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今日は何の日?■クーペとワゴンの着せ替えが前提のエクサ
1986(昭和61)年10月14日、日産自動車からパルサーのクーペモデル「パルサーエクサ」の2代目「エクサ」がデビューした。エクサは2ドアクーペを基本としつつ、脱着式のリアハッチによってワゴン風の「キャノピー」に変身できるユニークなモデルである。ただし、日本ではボディの外形変更は別車種扱いになるため、同一車両での載せ替えはできず、クーペとキャノピーのどちらか一方を指定して購入するしかなかった。

2代目パルサーのクーペとして誕生したパルサーエクサ
初代パルサーは、1978年に「チェリーF II」の後継モデルとして誕生。欧州市場を意識した“パルサー・ヨーロッパ”のキャッチコピーとともに、欧州車風のシャープなスタイリングのファストバックセダン(4ヶ月遅れでハッチバック、クーペを追加)は、日欧で堅調な販売を続けた。

1982年には初めてのモデルチェンジで2代目に移行。3ドア/5ドアハッチバックとクーペが用意され、世界をリードする先進のFFワールドカーを目標に、スラントノーズとテーパードフード、リアにかけてはダックテール風のリアエンドを採用した欧州風フォルムが特徴だった。

パワートレインは、最高出力75psを発揮する1.3L 直4 SOHC、85psの1.5L 直4 SOHC、95psのそのEGI(電子制御噴射)仕様の3種エンジンと、5速/4速MTおよび3速ATの組み合わせ。

なかでも注目を集めたのが、上記の1.5Lエンジンを搭載したサブネーム“エクサ(EXA)を冠したクーペ「パルサーエクサ」だ。クラス初のリトラクタブルヘッドライトが採用され、専用サスペンションや走りに特化した各種チューニングが施され、インテリアについてもオレンジ透過のメーターやツートンカラーのボディ色を採用することでスポーティさをアピールした。

市場に放たれたパルサーエクサは大きな注目を集め、欧州のライトウェイトスポーツカーを彷彿されるFFスペシャリティカーと高い評価を受けた。
クーペとワゴンの着せ替えができるエクサ
パルサーエクサの実質的な2代目のエクサが、1986年10月のこの日にデビューした。3代目パルサーをベースとし、車名からパルサーの冠が外れて独立した車種となったが、先代と同じくリトラクタブル式ヘッドライトを備えたスタイルなど、共通点も多く存在した。


エクサの最大の特徴は、着せ替えを前提としたボディスタイルである。フロント部は共通ながら、リアのハッチ部分が脱着式となっており、ノッチバックの「クーペ」と、シューティングブレーク風ワゴンの「キャノピー」という2種類のリヤゲートが用意されていたのだ。

このユニークなスタイリングは、米国のNDI(ニッサン・デザイン・インターナショナル)が手掛け、全車にTバールーフが備わっており、前席前上のTバールーフとリア部を外せばフルオープン風になるといった工夫も、サンルーフ需要の高い北米市場を意識したものだった。
パワートレインは、最高出力120ps/最大トルク14.0kgmを発揮する1.6L 直4 DOHC(北米には1.8Lも用意)と、5速MTおよび4速ATの組み合わせ。駆動方式はFFが踏襲され、4輪ストラット式のサスペンションによって、力強く安定した走りが実現された。
日本ではクーペとキャノピーのどちらか片方に固定が必要
リアのハッチ部分が脱着式でクーペとキャノピーという2種類のリヤゲートに変更できるエクサだったが、日本の法規では、ボディの外形変更は別車種扱いになり車検証の記載変更が必要なため、同一車両での載せ替えはできず、どちらか一方の車型を指定して購入するほかなかった。

そのため、10月14日に販売されたのはクーペのみで、キャノピーは12月1日の発売だった。車両価格は、5速MT仕様で164万円(クーペ)/179万円(キャノピー)に設定。当時の大卒初任給は、14.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約230万円/251万円に相当する。日本では、この着せ替え変更ができなかったためか、あまり注目されずに販売も振るわず1990年に生産を終えた。

ちなみに、“ドレスフォーメーション”と称して外板パネルを交換できたダイハツ「コペン」は、車体の形状が変わらないので、車検証の記載変更が不要なため交換可能となったのだ。
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エクサのユニークなクルマづくりは評価されたが、日本では法規の壁のために十分アピールできなかった。日本では、規制によって着せ替えができなないことは最初からから分かっていたはずなので、エクサは北米優先のクルマだったことが伺い知れる。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。