連載
今日は何の日?■比較的若い層をターゲットにした4ドアセダンのセフィーロ
1988(昭和63)年9月1日、日産自動車は当時一世を風靡していたハイソカーを意識した4ドアセダン「セフィーロ」を発売した。ライバルはトヨタ「マークII」3兄弟であり、対抗するためにメインターゲットを30代前半に設定し、S13型シルビアを彷彿させるようなスタイリッシュなフォルムが魅力だった。

マークII 3兄弟の対抗馬としてセフィーロ登場
日本がバブル景気で浮かれ始めた1984年、“マークII 3兄弟”が同時にモデルチェンジして、5代目「マークII」、3代目「チェイサー」、2代目「クレスタ」がデビューした。3兄弟は、4年間で115万台という驚異的な販売台数を記録して、ハイソカー旋風を巻き起こした。

3兄弟の見た目に大きな違いはなかったが、マークIIは落ち着いた雰囲気の高級セダン&ハードトップ、チェイサーは高級感あふれるスポーツセダン、クレスタはスタイリッシュな高級パーソナルセダンというキャラクターの違いがあった。
一方で日産は、トヨタのマークII 3兄弟に対抗するために、基本コンポーネントを共用する兄弟車である年齢層が高くなった6代目(C33型)ローレルと、やや販売が伸び悩んでいたスポーティなスカイライン(R32型)を補強する目的でセフィーロを加えた。いわば、日産の3兄弟というわけだ。
セフィーロは、30代前半の楽しさや美しさを重視するプレミアム志向の若者層をメインターゲットにした。そのため、開発コンセプトはスタイリッシュなエクステリアとお洒落なインテリア、ゆとりの走りの3点を高次元でバランスさせることだった。
シルビアのセダン版のようなスタイリッシュなセフィーロ

1988年9月のこの日にデビューしたセフィーロは、バリエーションを持たせず4ドアセダンのみで、スタイリングは当時人気絶頂だったS13型シルビアのセダン版のようなスタイリッシュでエレガントな雰囲気を漂わせていた。マークIIのような直線基調でなく曲面を多用し、特に2分割のスリットを持つ透明プラスチック製のグリルとフォグライトなどの補助灯を含む6灯式(ヘッドランプは小径プロジェクター式)が斬新だった。

パワートレインは、最高出力205ps/最大トルク27.0kgmを発揮する2.0L直6 DOHCインタークーラー(IC)ターボエンジンを筆頭に、2.0L直6 DOHCおよび2.0L直6 SOHCの3種と、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。駆動方式はFR、遅れて4WDも用意された。多くのメカニズムをローレルやスカイラインと共用していたので、走りの完成度は高かった。

また、エンジンとサスペンション、トランスミッション、内装生地、内外装カラーなどを好みに応じた組み合わせで注文できる「セフィーロ・コーディネーション」という販売方式も話題を呼んだ。
車両価格は、5速MTの標準グレードで248.5万円(2.0L DOHC)/277.0万円(2.0L DOHC ICターボ)。当時の大卒初任給は15.8万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約362万円/403万円に相当する。

セフィーロはスタイリッシュなデザインや走りが評価されたが、いろいろな面で斬新すぎたのか、販売では王道を行くマークII 3兄弟には敵わなかった。


その後3代目で幕を下ろしたセフィーロ


1994年8月には、セフィーロは国内外で販売されていた「マキシマ」と統合されて2代目となった。先代のスタイリッシュで斬新なFRセダンから、ラージFFセダンへとコンセプトを変更した。2代目セフィーロは、アッパーミドルセダンとして、セドグロほど高級車ではないが、ローレルやスカイラインよりは居住性に優れ、それでいてリーズナブルな価格という、ちょうどいい高級FFセダンとしてヒットモデルとなった。

そして1998年12月には、2代目のキープコンセプトの3代目へ移行した。3代目も、まずまずの販売を続けたが、2003年初頭にはローレルと統合されて生産を終了。これで、セフィーロはラインナップから消え、実質的な後継車として「ティアナ」が後を継いだ。
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初代セフィーロは、スカイライン譲りの走りやシルビア譲りの華麗なデザイン、そして伝統の直6エンジン搭載のFRセダンという、売れるクルマの要素を持っていたにもかかわらず、販売はパッとしなかった。かつての日産の人気アイテムが時代の変化とともに通用しなくなったこと示しているのかもしれない。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。