最新作はメキシコでデビュー

ペラルタS

ジェルジェットとファブリツィオのジウジアーロ親子は、2015年にイタルデザインをVWグループに完全売却し、新たにGFGスタイルを設立した。社名はジョルジェット・ファブリツィオ・ジウジアーロの頭文字をとったもの。親子で経営し、デザイン実務は主にファブリツィオが担う。

▲ファブリツィオ・ジウジアーロ。1965年生まれ。トリノ工科大学建築学科を卒業してイタルデザインに入社。現在はGFGスタイルのCEO。

もともとイタルデザインはデザインとエンジニアリングを両輪とする会社だったが、GFGスタイルにエンジニアはいない。が、「生産可能なデザインを提案する」というジェルジェットの信念は、新会社にも受け継がれており、4月に開催されたオートモビル・カウンシルのトークショーで、ファブリツィオは「必要に応じて外部のエンジニアリング会社の協力を得ている」と語っていた。

そんなGFGスタイルの最新作が、3月22日にメキシコで発表されたペラルタSである。お披露目の場は、いわゆるコンクール・デレガンス。ペラルタSはメキシコのカーコレクター、ペラルタ親子からの依頼により開発したワンオフモデルだ。

▲ペラルタSはマセラティMC20のカーボン製モノコックをベースとする。

シャシーやパワートレインはマセラティMC20のものをそのまま使用。3リットル/630psのV6ツインターボをミッドに積み、後輪を駆動する。しかしGFGスタイルに「自分たちだけの1台」をオーダーしたペラルタ親子の期待が、パフォーマンスよりデザインにあったのは疑いないところだろう。

ファブリツィオの手になるそのデザインは、きわめて鮮烈だ。ノーズからリヤエンドまでを滑らかにつないだウエッジ基調のモノフォルム。ボディは磨き出しのアルミで、ガラスは特殊なハーフミラー処理されているので、ボディとガラスが完全に一体化して見え、それがモノフォルムの斬新さをより一層際立たせている。

1971年のブーメランをオマージュ

「ペラルタSは70年代の典型的な雰囲気を持つ。歴史を築いた過去のクルマを参照し、スタイリングの特徴を引用することで、このクルマに美しさを与えたいと考えたのだ。同時にこれは父へのトリビュートであり、ブーメランの立体構成をモダンに再解釈している」とファブリツィオ。

▲1972年のブーメランは巨匠ジウジアーロの傑作のひとつ。これもマセラティ(ボーラ)がベースだった。

ブーメランとはジョルジェット・ジウジアーロが72年春のジュネーブショーで披露したショーカーのことだ。ジュネーブではモックアップだったが、半年後のトリノショーでは実走可能なプロトタイプに進化し、翌年のモナコGPでデモ走行した。

明快なウエッジシェイプ、シャープなラインと引き締まった面、ベルトラインを境に上下に分けたドアウインドウ。一本一本のラインはまるで定規で引いたかのように直線的なのだが、それらが完璧に調和して研ぎ澄まされた立体感を醸し出す。ブーメランはそれまでのカーデザインの常識を遙かに超える野心作だった。

▲75年のロータス・エスプリ。ジウジアーロはブーメランの直後にこれをデザインした。

ブーメランで得た経験を、ジウジアーロがダイレクトに活かしたのがロータス・エスプリである。エスプリの生産開始は75年だが、彼は72年秋のトリノショーですでにそのモックアップを披露していた。そしてそれが74年のVWシロッコ/ゴルフへと発展した結果、世界のスタイルトレンドは「丸から角へ」と一気に大転換したというわけだ。

数ある父親の名作のなかからトリビュートとしてブーメランを選んだのは、「私にとってはそれがジェルジェットの最も素晴らしく、最も成功したスタイリング習作だからだ」とファブリツィオ。これには誰も異論を挟めまい。

大胆なデザインを実現させたガラス成形技術

ファブリツィオの言う「ブーメランの立体構成」で、キーになるのがフロントフェンダーの峰を走る2本のラインだ。ひとつはベルトラインにつながってリヤまで突き通り、もう一方はAピラーからルーフを経てリヤエンドに至ってサイドビューのシルエットを形成する。

▲フロントフェンダーの2本の稜線が、それぞれベルトラインへ、ルーフへを延びる。このブーメランの立体構成がそのままロータス・エスプリに活かされた。
▲ペラルタSではフロントフェンダー稜線がベルトラインへ、ボンネットの折れ線がルーフへと続く。2本のキーラインで立体を構築する手法はブーメランと同じだ。

ペラルタSでも2本のラインがフロントからリヤまで続く。ひとつはブーメランと同じようなベルトライン。もう一本がシルエットを形成するのだが、ブーメランよりずっと内側に配されている。これが可能なのは、ペラルタSにはAピラーがないからだ。

▲1枚のガラスを成形した巨大なウインドシールド。Aピラーは視覚的にも構造的にも存在しない。

キャビンの2/3ほどを覆うウインドシールドは、巨大なガラスを3次曲面に成形したもの。しかもしっかりと折れ線を付けて成形している。ワンオフならではの超スペシャルな成形技術だ。折れ線の裏側に骨格となる強度部材がないというのも凄い。

Aピラーがないのでドアもない。ウインドシールド、その後方のガルウイング式に開閉するウインドウ、そしてベルトラインから下の普通ならドアにあたる部分(もちろんブーメランと同じくここにもウインドウがある)を含めたキャビン全体が、前ヒンジで大きく持ち上がって乗降する。「モダンに再解釈」は控えめすぎる言葉。なんと大胆なデザインだろう! 

▲乗降のために開閉する部分を、ファブリツィオは「ドーム」と呼ぶ。写真はメインスイッチがオフの状態なので、ドーム後方のエアインテークが閉じ、リヤスポイラーも隠れている。

キャビンの後方には、ベルトラインを挟んで上下二つのエアインテークがある。これもブーメランからの引用だが、スイッチオフのときは閉じられている。同様に、メインスイッチをオンにして初めてボディ後端からスポイラーが立ち上がる。前後のランプも消灯時にはボディに溶け込んで、その存在を隠す。シームレスなモノフォルムの純粋さを、妥協なく追求しているのだ。

イタルデザイン売却からGFGスタイル発足まで

イタルデザインは1968年にジョルジェット・ジウジアーロとエンジニアのアルド・マントヴァーニによって、北イタリア・トリノに創立された。技術部門を率いたマントヴァーニは、ジウジアーロによれば「どんなときでも、できないとは言わなかった」。技術的に難しいデザインに挑戦し、解決策を編み出してくれる彼の存在が、巨匠の名作を影で支えてきた。

▲トリノ郊外のモンカリエーリに建つイタルデザイン本社。写真は1985年頃のもの。

しかしジウジアーロより13歳も年上のマントヴァーニは、2009年に87歳で他界。それからまもなく、ジウジアーロは大きな決断を下す。同年5月、VWグループがイタルデザインの株の90.1%をジウジアーロ親子から買い取り、残りの9.9%は引き続き親子が保有することが発表された。登記上はアウディのイタリア子会社であるランボルギーニが買収したかたちだ。

4月のオートモビル・カウンシルで御年87歳ながら元気な姿を見せたジウジアーロは、トークショーでその経緯をこう振り返っていた。「マントヴァーニが引退して、彼が率いていた技術部門を自分がリードしなくてはいけない。それが重荷になっていたので、ピエヒさんに相談した」

フェルディナンド・ピエヒはポルシェ博士の孫で、当時はVWの監査役会の会長。若い頃に初代ゴルフのチーフエンジニアとしてジウジアーロを起用して以来、二人は強い絆で結ばれていた。

「それならVWが引き受けると言われたのだが、経営をVWに支配されたら、他のメーカーの仕事ができなくなる。ところがピエヒから、『我々にはVWやアウディからベントレー、ランボルギーニまである。他にどんな仕事をしたいんだ?』と問われて、それもそうだと納得した」

▲2015年にデビューしたベントレー・ベンテイガは、VW傘下になったイタルデザインの作品。ファブリツィオの提案が生産型につながった。

こうしてイタルデザインは880名のスタッフと共にVWグループの先行デザイン開発拠点となった。CEOはVWグループで財務畑を歩んできた人、会長はジウジアーロの長年の友人で当時はVWグループ全体のデザインディレクターだったヴァルター・デシルヴァだ。

彼らの下でジウジアーロ親子がクリエーションを指揮したのだが、2013年にはアウディ・デザインのトップだったヴォルフガング・エッガー(現在はBYDのデザインディレクター)が、イタルデザインのチーフデザイナーに就任。ジウジアーロとデシルヴァがどんな話をしたかはわからない。しかしこの時点で、ジウジアーロ親子がいずれイタルデザインから手を引くことは決まっていたのだろう。

▲GFGスタイルが2000年ジュネーブショーで発表すべく開発したコンセプトカーのドーラ。BEVの4WDオープンスポーツだ。コロナ禍でショーが中止になったため、4月のオートモビル・カウンシルが初の一般公開の場となった。

そして2015年、ジウジアーロ親子は手元に残していた株もVWに売却し、新たにGFGスタイルを立ち上げた。父ジョルジェットが会長、息子ファブリツィオがCEOという体制だ。なお、95年にイタルデザインの建築デザイン部門として発足したジウジアーロ・アルキテットゥーラ(03年に分社独立)も、引き続き親子で経営している。