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今日は何の日?■電動トップを備えたマーチ・カブリオレ
1997(平成9)年8月20日、日産自動車は1992年にモデルチェンジした2代目「マーチ」に、4シーターのオープンモデル「マーチ・カブリオレ」を追加した。手元のスイッチ操作で簡単に開閉でき、安全性も考慮した電動開閉式ソフトトップを装備したコンパクトなオープンカーとして注目を集めた。

世界戦略リッターカーを目指したマーチ(K10型)
1970年代後半、1977年のダイハツ「シャレード」や1979年のホンダ「シティ」の登場で、コンパクト市場は一気に活況を呈した。シャレードは、世界初の直列3気筒エンジンで注目された1.0Lエンジンを搭載し、リッターカーの先駆車とされている。シティは、1.2Lエンジンを搭載して背高ノッポの“トールボーイ”と呼ばれ、圧倒的に広い室内空間を持つ個性的なコンパクトカーとして若者から支持され大ヒットした。

この盛り上がったコンパクトカーブームに対応して、日産は1982年10月に初代マーチ(K10型)を投入した。初代マーチは、内外装を著名なデザイナーのジウジアーロがデザインし、洗練された親しみのあるハッチバックスタイルと運転のしやすさが特徴だった。
パワートレインは、最高出力57ps/最大トルク8.0kgmを発揮する日産初のアルミ製1.0L直4 SOHCと4速/5速MTおよび3速ATの組み合わせで、駆動方式はFF。初代マーチは、欧州でも「マイクラ」の車名で販売され、日本と同様、欧州でも人気を獲得した。
日欧でカー・オブ・ザ・イヤーの栄光に輝いた2代目(K11型)
1992年1月、マーチは初めてのモデルチェンジで2代目に移行した。2代目は本格的な世界戦略車として、海外市場向けマイクラは英国サンダーランド工場で生産された。

2代目マーチは、プラットフォームやエンジンなどすべてを一新。サイズは、初代に対して全長は40mm短縮、全幅は25mm拡大、全高は40mm下げ、その上でホイールベースは60mm長くして室内空間の拡大と走行安定性の向上を図った。スタイリングは先代と同じ5人乗りの3ドア/5ドアハッチバックだが、初代が直線基調だったのに対し、2代目は一転して曲面豊かな角が取れた丸みのあるものとなった。

パワートレインは、新開発の58ps/8.1kgmの1.0L、79ps/10.8kgmの1.3L直4 DOHCの2種エンジンと5速MT/4速ATおよびCVTの組み合わせ、駆動方式はFFである。その他、パワーステアリングやエアコン、テールゲートオープナー、電動ミラー、パワーウインドウをほぼ全車に標準装備するという具合に、実用的なファミリカーとしての完成度が高められた。
2代目マーチは1992年の“日本カー・オブ・ザ・イヤー”に加え、日本車としては初となる“欧州カー・オブ・ザ・イヤー”も受賞。2代目マーチの実力、完成度の高さが世界で認められたのだ。
お洒落なコンパクトオープンのマーチ・カブリオレ(FHK11型)登場
1995年の東京モーターショーで、日産はマーチベースのオープン仕様を参考出品して大きな注目を集めた。その市販化の要望に応えるかたちで、2年後の1997年8月のこの日、マーチ・カブリオレは市場に投入された。





注目のソフトトップは、センターコンソールにあるスイッチで開閉できる電動タイプ。小型車であるため、下ろした時にトランクにすべてを収納することはできず、後部座席の後ろにトノカバーをかけた上で折りたたむ方法が取られた。インテリについては、明るく爽やかなシートクロスを採用することで、街中をお洒落に走るイメージが強調された。



パワートレインは、1.3L直4 DOHCエンジンのみで、トランスミッションは5速MTおよびCVT。車重は、オープンにするためのボディ各部の補強や電動開閉システムの搭載などで、ベース車が800kg~840kgであるのに対して920kg~930kgと約100kg重くなった。

車両価格は、169.8万円(5速MT)/179.6万円(CVT)に設定。ベース車の1.3Lモデルが122.4万円(5速MT)/132.2万円(CVT)なので、オープン化で約60万円高額となっている。ちなみに、当時の大卒初任給は19.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値でマーチ・カブリオレは、200万円/212万円に相当する。

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マーチ・カブリオレは、希少なリッターカーのオープンモデルとして注目を集めたが、オープンモデルそのものがマニアのためのクルマなので日本での販売台数は限定的だった。むしろ、オープンカーの先進国である欧州や海外で人気を集めた。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。
