真の4WSに昇格!

今回は、前回マルチリンクリヤサスペンションでおしまいになってしまったS13シルビア足まわり技術解説の続きで、HICAS-IIを話題にする。

HICAS-II・・・S13シルビアに起用された4輪操舵技術で、「II」からおわかりのとおり、その第2弾にして、前回述べた901活動の成果である。

すべてはR31スカイラインで始まった

HICAS-IIを語るには、まずはその第1作めの「HICAS」から語らねばなるまい。

HICAS(ハイキャス)は7代目となるR31スカイライン(通称・セブンススカイライン)のGTシリーズに初採用、一部標準装備、一部にオプションで用意された(1985年8月)。

HICASが搭載されたR31スカイライン(1985年)。
HICASは、その後追加されたスカイラインクーペにも(1986年)。

後輪をトーコントロールし、中~高速域での安定性を高める技術としては、前回主役にしたS13のマルチリンクリヤサスペンション、引き合いに出したサニー/パルサーのパラレルリンク式サスやU12ブルのSTC-Susと同じ考え方だが、これらはあくまでも受動的なもので、力を受けたときの成り行きでつま先の向きを変える、または変えないものだった。
こちらR31スカイラインのHICASは、能動的にトーコントロールするところが異なり、それもリヤサスペンションを構成するメンバーごと傾けようという、まことにもって乱暴な構造ものであった。

HICASは、リヤサスペンションのメンバーごと左右に傾ける構造だった。

私見をいわせてもらうと、方向転換するのに前輪が左右を向くことを「操舵」と呼ぶなら、このHICASは操舵とはいえないと思う。

前輪は仮想であれ実体であれ、ある軸=キングピンを軸に向きを変える。
対してこちらはメンバー全体を右に左に傾けるから、確かにタイヤのトーは変わっても左右輪の相対的位置関係は変わらない・・・つまり平行のままだ。
果たしてこれを前輪と同じように「操舵」と呼んでいいものか。
このことから、筆者はどうにもこの構造で「後輪操舵」と呼ぶのは抵抗があるのだ。

当時のモーターファン誌によると、当時の運輸省もこのシステムを四輪操舵と呼ばせるのに難色を示したフシがある。
だからこそ日産は「4WS」と呼ばず、「HICAS」と命名したのだろう。
HICAS(ハイキャス)の「S」は「suspension」の「S」・・・すなわち、「High Capacity Actively-Controlled Suspension(ハイ・キャパシティ・アクティブリー・コントロールド・サスペンション」の頭文字をとったもので、「高性能に、能動的に制御するサスペンション」を意味し、あくまでもサスペンションであることを強調している。

方式はどうであれ、積極的に後輪トーを変える仕掛けは世界初で、前例がない新手だけに運輸省も難色を示したのだろうが、マイナーチェンジ版スカイライン(1987年8月)の頃には、資料ででもカタログででも堂々と「日産自動車の4WS技術の成果HICASを・・・」としている。
その少し前に、3代目プレリュード(1987年4月)が堂々「4WS」謳ったこととも無関係ではあるまい。

3代目プレリュードの機械式4WS。後ろの車輪がやや逆を向いているのがわかるだろうか。

メンバーごと傾ける構造をさきに「乱暴」と書いたが、これはR31スカイラインの6気筒2000GTシリーズの後輪がセミトレーリングアーム式だったゆえだ(4気筒1800シリーズは5リンク式)。

R31スカイラインのリヤサスは、6気筒の2000GTシリーズがセミトレーリングアーム式。
4気筒1800シリーズは5リンク式だった。

サスペンションメンバーは、メンバー両端前側に設けられた油圧のパワーシリンダーで動かす。
その油圧源はエンジン駆動によるHICAS用オイルポンプで作られ、そのオイルポンプはパワステ用ポンプと同軸2連で設置されている。
旋回時の横Gをパワステラックに発生する軸力から読み取り、その横Gに応じた油圧を発生させるHICASバルブに流入する油圧でシリンダーを動かすのである。

HICASの構造図。

いろいろ書いたが、じゃあこれでどれほど後輪が転舵するかといえば、最大でも何とたったの0.5度! 転舵速度は30度/秒だ。
まことにちっちゃい、ちっちゃい角度だが、計算上の後輪CP(コーナリングパワー)は67%向上し、後輪をほぼ2本に増やしたのと同じ効果があるという。
このHICASの作動は30km/h以上で、前輪と同じ方向を向く同位相に限っている。

HICASからHICAS-IIへ

さて、お話移ってS13シルビアである。

S13シルビア(1988年)。

S13ではリヤサスがマルチリンク式に変わったことに伴い、HICAS-IIに進化。
当時資料では「HICAS技術をさらにリファイン・・・」とあるが、リファインを超えたフルモデルチェンジで、だからこそ「HICAS-II」を名乗る。

S13シルビアのリヤサスペンションがもしS12と同じセミトレーリングアーム式を継承したら、HICASもR31スカイライン技術の延長線のものになったろう。
HICAS-IIはマルチリンクの構造にフィットするメカとなり、「操舵」と呼ぶにふさわしい転舵を行なうようになった・・・れっきとした「4WS」に格上げである。

前回のS13・マルチリンクリヤサスペンション編のおさらいをすると、S13のリヤサスはダブルウィッシュボーンでいうA字のアッパーアームをフロント側とリヤ側2本のリンクに分け、ロワアームはA字型そのままに1本のリンクに見立て、その後方にラテラルリンクを配置することでロワ側も2本のロワリンクとした。

S13シルビアで初起用された、マルチリンク式リヤサスペンション。
マルチリンク式リヤサスの構成図。

複数の方向から後輪=ハブキャリアをつかみ、直進時は対地90°をできるだけ維持するほか、旋回時は外側はボディに対してネガティブキャンバーに、内側はポジティブキャンバーにしてキャンバー変化を対地90°方向に向けるとともに、制動時はトーインに変化するのである。

ここにどのようにして4WS=HICAS-IIメカニズムを融合させたか。
ロワリンクを形成するうちの、後ろ側リンクに相当するラテラルリンクを、油圧のパワーシリンダーにつながるタイロッドに置き換えている。

HICAS-IIは、リヤデフ背後にパワーシリンダーを配し、その両端から伸びるタイロッドで後輪に舵を与える構造だ。
HICAS-II構造図。
前後は油圧でつながっているため、前後をつなぐのは油圧経路のみ。

HICAS-IIアクチュエーターの役を担う油圧パワーシリンダーをリヤディファレンシャルケース背後にレイアウトし、このシリンダーから左右両端から伸びるタイロッドで、仮想キングピンを軸に後輪を転舵するわけだ。
この「仮想キングピンを軸に」というところに、ようやく真の4WSに到達した感じがする。

操舵量は前のHICAS同様、旋回時の横Gと車速に応じて決めるから、プレリュードの機械式4WS、カペラやセリカ/カリーナED/コロナExivの電子制御式4WSに見られる、前輪舵角を後ろに伝える前後連結のロッドは存在しない。
前後は油圧でつながっているだけだ。

2代目プレリュードの機械式4WS。前後をつなぐロッドがある。
3代目プレリュード(1987年)。後輪が前輪とは逆向きになっている。
1987年カペラの4WS構造図。ホンダとは異なり、電子制御式だ。
カペラの4WSは、4ドアのセダンと写真の5ドアハッチバック、カペラCG(シティ・ギア)に搭載された。シルビアのライバルになりそうなクーペ版、カペラC2にはなかったのがおもしろい。
トヨタのデュアルモード4WS。同位相と逆位相の切り替わり車速をスイッチ操作で切り替えることができるのでデュアルモード4WS。ノーマルモードでは低速域で、、スポーツモードでは高速寄りで切り替わる。
デュアルモード4WSは、1989年のセリカ/カリーナED/コロナExivの3兄弟に載せられた。

HICASからHICAS-IIへの制御上の進化点がいくつかあり、まず筆頭は転舵角の増量だ。
HICASの0.5度から2倍の1度にまで増量し、よりハードな走行条件に対応している。

もうひとつの進化点として、ディレイ制御がある。
従来HICASはメンバーごと動かすという無理のある構造だったが、マルチリンク化による構成部材一新で追従性・応答性が向上。
ここでさらなる制御の余地が生まれたのだろう、HICAS-IIには油圧配管系のオリフィスのチューニングで転舵の立ち上がりを遅らせるディレイ制御を加えた。
このディレイ制御により、ハンドル転舵=前輪が操舵したときの車体回転運動(このときドライバーはヨーを感じ取っている)と横移動、両者の発生が早まることでドライバーが自然な操舵フィールが得られるようにするのがねらいだ。
意図的にディレイ(=遅れ)を与えることで横移動とヨー発生が早まるというパラドクシカルな理論なのがおもしろい。

コーナーリング時の挙動の、HICAS-II有無の違い。
ディレイ制御の効果を示す説明図。

なお、HICAS-IIの作動速度は、1988年5月のS13時点では明確に謳っていないのだが、翌1989年3月の180SXのカタログでは「40km/h以上」と明記してあるので、S13も同じと思われる。

HICAS-IIのないハンドルロックtoロックが3.1回転なのに対し、HICAS-II付車は2.4回転。
かなりクイックなステアリングギヤ比にしたことと相まって、中低速ではシャープでキビキビした走り、高速では収束性の良い安定のある走りを高いレベルで両立させている。

ことのついでに、日産HICAS HISTRY

最後に日産のHICAS技術の進化に触れていこう。
片っ端から調べたつもりだが、漏れがないことを祈るとして・・・

繰り返すが、日産は当初こそ4WSと呼ばなかったものの、後輪を積極的に転舵させる技術を7代目R31スカイラインで、セミトレーリングアームのリヤサスペンションに組み込み、「HICAS」の名でスタートさせた。
メカは同じ母体&リヤセミトレ式である当時の5代めC32ローレルにも起用されてもよさそうだが、このHICASはR31スカイラインに始まり、R31スカイラインに終わっている。

7代目R31スカイライン。

その後S13シルビアでHICAS-IIに進化し、初代A31セフィーロ、6代目C33ローレルに展開された後、早くも翌1989年のR32スカイラインで「スーパーHICAS」に進化する。

S13シルビア。
初代A31型セフィーロ(1989年)。
C34型ローレル(1989年)。

スカイラインにしてみれば、先代セミトレ式で始まったHICASがHICAS-IIをスキップし、4輪マルチリンクになったR32に進化版の進化版となって帰ってきた格好だ。

HICAS-IIではディレイ制御が採り入れられたが、スーパーHICASではここにフェイントモーションが加わった。
すなわち、HICAS-IIは後輪を最大1度で同位相転舵するにとどまっていたが、このスーパーHICASでは、中低速時に限り、後輪が一瞬逆位相に向いてから即座に同位相に転じる・・・ついぞ逆位相転舵の登場である。

例えば山間道の左急カーブを中低速で走るとしょうか。
前輪が早めに左に切り込まれる間、いわば「8時だョ! 全員集合」のエンディングの「ババンババンバンバン・・・」のときの両手のように、後輪はいったん右を向いてから瞬時にササッ! と左に反転させるわけだ。
位相角度は、瞬時の逆位相が0.2度で、同位相側は従来HICAS-IIと同じ最大1度。

スーパーHICAS-II構造図。

表を見るほうがわかりやすい。
旋回時の後輪の動きは、ハンドル操舵速度と車速次第で5つに分類され、極低速時はいつでも2WS。
中低速時にハンドル操舵の早い/ゆっくりで動きが変わり、このフェイントモーションを演じるのは中低速時のゆっくりなハンドル転舵時に限られる。
中低速のゆっくり操作は同位相なのと、高速時は転舵速度が早かろうが遅かろうが同位相に向く。

注目は、「中低速時」の「早い操舵時」のところ。前輪とは一瞬、後輪が逆を向く制御が加わった。
通常の4WSとスーパーHICASの挙動の違いを示す図。

ということからおわかりのように、HICAS-IIの制御は横Gと車速だけによるものだったのに対し、スーパーHICASは操舵角、操舵角速度、操舵加速度、車速を制御のためのファクターになっている。
中低速で蛇行運転すれば、後輪は前輪より早く反転反転を繰り返し、永遠に「ババンババンバンバン」を続けていくことになろう。

スーパーHICASはR32直後のZ32フェアレディZ(1989年)に起用された後、S13後期シルビア&180SX(1991年)に里帰りし、さらにY32セドリック/グロリア(1991年)に横展開された。
意外なところでは、セミキャブオーバーの3列シート車であるバネットセレナ(1991年)、その兄貴分のラルゴ(1993年)への搭載がある。

R32スカイライン(1989年)。
Z32フェアレディZ(1989年)。
後期型S13シルビア(1991年)。
後期型RS13型180SX(1991年)。
Y3グロリア(1991年)と・・・
Y32セドリック(1991年)。
こんなクルマにもスーパーHICASが与えられた。バネットセレナ(1991年)と・・・
ラルゴ(1993年)。

7代目C34ローレル(1993年)を皮切りに、以降の日産FRに登用されたのが電動スーパーHICASだ。
これまでのHICASは、作動源が後輪ディファレンシャルケースの背後に置いた油圧シリンダーだったが、ディレイ制御や瞬時の反転制御、1度の最大転舵角はそのままに、すべてのコントロールを電子制御に置き換え、後輪タイロッドの駆動も電気モーターに任せられた。

すべてを油圧制御から電子制御化した電動スーパーHICAS。
電子制御化によって反応が迅速になったのと、約50%の軽量化を果たすことができた。

ハンドル舵角や車速の情報を元にHICASコントローラーが必要な電流量をモーターに送り、ただのスーパーHICASにはなかった後輪舵角センサーでフィードバック制御を加えながら後輪転舵を行なう。

電子化によって高い精度で後輪コントロールができるようになったこと、油圧を作り出すエンジン負担がなくなったのと、併せてポンプや配管など、油圧に付随するデバイスがエンジンルームから消え、システム全体で50%の小型軽量化を図ることができた・・・電動化によるメリットは想像以上に大きい。

電動SUPER HICASは、C34ローレル以降、R33/R34スカイライン(1993年/1998年)、1995年のY33セドリック/グロリア、1997年の8代目C35ローレル、1999年のS15シルビア、2002年の2代目M35ステージアへと続いていくが、「HICAS」名はこのステージアで打ち止め。

C34型ローレル(1993年)。
R33スカイライン(1993年)。
Y33型セドリック(1995年)に・・・
Y33型グロリア(1995年)。
最後のローレル、C35型(1997年)。
最後の直6スカイライン、R34型(1998年)。
これも最後のシルビア、S15型(1998年)。
M35ステージア(2002年)が、最後のHICAS名の日産4WS車となる。

電動スーパーHICASの基本的な考え方はそのままに、2004年の初代フーガで「リヤアクティブステア」に改称して続行、2006年、V36スカイラインで「世界初」と謳う「4WAS(4輪アクティブステア)」に発展していく。

「HICAS」から「リヤアクティブステア」と改称して再出発を図った日産4WS車、初代フーガ(2004年)。
さらに発展して、世界初「4輪アクティブステア」と載せたV35・・・じゃなく、V36スカイライン(2006年)。

お気づきかどうか。
HICASやHICAS-IIはともかく、日産はスーパーHICAS以降、瞬間的に逆位相を向く制御を与えていながらも、その作動は中速域での作動に限定している。
他社が車速次第で同位相、逆位相を向くばかりか、駐車場操作など小回り性向上を目的とする極低速域での逆位相を用いているのとは対照的で、その姿勢は頑なまでに徹底している。

これにはメーカー個々の考え方の違いが表れている。

国産4WS黎明期をたどると、機構上、ハナッから逆位相から逃れられない機械式だったプレリュードの4WSは、低速域では後輪はイヤでも逆位相となる。
4WSの特許取得はホンダより早かったのに、世界初の市販化はホンダに先行を許したカペラ4WSは電子制御式で、35km/hを境に35km/h以上で同位相、35km/h以下で逆位相を向いた。

4代目プレリュードは3代目の機械式4WSがうそだったみたいに複雑な電子制御式のハイパー4WSに大刷新。
カペラの電子制御式4WS同様、高速域では同位相、安定性向上目的に中速域で逆位相を向くとともに、フル電子制御化しても駐車場速度での逆位相を忘れていなかった。

4代目プレリュード(1991年)。
プレリュードは4代目でいきなり電子制御化。

日産以外で小回り性向上ねらいの逆位相を与えなかったのは、いまお仲間の三菱くらいのもので、後輪のリヤディファレンシャルのリングギヤ回転を4WS駆動の油圧ポンプ源に用いるという特異なメカニズムだった。

4WSが搭載されたギャランVR-4(1987年)。
三菱の4WSは4WSに限っていた。

日産にしても三菱にしても、後輪の逆位相はあくまでも安定性向上が主眼で、駐車場操作では内輪差の不便が伴う極低速での逆位相は視野外にしていたのだろう。

以上、S13シルビアに起用されたHICAS-II、および日産HICASの進化について解説した。

なお、ホンダ、マツダ、トヨタなどの4WS技術も日産同様、その後も進化しているが、ここで比較対象にした各社各車の4WS技術は、あくまでもS13シルビア期前後のものにとどめたことをお断りしておく。

ではまた次回。