インボードディスクの構造は?

ホンダの資料によれば、インボードディスクとは、「ホイールハブの内部にディスクプレートを内蔵し、その内周部からブレーキキャリバーではさみつける構造」を持つディスクブレーキのことだ。

一般的なディスクブレーキが、ディスクプレートをホイールハブの外側に取り付けていて、その外周部からブレーキキャリバーではさみつけて制動力を得る構造とは異なるといえる。

また、外周にはディスクカバーも採用。カバーには、走行風を採り入れるエアインテークや排出用のエアダクトも設け、ディスクプレートを効果的に冷却。ほかにも、ホイールハブ内への小石などの飛び込みを防止するため、ガードプレートなども設けられていた。

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インボードディスクを世界初採用したホンダ・CBX400F(1981年)

狙いは鋳鉄製ディスクプレートの採用

さらに、インボードディスクの場合、ディスクプレートには、従来のディスクブレーキと異なる材質を使っていた。それは、鋳鉄だ。

バイクの量産車で、油圧式ディスクブレーキを初めて採用したのは、1969年に登場したホンダ・CB750フォアだ。その後、油圧式ディスクブレーキは、1970年代にかけて急速に普及が進んでいく。

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ホンダ・CB750フォア(1969年)

そして、当時のディスクプレートは、現在と同様、ステンレス製が主流だった。ただし、今のように表面にスリットや穴などがない仕様だった。おそらく、切削加工などの技術がまだ進んでいなかったためだろう。

そのためか、登場初期のディスクブレーキは、雨が降るとプレート表面に水膜ができて制動力が低下。また、頻繁にブレーキをかけると、熱を持ったディスクが歪み、性能やタッチなども落ちるといった問題があったのだ。

そこで、ホンダは、当時、ステンレス製より制動力が高いといわれた鋳鉄製ディスクプレートに着目。鋳鉄製ディスクプレートは、当時から4輪車では一般的だったが、錆びやすいため、ブレーキもスタイルを生む装備のひとつである2輪車では、採用しにくい材質だった。そのため、ホンダは、フルカバードにすることでそれに対応。高い制動力と、見た目のかっこよさを両立させたのがインボードディスクだったといえる。

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CBX400Fに初搭載されたインボードディスクは、制動力と見た目の良さを両立した機構といえる

80年代のホンダ車に次々と搭載

そんな背景の中、インボードディスクは、1981年登場のCBX400Fに世界初搭載されたのを皮切りに、次々と新型車に採用された。

とくに、1982年は数多くのインボードディスク搭載車が登場。CBX400Fのフルカウル版「CBX400Fインテグラ」や550cc仕様の「CBX550Fインテグラ」、4スト・250ccの「VT250F」、400cc・V型4気筒の「VF400F」などだ。また、1983年には2スト・250ccの「MVX250F」にも採用し、搭載モデルをいっきに拡大した。

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ホンダ・CBX400Fインテグラ(1982年)
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ホンダ・CBX550Fインテグラ(1982年)
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ホンダ・VT250F(1982年)
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ホンダ・VF400F(1982年)
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ホンダ・MVX250F(1983年)

なお、これらモデルには、同じくCBX400Fから新採用した「ブーメラン型スポーツコムスターホイール」も採用。そして、インボードディスクとこのホイールとのマッチングは、その後、ホンダ車の代表的装備のひとつと呼べるほど代表的となった。

愛車MVX250Fでも良好な効きを実感

実は、筆者も、大学生時代にMVX250Fを所有し、リアルタイムでインボードディスクを体験したライダーのひとりだ。

筆者が、初めて所有した自動二輪車がMVX250F。249cc・水冷90度V型3気筒エンジンを搭載するこのモデルは、当時、フレディ・スペンサーなど人気レーサーが駆るホンダWGPワークスマシン「NS500」のレプリカマシンとして登場。VT250Fなどと同じミニカウルなどを装備したスタイル、フロント16インチホイールなどが特徴のモデルだった。

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ホンダWGPワークスマシン「NS500」の市販レプリカバイクとして登場したMVX250F

そんなMVX250Fのフロントホイールにも採用されたのがインボードディスク。当時を思い出してみると、足元がかなりゴツい印象があり、個人的には好きなポイントのひとつだった記憶がある。

ちなみに、2ストロークマシン全盛期の当時は、とある都市伝説もあった。それは、

「2ストマシンの後ろを走ると、(車体後方に出される)排気ガス内のオイルが自分のバイクのフロントディスクブレーキに付着し、急にブレーキが効かなくなる」

といったものだ。真偽のほどは定かではないが、「フルカバードのインボードディスクなら、そんな心配は無用なはず」と、妙に安心したことを覚えている。

ちなみに、フロントブレーキの性能自体は、いたって普通な感じだった。効き、コントロール性ともに良好で、特に問題点はなかったと思う。

ただし、フルカバードのディスクブレーキは、バイク初心者だった筆者にとって、とても自分でメンテナンスする気にはなれなかった。実際、インボードディスクでは、ブレーキパッドの交換でも、ホイールの脱着が必要だったと聞くから、とても自分でできる作業とは思えなかったのだ。

MVX250F自体は、北海道ツーリングなどでも乗り、総走行距離はかなり長かったと思う。だが、主なメンテナンスは結局バイク屋さん任せ。特に、ブレーキ関係は、一度も自分でやることなく、手放したと思う。

なぜ短命に終わったのか?

そんなインボードディスクだが、前述の通り、実は短命に終わったブレーキシステムだった。おそらく、最後に搭載したのは、1986年に登場した3代目のVT250Fだった気がする。

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3代目VT250F(1986年)

しかも、そのTV250Fですら、1987年には、通常のディスク露出タイプのダブルディスクブレーキ仕様車を追加。インボードディスク仕様車も一時期併売されたが、徐々に消滅の運命をたどっていった。

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1987年に追加されたVT250Fのダブルディスクブレーキ仕様

インボードディスクが廃れた背景には諸説あるが、そのひとつが、筆者も体験したメンテナンス性の悪さだろう。前述の通り、インボードディスクでは、ブレーキパッドの交換でも、ホイールの脱着が必要。これは、かなり面倒だった点だといえる。

ちなみに、最近、行きつけのショップで、レストア中のCBX550Fインテグラを見かけたのだが、作業はかなり大変そうだった。それもそのはず、MVX250FやVT250Fなどは、フロントシングルのみインボードディスク(リアブレーキはドラム式)。対するCBX550Fインテグラは、前後共にインボードディスクを採用。しかも、フロントは、ダブルのインボードディスクで、ショップの話だと、一般的なダブルディスクのフロントホイールと比べ、かなりの重さ。脱着だけでも、かなり苦労するとのことだった。

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フロントにダブル、リアにシングルのインボードディスクを装備したCBX550Fインテグラ

ブレーキ過渡期のユニークな機構!

また、外部露出型のオーソドックスなステンレス製ディスクブレーキが、性能的に鋳鉄ディスクを使うインボードディスクと同等か、それ以上になったことも背景にあるだろう。

より薄くできるなどの材質面、放熱用のスリットや穴を加工できるようになるなどの技術面の両方で進化。さらに、ブレーキパッドの性能向上などとも相まって、トータル的に、メンテがしにくく、コストもかかるインボードディスクを採用するメリットが少なくなったことが要因だといえる。

まさに、バイク用ブレーキの過渡期に登場したのがインボードディスク。短命であったにせよ、そのユニークさは当時を知る筆者などにとって、今でも高い存在感を持つバイクの機能のひとつだといえるだろう。

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短命だったがユニークさは満点だったのがインボードディスク(写真は1982年式VT250F)