計画した背景には、ふたりの郷土・ヴェルチェッリ市の英雄であり、第一次世界大戦ではイタリア空軍のエースパイロットとして活躍し、第二次世界大戦後は「カロッツェリア・ロンバルディ」を起こしてレースで活躍したカルロ・フランチェスコ・ロンバルディが、1930年7月13日に達成した偉業があったという。

カルロ・フランチェスコ・ロンバルディ
(1897年1月21日生~1983年3月5日没)
1897年イタリア・ジェノバに生まれる。イタリアが第一次世界大戦に参戦すると、ロンバルディは予備役将校として陸軍歩兵連隊を経て航空部隊に転属。戦闘機パイロットとなった彼は第77a飛行隊に配属され、8機の敵機を撃墜してエースパイロットとなる。除隊後は実家の精米所を経営していたが、1930年にヴェルチェッリ~東京間を含む3度の長距離飛行に成功。その後、飛行機製造を経て自動車ビジネスに専念。第二次世界大戦後は「カロッツェリア・ロンバルディ」を設立し、1976年に工房が閉鎖されるまでフィアット車ベースのレーシングカーやチューニングカーを多数発表した。1983年没。
ロンバルディは1930年5月にフィアット航空部門が1928年に発売した複葉スポーツ機のAS.1のプロモーションのため、彼の住むヴェルチェッリ~東京間の最速空中飛行記録へのチャレンジを依頼されたのだ。第一次世界大戦では数々の叙勲を受け、豊富な飛行経験を持つロンバルディはこれを承諾。航空整備士のジーノ・カンパーニを伴って記録に挑み、見事9日間で東京に到着したのだった。彼のチャレンジからもうすぐ1世紀が経とうとすることに気付いたふたりは、ロンバルディが飛行したルートを今度は自分たちが陸路クルマで辿ることを思いついたのだ。

もちろん、ふたりが旅に使用するクルマはフィアット車しか考えられなかった。当初はファブリッツォさんの愛車であるヌオーバ・チンクェチェント(フィアット500L)を使用することも考えたそうだが、積載性や走行距離のことを考えて、燃費が良く丈夫な初代パンダを選んだそうだ。

50日間を費やしてユーラシア大陸横断!その距離じつに1万9200km!
こうして初代パンダとともにイタリアのヴェルチェッリを旅立ったふたりは、オーストリア、チェコ、ポーランド、リトアニア、ラトビア、エストニア、フィンランドと回ってロシアに入ったという。

本来の計画ではラトビアからロシアに入る予定だったそうだが、2022年に勃発したウクライナ戦争の影響で予定のルートが使えなくなり(ラトビアからロシアに入国するクルマは1日3台に限定されていたため)、急遽北欧回りでのロシア入りとなった。ロシアに入ったふたりは首都モスクワを通り、カザフスタンを抜け、モンゴルに入り、再びロシアに入国してからはアムール川沿いを進んでウラジオストクに到着した。そこから船で韓国に渡り、陸路朝鮮半島を南下して釜山からフェリーで下関に上陸した。

ふたりがドライブした初代パンダの走行距離はじつに1万9200kmにも達した。13か国を通過し、ほぼ50日を費やして14か国目の日本に到着した。地球を半周近く走る文字通りのグランド・ツーリングであった。その間、パンダは走行不能になるようなトラブルは起こらなかったという。さすがは旅行者の守護女神・エンパンダから名前をもらったクルマだけのことはある。

パンドゥーマの存在を知ったパンダリーノ実行委員会は、急遽関西方面のメンバーを招集して、通過点である姫路市内でふたりを暖かく出迎えた。パンダを囲んで1時間ほど盛り上がったあとは、ふたりの偉業達成を祝って居酒屋で祝杯をあげたそうだ。ファブリッツィオさんとサルヴォさんをはじめ、酒宴に参加した人たちにとっては忘れられない素敵な夜になったという。



Addio Giappone! 帰路を前に日本のパンダファンへの最後の暇乞い


それから約1年。名古屋でしばしの休息を得ていた初代パンダは、再びエンジンに火が入れられることになった。外国人旅行者が一時輸入した車両の国内滞在期限は1年となる。国外への搬出期限が迫り、6月末に日本を離れることが決まったのだ。


その前に日本のパンダファンへの暇乞いとして、車両を預かる名古屋のチンクェチェント博物館の図らいで、ユーラシア大陸を旅してきたパンダが、今回のパンダリーノに特別展示されることになったのだ。



6月末に名古屋を離れたこのパンダは、再び西へ向かって走り、韓国を経由して海路ウラジオストクに渡り、そこからモンゴルを目指すという。そこでしばらくの休眠期間に入ったあと、折を見て再びイタリアへ戻るとのことだ。パンドゥーマのふたりの道中の無事と良き旅路になることを心から祈りたい。



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