ロゴマークをグリルに刻んだElettrica

アルファロメオではグリルを「スクデット=盾」と呼ぶほど、戦士の盾をモチーフとする逆三角形グリルに長い伝統を持つ。そこは今回のジュニアも同じなのだが、Elettricaは黒いスクデットに同社のロゴマークを彫り込んだ。これは初めてだ。

ロゴマークは創業当時から少しずつ変化してきたが、左に創業地であるミラノ市の市章に由来する白地に赤い十字、右にかつてミラノ一帯を支配したヴィスコンティ家の紋章(人を食べている大蛇の図柄)を配置するのは変わらない。それを、よりシンプルに、グラフィカルに表現したのがElettricaのスクデットである。

Elettricaのフロントグリル。

ジュニアの日本デビューのために来日したアルファロメオのエクステリア・チーフデザイナー、ボブ・ロムケスはこの前例のないスクデットについて、「フル電動の新しい時代に向けた移り変わりを表現するもの」と説明。「大胆なデザインで変化を表明することが大事だと考えた」と補足した。

ミラノからジュニアへの車名変更

ここで思い出すのが、昨年4月の騒動だ。4月10日、ミラノでワールドプレミアされたときの車名は「Milano=ミラノ」だったが、イタリア政府がクレームを出した。外国製品にイタリア製と誤認させるような名前を付けるのは、法律違反だというのだ。生産工場はポーランド。国内の雇用を守りたい政府の意向が背景にあったのだろう。

アルファロメオの反応は速かった。5日後の15日、「ミラノはOKじゃない? それならジュニアだ」と題したプレスリリースを発表。ミラノの車名は合法とのスタンスを示しながらも、ジュニアに変更すると明らかにした。そこに添えられたジャン-フィリップ・インパラートCEOのコメントによれば、「私たちの製品がいつも喚起してきたポジティブな感情を維持し、いかなる種類の論争も避けるために、変更を決断した」とのことだ。

1965年のGT1300ジュニア。76年まで生産されるロングセラーだった。

ちなみにジュニアの車名は1965年のGT1300ジュニアから取ったもの。ジウジアーロがデザインしたクーペボディに1.6Lを積むジュリエッタ・スプリントGTが成功し、より若い顧客層に向けてエンジンを1.3Lに換えて価格を抑えたのがGT1300ジュニアだった。アルファロメオのエントリーモデルという位置付けは、新型ジュニアも同じだ。

残念ながら発表会で、ミラノという車名を前提にElettricaのスクデットをデザインしたのかどうかを、ボブ・ロムケスに質問しなかった。アルファロメオに限らず、新規車種のネーミングが決まるのはデザインワークが終わってからというのが通例だから、いささか愚問にすぎると自重したのだ。もしかしたら、ミラノ市を象徴するロゴマークがグリルに彫り込まれていることが、当初の車名選択を後押ししたかもしれないが…。

いずれにせよ、根底にあるのは「ミラノ愛」だ。騒動の5ヶ月前、23年12月に「Milano=ミラノ」の車名を発表したとき、アルファロメオは「(この車名は)1919年6月24日にすべてが始まった(創業した)街への、純粋なトリビュートだ」とした上で、ミラノ市について「ファッションやデザイン、音楽の分野でいつも大事な文化的役割を果たしてきた」と紹介していた。

創業の地であるミラノ、ロンバルディア公国の首都から国際的な文化都市に発展したミラノ。今やアルファロメオの開発拠点も工場もないが、生まれ故郷がブランドイメージの原点であることに変わりはないのだ。

インパラートCEOのブランド戦略

2021年1月に旧PSAと旧FCAが合併してステランティスが誕生。旧PSAのCEOからステランティスCEOに就いたカルロス・タバレスは、旧フィアットグループのフィアット、アルファロメオ、ランチアのCEOを新たに任命すると共に、彼らに10年スパンの経営計画を立てることを求めた。焦点のひとつはブランドの強化だ。

アルファロメオ 33ストラダーレ

このときアルファロメオのCEOに就任したのがジャン-フィリップ・インパラート。彼はまず、2023年8月に33ストラダーレを発表した。その名が示すように、67年に生まれたティーポ33ストラダーレの名声を現代に蘇らせるスーパースポーツだ。620psのV6ツインターボを搭載し、僅か33台の限定生産。発表と同時に33台が売約済みとなった。

1967年のティーポ33ストラダーレ

かつてのティーポ33ストラダーレは既存レースカーのティーポ33をベースとしており、その名声はフランコ・スカリオーネの手になるデザインによるところが大きい。カーデザイン評論家である筆者にとって、自分の眼で見たことがあるすべてのクルマのなかで最も美しいと断言できる存在だ。

そんな不世出なデザインと、マセラティMC20の初期開発(もともとはアルファのプロジェクトだった)で得ていたエンジニアリングの知見を組み合わせ、発展させて、新生アルファロメオのイメージリーダーとして誕生したのが33ストラダーレ。今後もスポーティさやドライビングの愉しさをブランドの中核に置くというマニフェストでもあった。

ちなみにステランティスの発足を機に旧フィアットグループではデザインのトップ人事も行われ、アルファロメオのデザインディレクターにはスペインのセアトからヘッドハンティングされたアレハンドロ・メゾネロ-ロマノスが21年7月に着任。前出のエクステリア・チーフデザイナー、ボブ・ロムケスはDSブランドから22年10月に異動してきた。33ストラダーレは彼らのアルファロメオでの第1作ということになる。

新型ジュニアのデザインスケッチ。

しかし経営的に見れば、もっと大事なのが今回のジュニアであることは言うまでもない。ミトが2018年に、ジュリエッタが2020年に生産打ち切りになり、欧州で需要の大きいBセグメント車がアルファロメオから消えていた。「Milano=ミラノ」の車名発表に際して、インパラートCEOはこんなコメントを出していた。

「ミラノはすべてのアルフィスタ(アルファのファン)にとって、『おかえりなさい』の象徴になることを意図したモデルです。ミトやジュリエッタのオーナーの皆さんは、アルファロメオへの愛を確認したかったことでしょう」

ミトやジュリエッタの生産打ち切りで疑心暗鬼になっていた人たちに、「アルファロメオが帰ってきた」と安心してほしい。だからこそネーミングとスクデットのデザインに、「ミラノ愛」を込めたのだろう。ただ、デザイナーたちがスクデットにもうひとつの秘策を打ち出したことも見逃せない。

ふたつのスクデット:LeggendaとProgresso

Ibridaのフロントグリル

Elettricaのスクデットにロゴマークを彫り込む一方で、マイルドハイブリッドのIbridaはまったく異なるスクデットを備える。メッシュグリルに「Alfa Romeo」の文字を配したIbridaのグリルは、戦前のアルファロメオに回帰するデザインだ。

1931年の8C 2300

アルファロメオが初めてスクデットを採用したのは1930年代半ばのこと。それ以前のグリルは、同時代の他車と同様、基本的にラジエーターを保護するカバーであり、デザインにこだわる対象ではなかった。20年代になると、そこに「Alfa Romeo」の文字を入れる例が出始める。

1937年の8C 2900B Lungo Spider。ボディはカロッツェリア・ツーリング製。

そして、スクデットが誕生。縦長形状で、上端はボンネットに合わせて丸みを付け、下端は尖っている。多くの場合、「Alfa Romeo」の文字を入れていた。当時のアルファ車の多くは、ツーリングやザガートなどミラノのカロッツェリアが独自にボディをデザインし、架装していたから、せめてグリルでメーカー名をアピールする必要があったのだろう。

スクデットがアルファの目印として定着したのは戦後の50年代からだ。当初は今より縦長の比率だったが、スクデットの上端もしくは直上にロゴマークを置く作法も50年代に確立。それにともなってスクデットから文字が消えた。今回のIbridaのスクデットに「Alfa Romeo」の文字が配されたは、少なくとも70年ぶりの復活ということになる。

ジュニアのデザイナーたちは、Ibridaのスクデットを” Leggenda”(伝説)、 Elettricaのそれを” Progresso”(進歩)と呼ぶ。自社の伝統を大切にしながら前進していくという彼らのスタンスを、この2つの異なるスクデットが象徴しているのだ。