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今日は何の日?■ハッチバックとセダンで個性を分けた7代目シビック
2000(平成12)年9月14日、ホンダはよりワールドカーとしての性格を特徴づけた7代目「シビック」をリリースした。ハッチバックとセダンの2種で構成され、ハッチバックは主として居住空間を重視した欧州向け、セダンの「フェリオ」は落ち着いた上質感を重視した米国向けとして棲み分けされた。


日本を代表するコンパクトカーに成長したシビック

初代シビックは、1972年にデビューした。2ドアファストバックのコンパクトカーとして低燃費と小気味よい走りを両立し、世界中で大ヒットした。発売翌年には、当時世界一厳しい排ガス規制“通称マスキー法”に世界で初めて適合したCVCCエンジンを搭載して一躍世界的な名車となった。

その後も、2代目(1979年~)の“スーパーシビック”、3代目(1983年~)の“ワンダーシビック”、4代目(1987年~)の“グランドシビック”、5代目(1991年~)の“スポーツシビック”、6代目(1995年~)の“ミラクルシビック”と世代ごとに付けられたユニークな愛称で、日本を代表する人気コンパクトカーとして君臨してきた。
カローラのやや保守的なイメージに対して、シビックはつねに時代を先駆ける若さと先進性をアピールしてきたのが特徴だ。

ハッチバックとセダンで構成される7代目シビック

7代目シビックは、“スマートシビック”の愛称で2000年9月のこの日にデビューした。7代目は、伝統の背の低い3ドアハッチバックを止めて、5ドアハッチバックとセダン「フェリオ」の2つのボディで構成された。ハッチバックは欧州市場をターゲットに、セダンは米国市場をターゲットにして仕上げられ、同じ7代目ながらその性格を明確に分けていた。

見た目は大きく異なるが、開発コンセプトは共通で初代から継承されているMM(マン・マキシマム、メカ・ミニマム:人のためにスペースは最大に、メカニズムは最小に)思想を進化させた“スマートコンパクト“だった。
広い室内空間が自慢のハッチバック

ハッチバックは、広いキャビンを持つ躍動的なスタイリングが特徴で、エンジンやサスペンションのコンパクト設計やハイマウント式ステアリングギアによるエンジンルームの縮小、床下搭載部品のレイアウト変更などでフラットな広い室内空間を確保。
パワートレインは、1.5L 直4 SOHCのエンジン3種(標準仕様106ps、VTEC仕様115ps、リーンバーン仕様105ps)、130psの1.7L 直4 SOHC VTECの4種エンジンと、電子制御4速ATおよびCVT(ホンダマチック)の組み合わせ。駆動方式は、FFと4WDが用意された。
落ち着いた雰囲気で上質感が自慢のフェリオ

オーソドックスな3BOXスタイルで落ち着いた上質なイメージが特徴で、ハッチバックに対して長く低い姿勢が特徴である。
パワートレインは、1.5L 直4 SOHCのエンジン2種(標準仕様106ps、リーンバーン仕様105ps)、130psの1.7L 直4 SOHC VTECの3種エンジンと、電子制御4速ATおよびCVT(ホンダマチック)の組み合わせ、一部グレードでは5速MTが選べた。


車両価格は、標準的なグレード(1.5L/4速AT)でハッチバックは144.8万円、セダン(フェリオ)が151.8万円に設定された。
7代目にも要望に応えてタイプRを設定
7代目シビックには、当初スポーツグレードは設定されなかったが、多くのファンのタイプRを要望する声に応えるかたちで翌2001年10月に2代目となる「シビック・タイプR」がリリースされた。

ただし、7代目シビックには3ドアハッチバックが設定されなかったので、英国スウィンドン工場で生産していた欧州向けの3ドアハッチバックでタイプRを仕立てて日本に輸入するかたちで設定された。日本仕様のタイプRのパワートレインは、最高出力215ps/最大トルク20.6kgmを発揮する2.0L 直4 DOHCエンジンと6速MTの組み合わせ。
圧倒的な動力性能を誇ったシビック・タイプRだったが、ベースとなったシビックのファミリカー的なスタイリングの影響でボンネットと全高が高く、精悍さに欠けるという不満が散見され、タイプRの中では比較的人気は限定的だった。
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このような7代目シビックは、優れた燃費性能と高いスペース効率のパッケージングが評価され、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。ただし、それまでのシビックに比べると販売台数は伸びなかった。それは、シビックよりコンパクトながらユーテリティに優れた「フィット」が、2001年に登場して爆発的な人気を獲得したためだった。シビックの多くのユーザーが、コンパクトで安価なフィットに流れてしまったのだ。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。