ここでしか見ることができないクルマも!? クルマ好きなら1度は訪れたい!

『福山自動車時計博物館』は地元の企業家でエンスージアストでもある能宗 孝(のうそう・たかし)氏が1960年代から収集したコレクションをもとにして、1989年に開館した自動車とアンティーク時計を中心にした公益財団法人「能宗文化財団」が運営する博物館である。

福山自動車時計博物館
所在地:広島県福山市北吉津町3丁目1-22
電話:084-922-8188
休館日:年中無休
営業時間:9:00~18:00
入場料:大人900円/中高生・65歳以上・障がい者600円/小人300円(毎週土曜日は高校生以下無料)

その規模はけっして大きくはなく、愛知県の『トヨタ自動車博物館』や石川県の『日本自動車博物館』とは比べるべくもない。そして、地方にある個人コレクションの博物館にありがちなことだが、施設名に「自動車」と「時計」の博物館を名乗っているものの、収蔵品は雑多かつ広範囲に及んでおり、火縄銃やモデルガン、コンロ、蝋人形、果ては小型レシプロ飛行機のバイパーPA28チェロキーまで展示されている。

写真中央の消防車は、1937年型日本消防製造機製造製の3輪ポンプ車。エンジンはフォード製のフラットヘッドV8を搭載する。四日市消防署常磐分団に配備されていた車両とのこと。

収蔵物は和時計や壁掛け時計、欧米の塔時計(タワークロック)を除くと、展示品にほとんど統一性がなく、目玉のクラシックカーも生産国・メーカー・年式・車種が雑多に並んでいる。館長のお気に入りのモノ、目について手に入れたモノ、縁あってこの博物館を終の住処としたモノが所狭しと展示されていて、館内はまるで玩具箱をひっくり返したかのようだ。

福山自動車時計博物館の和時計のコレクション。

そのようなクラシックカーと時計を中心に雑多なモノで溢れる館内はヴンダーカンマー(驚異の部屋)的な雰囲気を醸し出しており、この博物館ならではのユニークな個性となっている。

和時計とは江戸時代から明治初期にかけて日本国内で製造された時計のことをいう。当時としては大変高価な品で、大名や豪商でなければ所有することはできなかった。

これは筆者の勝手な想像だが、もともと館長は江戸時代から明治初期にかけて製作された和時計のコレクターだったのだろう。アンティーク時計に関して知識の乏しい筆者だが、和時計に関してはコレクションが大変充実していることが見て取れた一方で、古い懐中時計や腕時計などの身に付ける時計の展示が少ないことから間違いないと思う。

欧米の塔時計(タワークロック)のコレクションも充実している。

それが高度経済成長期のスクラップ&ビルドの中で、庶民が憧れた乗用車や仕事の良き相棒として活躍した商用車、生活を豊かにしてくれたさまざまな道具が古びたり、故障したり、役目を終えたりして、人知れず消えゆくことを不憫に思い、それらをひとつでも残そうと保存活動を進めているうちに一大コレクションとなったのではないだろうか?

石油コンロのコレクションもかなりのもの。

収集癖のある人なら共感を得られることだろうが、コレクションをはじめたときは、探しているものや欲しいものがなかなか手に入らず、たとえ手に入ったとしてもそれなりの金額を支払うことになるのだが、ある程度コレクションが充実してくると、今度は逆に「もらってほしい」とモノのほうから自然に集まってくる。仮に金銭の授受が発生するときでも、相場より安く手に入ることが多くなる。

火縄銃のほか古銃のモデルガンも展示されていた。

おそらく、『福山自動車時計博物館』のコレクションもそのようにして然るべきモノが然るべき場所に収まった結果なのだろう。そうしたことは博物館に陳列されている収蔵物を通じ、館長である能宗氏の人柄とともに感じらることである。

屋外には自動車のメカニズムを知るためのエンジンのカットモデルも展示。写真は初代クラウンのもの。

筆者が前回、この場所を訪れたのは、隣の尾道市で映画『男たちの大和/YAMATO』の実物大セットが一般公開されていたときのことで、その見学の帰りに立ち寄ったから、今から20年も昔のことになる。その間に展示物は何度か入れ替えが行われたようで、今回の訪問時には高級車や輸入車の展示がある一方で、庶民のアシとして活躍した大衆車や小型車の展示が大変充実していた。

もう1台のカットモデルはサイドバルブエンジンが搭載されていた。独特のバルブ構造が見られる貴重な展示だ。

しかも、この博物館がユニークなところは、乗って、触って、写真撮影ができる体験型博物館ということだ。もちろん、古いクルマなだけに扱いには注意が必要だが、展示車両の多くは運転席に乗ることができるのだ。

日本唯一の展示車両? クロスレー・ミゼットカー

『福山自動車時計博物館』を訪れると、最初に出迎えてくれたのが、屋外の入り口付近に並んで展示されていたロールスロイス20HPとフォード・モデルAだ。チケットを買って入場すると、受付のほど近くに展示されているのが1943年型クロスレー・レーシングカーであった。

受付近くに展示される1943年型クロスレー・ミゼットカー。説明書きには「クロスレー・レーシングカー」とある。

クロスレーは1939年にパウエル・クロスレー・ジュニアがオハイオ州シンシナティ(工場はインディアナ州マリオン)に興したアメリカでは珍しい小型車専門メーカーで、セダンやステーションワゴン、デリバリーバンなどを生産していた。

クロスレー・ミゼットカーのリヤビュー。戦時中、アメリカ国内では一切のモータースポーツが禁止されていたことから、製作は戦時中でも実際に走ったのは戦後のことだろう。

展示車両の説明書きには「クロスレー・レーシングカー」とだけしか書かれていないが、アメリカで1933年にはじまり、現在でも高い人気を誇るミジェットカーで間違いないと思う。このレースはダートもしくは舗装路のオーバルコースを舞台に、市販車の4気筒エンジンを使用した小さなレーシングカーで戦われる競技だ。

クロスレー・ミゼットカーは、当時のアメリカ車としては極めて先進的な0.72L直列4気筒SOHC「コブラ」エンジンを搭載。ヘッドはオリジナルではなく、レース用のものに換装されているようだ。

戦後型クロスレーには先進的な設計の0.72L直列4気筒SOHC「コブラ」エンジンが搭載されていた。これはもともとはB-17爆撃機の発電補助用としてロイド・テイラーが開発した銅と打ち抜き鋼によって製造された高効率エンジンで、戦後クロスレーが権利を買い取って乗用車用に改良したものである。軽量かつパワフルで、さらにスピードアップのためツインキャブやレース用ヘッドなどの装備を追加することも可能だった。

クロスレー・ミゼットカーのコクピット。

展示車両はワンオフのシャシー&ボディに、クロスレー製「コブラ」エンジンを搭載した車両で、1940~1950年代初頭に流行したスタイルで仕上げられている。日本国内ではなかなかお目にかかれないクロスレー、しかもミジェットカーが見られるのはおそらくココだけだろう。

アメリカ製の希少なクラシックカー・1915年型チャンドラー・ツーリング

さらに奥へ進むと1915年型フォード・モデルT・スピードスターと同年式のチャンドラー・ツーリングが仲良く並んでいた。モデルTについては今さら説明するまでもないだろう。もう1台のチャンドラーは日本国内ではなかなかお目にかかれない。

1915年型チャンドラー・ツーリング。

1913年に高級車メーカーのロジャー・モーター・カンパニーでデザイナーを務めていたフレデリック・C・チャンドラーによって設立されたこのメーカーは、中流層向けの高品質な乗用車生産で定評があった。

チャンドラー・ツーリングのオーナメント。

このメーカーで特筆すべきは、シフトダウン時のダブルクラッチの手間を軽減する常時噛合式ギヤボックス「トラフィックトランスミッション」を1924年に発表したことだろう。これはGMがシンクロメッシュトランスミッションを開発するよりも数年早かった。

チャンドラー・ツーリングのコクピット。

チャンドラーの最盛期は1927年で、このときに2万台を生産したのがピークだった。これ以降は無理な拡大政策が祟って赤字に転落。さらに1929年の世界恐慌による新車市場の縮小によって死命を制され、競合企業であるハップ・モーターカー・カンパニーに工場と製造施設を買収され、ブランドは廃止となったのだ(そのハップも1940年に廃業している)。

チャンドラー・ツーリングと並んで展示されていた1915年型フォード・モデルT・スピードスター。

戦後間もない広島で活躍した「バタンコタクシー」など
昭和の庶民に愛された国産車が充実

館内にはメルセデス・ベンツ170SDやプジョー203A、フォードGPW、ウィリス・ジープスター、などの外国車も展示されていたが、昭和の時代に庶民の生活を支えてきた国産大衆車や軽自動車、商用車がもっとも充実していた。

メルセデス・ベンツ170SDとプジョー203A。
ウィリスMBと共通の設計を持つフォードGPW。第二次世界大戦で連合軍勝利の原動力となった傑作小型四輪駆動車だ。
ウィリス・ジープスター。

初代フェアレディのような華やかなスポーツカーもあるにはあるが、14型やL113型ダットサン、初代トヨペット・クラウン、日野ルノー、スバル360などの庶民に愛された「民具」とでも言うべき国産車が展示車両の大半を占めている。

ダットサン・フェアレディ1200(SPL212)。北米への輸出仕様車として開発され、左ハンドルのみの設定となるが、ごく少数がこのままの状態で国内販売された。
14型ダットサン・2ドアセダン。
L113型ダットサン・4ドアセダン。
初代トヨペット・クラウン。
日野ルノー 。
三菱ミニカをはじめとした軽自動車。

そのなかでも充実していたのが商店の配送や小口配送を担っていたオート三輪で、ダイハツ・ミゼットやマツダK360、三菱ペット・レオのほか、終戦直後の焼け野原となった広島で活躍した「バタンコタクシー」ことマツダ号PB型三輪乗用車のタクシー仕様のような珍しい車両もあった。

マツダ号PB型三輪乗用車のタクシー仕様。戦後間もない広島で活躍した車両のリプロダクションで1987年にマツダ号PB型のオート三輪をベースに復刻された。

こちらの「バタンコタクシー」は1940年代後半から『広島タクシー』が使用していた車両のリプロダクションで、当時社長だった小野氏の発案でグリーンにペイントされた車体が特徴となる。

マツダ号PB型三輪乗用車のタクシー仕様のサイドビュー。運転席はドアのない開放式となるが、客室部分は密閉型のキャビンを採用している。

料金は当時市内一律50円だったという。生産台数は20台ほどで1955年頃まで活躍したそうだ。生産台数の少なさに加えて営業車として酷使されたことで、オリジナルの車両は残っていない。

マツダ号PB型三輪乗用車のタクシー仕様のリヤビュー。

展示車両は1987年に広島タクシー、元マツダ社員などの協力により、1952年式LB型3輪トラックをベースに半年かけて復刻したものだ。

マツダ号PB型三輪乗用車のタクシー仕様の運転席。操舵はオートバイと同じくバーハンドルで行うが、シフトチェンジはサドルの前に配置されたHパターンのシフトレバーで行なう。現在のトゥクトゥクと操作方法は同じ。

ほかにも1970年に大阪で開催された日本万国博覧会の会場で、場内運搬車両として活躍したダイハツDBC1型・3輪電気自動車など、ほかではなかなか見られない車両が散見される。

ダイハツDBC1型・3輪電気自動車。1970年のEXPO70で会場内の物資運搬(一説には万博内で配布されていた日経新聞の特別号とも言われている)に使用されていた車両だ。

また、屋外の展示スペースには消防車やトラック、バスなどの大型車両のほか、スペースの都合から館内には展示できなかった「縦グロ」こと3代目日産グロリア、2代目トヨタ・クラウン、初代三菱デボネアなどが並んでいる。

屋外の展示スペースで公開される「縦グロ」こと3台目日産グロリアや2代目トヨタ・クラウン、初代三菱デボネアなどの国産高級車。ほかにプリンス・グロリアもあった。これらの車両は無料で見学することができる。

その中には高知県自動車工業(のちにトクサン自動車工業へ改名)が生産した大型オート三輪のトクサン号もある。このクルマは現存数が極めて少なく、日本国内に現存する車両は『福山自動車時計博物館』が所蔵するこの1台だけとなるようだ。次回はトクサン号を紹介しよう。

その他にも貴重な展示車両の数々が!

ロールスロイス20HP。
フォード・モデルA2ドアセダン。外観の特徴から判断しておそらくは1930年型だろう。
初代トヨタ・コロナマークIIバン。1994年12月9日にオンエアされたテレビ番組『探偵! ナイトスクープ』にて、視聴者からの依頼でNox規制の影響で車検が継続できなくなった同車が福山自動車時計博物館に寄贈された。
ダイハツ・ミゼットDSA。
ダイハツ・ミゼットMP4。
マツダK360。
三菱ペット・レオ。
ダイハツSSR型三輪トラック。
マツダGA型三輪トラック。