Le Mans
911が駆け抜けたオープニング



1960年代後半、マックイーンはまさに「キング・オブ・クール」と呼ばれる存在だった。『ブリット』の大ヒットで俳優として絶頂期を迎え、自らの製作会社ソーラー・プロダクションズを率いていた。次に狙ったのは、自らのレーシングへの情熱を注ぎ込む映画制作である。彼がフランスに渡り着手したのが『栄光のル・マン』だった。
しかし、1971年6月に公開されたこの作品は、観客から「台詞も筋書きもない」と酷評され、興行的にも失敗。マックイーンは妻と家庭、会社、そして財産までも失い、自身のキャリア最大の挫折を味わうことになる。
その一方で、映画冒頭のシーンは今も語り草だ。主人公マイケル・デラニーが1970年型「ポルシェ 911 2.2 S」を駆り、フランスの田園地帯を抜ける姿である。実際にマックイーンはカリフォルニアで同じスレートグレーの911を所有していたが、撮影用には現地で新車を購入。さらにポルシェは複数の911を提供し、ドライバーのデレック・ベルやジョナサン・ウィリアムズ、さらには監督ジョン・スタージェスまでもが日常的にステアリングを握った。
マックイーンは撮影地のシャトーからサーキットまで、毎日911を全開で飛ばしたと伝えられる。噂では「15分以内、平均200km/h」という自己ベストを狙っていたという。
半世紀後にたどる道






55年後、我々は最新型「992.2型カレラ」でそのルートを追体験した。快適な18ウェイシートを備え、高速道路も田舎道も難なくこなし、スポーツプラスモードでは鮮烈な加速を見せる。
さらに嬉しいことに当時の2.2リッター911も帯同した。劇中の2.2 SではなくTモデルであったが、Sに近いパワーを感じさせる個体で、気難しいギアボックスや曖昧な操作系はあるが、挑発的なキャラクターに満ちていた。1970年にこの地で乗った者が受けた衝撃は計り知れない。現代の視点でも、この小さなスポーツカーが持つ生命力と存在感は色褪せていない。
通勤路の村全体が熱狂



オープニングで映し出された橋や並木道は、今も当時の面影を色濃く残す。しかし、村は当時の2〜3倍に膨らみ、厳しい速度制限やスピードバンプが設けられている。200km/hで走り抜けることはもはや不可能だ。ある住民は「毎日マックイーンが通るたび、村全体が熱狂していた」と振り返った。
その後のシーンでは、恋人役のエルガ・アンデルセンが花を買うル・マンの街並み、そして旧コースのメゾン・ブランシュが登場する。そこは前年、ジョン・ウルフが「917」で命を落とした場所でもあり、映画は現実と虚構を巧みに交差させた。
マックイーンは主人公デラニーに勝利を与えるつもりはなかった。映画は勝者ではなく、命を懸けて戦うレーサーたちそのものを描くべきだと信じていたからだ。しかし現実には、彼自身が敗北を喫した。保険会社の判断で917での参戦は叶わず、監督は降板、制作会社は筋書きを強要。最終的に彼はギャラすら放棄し、映画完成を優先せざるを得なかった。
唯一残ったのは





それでも、1台のポルシェだけは彼のもとに残った。冒頭を飾ったスレートグレーの911 Sである。撮影後、マックイーンはこれをアメリカに送り戻し、激動の製作過程を共にした“相棒”として手元に置き続けた。
『栄光のル・マン』は当初の失敗を越え、今では伝説的な存在となった。マックイーンが全てを失いながら守り抜いた911は、その物語を象徴する生き証人なのである。
PHOTO/Fox Syndication
