初代RZとTZRのツナギではない?

少し前に40代前半の同業者と1980年代の2ストに関する話をしていたら、「RZ-Rって、初代RZとTZRのツナギみたいなもんですよね?」と、疑問とも感想ともつかない言葉が出てきた。その言葉に僕はかなりの違和感を覚えたものの、改めて考えてみると、1983年から発売が始まったRZ250R/350Rが、1980年に登場した初代RZ250/350と1985年にデビューしたTZR250(1KT)の中間的な資質を備えていたのは事実である。

とはいえ、ツナギという表現は適切ではないだろう。何と言ってもRZ-Rは、初代RZともTZR250とも異なる魅力を備えていたのだから。もっとも、1970年代末に消えかかっていた2ストロードスポーツの火を再燃させた初代RZ、抜群の運動性能で1980年代中盤の2ストレーサーレプリカ市場をリードしたTZRと比較すると、RZ-Rには素性を語るコレといった言葉が存在しないような気はする。そこで、今回から3回に分けて掲載する当記事では、RZ-Rの魅力をじっくり掘り下げてみることにした。

前任と後任に負けず劣らず画期的

本題の前に大前提の話をしておくと、初代RZ、RZ-R、TZR250は、1959年型YDS1に端を発し、YDS2/3→DS→DX→RDと進化してきた、ヤマハ2ストパラレルツインロードスポーツシリーズの一員である。

そして前任のRDとは異なる初代RZの特徴は、市販レーサーTZ譲りの水冷機構やモノクロス式リアサスペンション、ヘッドパイプとスイングアームを直線的に結ぶフレーム、火炎をイメージしたキャストホイールなどで、RZ-Rとは似て非なる路線に進んだ初代TZRのセールスポイントは、GPレーサーYZR500が規範のアルミ製デルタボックスフレーム、前後17インチの中空3本スポークホイール、吸気形式をピストンリードバルブ→クランクケースリードバルブに改めたエンジンなど。言うまでもなく、それらは当時としては画期的な装備だった。

ただし画期的という見方をするなら、RZ-Rも負けてはいなかったのだ。最大の注目要素は、常用域の扱いやすさと高回転域の吹け上がりを両立するべく、エンジンに導入された排気デバイスのYPVSと、飛躍的に向上した最高出力だが(250:35→43ps、350:45→55ps)、初代RZ以上にTZに近づいたワイドなフレーム、バリアブルダンパーを内臓するフロントフォーク、ボトムリンク式リアサスペンションなど、前任・後任と同じく、RZ-Rも見どころが満載のバイクだったのだから。


いずれにしてもRZ-Rは、初代RZとは別物なのである。昨今では車名から推察して、初代RZの上級仕様?という誤解をする人がいるようだけれど、エンジンやフレームだけではなく、ほとんどのパーツを新規設計したRZ-Rは、初代RZとは次元が異なる運動性能を獲得していたのだ(もちろん、それはTZRにも言えることだが)。

1983~1985年にクラストップの人気を獲得

RZ-Rの現役時代を振り返って最も興味深いのは、初代RZの爆発的な人気に刺激を受け、他社からアルミフレーム/ハーフ・フルカウル/フロント16インチ/アンチノーズダイブ機構/セパレートハンドルといった新機軸を装備する2ストレーサーレプリカが続々と登場したにも関わらず、ヤマハの優位が揺るがなかったこと。

具体的な車名を挙げるなら、1983年にスズキRG250Γ、1984年にはホンダNS250RとカワサキKR250がデビューしたものの、1983~1985年の軽二輪クラスにおける2ストの販売台数トップはずっとRZ-Rだったのだ(当時の軽二輪クラスにおける販売台数の総合トップは、1981年はRZ250、1982~1985年は4ストVツインのホンダVT250シリーズで、1986年はTZR250)。

その一番の理由は、価格の安さという説がある。確かに、RG250Γの46万円、NS250Rの53万9000円、KR250の49万8000円と比較すれば、RZ250Rの39万9000円、RZ350Rの45万8000円という価格に、敷居の低さを感じたライダーは大勢いたに違いない。でもそれ以上に重要な要素は、峠道やサーキットでライバル勢より速く、それでいて街乗りやツーリングに普通に使える万能性を備えていたからではないだろうか。

逆に言うなら、新機軸を随所に盛り込んだライバル勢に未完成なところがあったのに対して、スチールダブルクレードルフレーム/前後18インチ/バーハンドルというYDS1以来の伝統を踏襲し、カウルをビキニタイプ、フロントフォークをオーソドックな構成としたRZ-Rは(ただしライバル勢の動向を意識して、1984/1985年はハーフカウルやセパハンを装備するRZ250RRを併売)、全面新設計車でありながら、抜群の完成度を備えていたのだ。
歴史に名を残す名車

そしてもうひとつ、RZ-Rの現役時代で興味深いのは、1985年に新世代の2ストパラレルツインレーサーレプリカとしてTZR250が登場した後も、堅実な熟成を行いながら、1980年代末まで販売が続いたこと(RZ350Rの国内仕様は1984年型を最後にカタログから姿を消したが、海外では1990年代中盤まで現役を継続)。言うまでもなく、それは異例のことで、おそらく当時のヤマハ社内には、“誰もがレーサーレプリカを欲しているわけではない”、“ベーシックな2ストロードスポーツの販売を続けなくては”、という意識があったのだろう。

なお1990年にはRZ-Rの後継として、新規開発のトラスフレームに初代TZR250用エンジンを搭載するR1-Zが登場したのだが、R1-ZがRZ-Rの本当の意味で後継車なのかと言うと、それはなかなか微妙なところ。と言うのも、改造範囲がかなり幅広く、国内外のメーカーが数多くのチューニングパーツが販売しているRZ-Rと比較すると、R1-Zは手を入れる余地が少ないのだ。

いずれにしても、RZ-Rはツナギなどという言葉で語れるモデルではないのである。と言うより、現役時代にクラストップの座を獲得し、長きに渡って生産が続き、現在でも世界中の多くのライダーから愛されているRZ-Rは、初代RZや初代TZRと同様に、ヤマハ2ストパラレルツインロードスポーツシリーズの歴史を語るうえで欠かせない名車……と、僕は感じているのだった。


