Singer Vehicle Design
レストア時間は1台あたり4000時間

シンガーを今日の姿に育て上げた人物が創業者のロブ・ディッキンソン(ロブ)であり、前CEOで現在はCSO(チーフ・ストラデジー・オフィサー)の要職に就くマゼン・ファウズ(マズ)だ。
マズは、ロブが愛車の911でホットロッド(改造)を楽しんでいた頃からの付き合いで、長期戦略やパートナーシップの選択などを担当する。彼に聞いてみたかったことは、ミシュランやボッシュ、ブレンボといった自動車産業におけるビッグネームと、シンガーのような小さな会社がなぜ付き合うことがでるようになったのかだ。

「電話をしたんだよ(笑)。それは冗談として、有名な大企業であってもトップはクルマ好きが多い。シンガーの活動に興味を持ってくれていたんだ。だから僕たちの志をすぐに理解してくれたのだと思う」
大手サプライヤーとの協業が進むに伴いレストアの完成度も上がった。
「シンガーにはプロダクトのマーケティング機能がないんだ。それよりもロブと僕が心から欲しいと思うサービスを提供し続けたい。幸運にもみんながそれを欲しがってくれた」
911という世界的に人気のスポーツカーを対象にしたサービスだったからここまで成長することができた、とマズは言う。
「最初に3台のオーダーをもらった時、5台になったらすごいよね、なんてロブと駐車場で話していたことを今でもよく覚えている。あっという間に20台、50台になって、今では累計で1000台を超えた。夢のような展開だ」
創業者のロブ・ディッキンソンも設立当初を振り返る。
「(レストモッドビジネスが)成長することには自信があったよ。とはいえここまで大きくなるとは思わなかったけれど」
彼はかつてロータスのカーデザイナーであり、プロのバンドマンでもあった。「キャサリン・ホイール」といえばイギリスの有名なロックバンドだ。彼は本当に“シンガー”だったのだ。そして2009年にシンガー・ヴィークル・デザインを設立。シンガーとは自身の前職もさることながら、かのノルベルト・ジンガー(Singer)への敬意があった。

「人生における二度の転機はいずれも怖かったよ。一度目はカーデザイナーを辞めてバンド活動に専念した時。二度目はそのバンド活動を止めて再びカービジネスの世界に戻った時だ。けれども自分に言い聞かせたんだ。大丈夫だ、諦めない、絶対にできるってね。できるだけ楽観的になって、日々の雑事から自分を守ることも大事だ。とにかく良い夢を見続けていたい。それが会社を成長させる秘訣だ。創業時のスタンスを忘れないことも重要だろう。環境が厳しくなればなるほど新しい機会が創造されると思っている」
「決まった方針やルールはない。これからもやりたいことだけをやっていくつもり。5~10年というスパンで考えればシンガーはもっといろいろなことを実現するだろう。基本は911の“リイマジン”だ。原点だし、イマジネーションの源だからね。ひょっとしてポルシェ以外のモデルを手がけることがあるかもしれない。とはいえつまらないクルマにたくさん関わるより、少なくてもいいから良いクルマを送り出していきたい。来年にはまた新たなプログラムを発表する。その後にも大きなサービスが控えている。来年は忙しくなるよ。そうだな、きっとみんなが欲しがるポルシェの“リイマジン”になると思う」
米国のほか英国にも拠点を置く理由


シンガー・ヴィークル・デザインは、ロサンゼルス郊外の街トーランスに本社施設を置くほか、今では英国ノーサンプトンシャーにもファシリティを持つ。本社機能やデザイン部門はトーランスにあり、こちらの施設では「クラシックサービス」や「クラシックターボサービス」といった、比較的スタンダードなレストレーションプログラムを提供している。筆者が8月に訪問した際、施設はクラシックターボサービスを受ける車両で埋め尽くされていた。
一方、英国には開発部門もあり、ウィリアムズとの共同作業によってレストアされたフラット6を搭載する「DLSサービス(終了)」や「DLSターボサービス」といった、さらにスペシャルなレストレーションプログラムを行っている。エンジンを構成するパーツは非常に特殊で、その多くはF1パーツのサプライヤーから供給されるため、F1コンストラクターの聖地というべき彼の地に第二の拠点を築いたのだった。
シンガーのビジネススタイルをひと言で表現すれば、「車両販売」ではなく「レストレーション」である。ポルシェ911(現在はタイプ964)を所有するカスタマーにさまざまなレストレーションプログラムを提供し、さらに顧客の好みをできるだけ聞き入れた内外装を持つ世界で1台の911を世に送り出している。ちなみにすでに450台のサービス提供を終えたクラシックサービスでは、レストレーションに要する時間は1台あたりおよそ4000時間だったという。
トーランスの本社では事務方を含め500名近いスタッフが働いている。こちらでレストレーションできる個体数は年に100台以上。それゆえに作業の規模は大掛かりでシステマティックだ。よくあるレストア工房を想像してはいけない。それはまるで手作り時代のスーパーカーの生産ラインを見ているかのようだ。




レストアの流れを簡単に説明しておくと、まずは顧客が自分で購入した964を施設へ入庫するところから始まる。車体はことごとく分解され、パワートレインやドア類、内装などはすべて外され、骨組みだけに。その後、専用ジグを用いてボディ骨格の正確な寸法出しを行う。これが最も大事で時間をかけてじっくりと仕上げていく。さらに993用ワイパーベースを新たに溶接するなど、独自の機能メニューも施されていく。
ペイントを終えたボディ骨格は各パネルと仮合わせののち、顧客の望む仕様に合わせたインテリア、そしてフルオーバーホールされたパワートレインやシャシーが搭載される。車両1台1台には顧客によって名前が付けられている。まさに愛車であろう。顧客とシンガーが理想を目指して共にレストアした911はこうして生まれる。レストア施設としては世界でも稀に見るシステマティックな運営が印象的であった。
Singer Service Lineup
シンガーがこれまでに発表したレストアサービスのプログラムは全5種類。ベースとなるのはすべて1989年から1994年まで生産されたタイプ964である。インタビューにもあるよう、今後もさまざまなサービスが登場するというから楽しみだ。





REPORT/西川 淳(Jun NISHIKAWA)
PHOTO/Singer Vehicle Design
MAGAZINE/GENROQ 2025年11月号
【問い合わせ】
コーンズ・モータース
info.singer@cornes.jp
https://www.cornesmotors.com/singer
