Lamborghini Centro Stile
進化を続けるランボルギーニのデザイン

2025年10月、ランボルギーニ・チェントロ・スティーレ(Lamborghini Centro Stile)が設立20周年を迎えた。社内にデザイン部門を設けることは、ランボルギーニの歴史において大きな転換点となった。この瞬間から、新型スーパースポーツ、派生モデル、革新的なコンセプトカー、特別仕様車、限定生産車のすべてが自社のデザイン部門の指揮下で作り上げられ、未来に渡って新たな作品を残し続けることになったからだ。
アウトモビリ・ランボルギーニのステファン・ヴィンケルマン会長兼CEOは、チェントロ・スティーレの意義について次のようにコメントした。
「ランボルギーニ・チェントロ・スティーレは、我々のブランドを動かす原動力のひとつだと言えるでしょう。この20年間、ランボルギーニのデザインは単なる量産スーパースポーツカーの造形だけでなく、常に新しい驚きを生み出し続けてきました」
「コンセプトカーから限定車まで、新たな地平を切り開き、コレクターズアイテムとしても、ランボルギーニの魅力をアピールしてきました。デザインはすべての基盤だと私は考えています。さらに、チェントロ・スティーレは、ヨット、オーディオ、建築、ファッションといった他分野のパートナーとのコラボレーションを通じて、ランボルギーニのデザインDNAを自動車の枠を超えて広げています」
ランボルギーニらしいデザインを体系化

創業者フェルッチオ・ランボルギーニは、1963年の段階でグランツーリスモにおける、エクステリアデザインの重要性を理解していた。彼は最初のプロトタイプ「350 GTV」のデザインをフランコ・スカリオーネに依頼し、初の量産モデル「350 GT」と「400 GT」は、ミラノのカロッツェリア・トゥーリングに託した。
1966年、ベルトーネが手がけた「ミウラ」では柔らかい曲線が特徴だったが、1967年に登場したプロトタイプ「マルツァル」ではウェッジシェイプと「六角形(ヘキサゴン)」モチーフが登場。1971年に衝撃を呼んだ「カウンタック」において、マルチェロ・ガンディーニの手でランボルギーニを象徴するシルエットが確立している。
これによりランボルギーニ・ブランドにデザイン文化が生まれ、後のチェントロ・スティーレによってさらに発展していくことになる。ランボルギーニ・デザインディレクターを務めるミティア・ボルケルトは、その過程を次のように説明した、
「チェントロ・スティーレが設立されてから20年が経ちました。ランボルギーニ製スーパースポーツは、パフォーマンス・エンジニアリングとデザインの融合で成り立っています。その両者が揃ってこそ真のランボルギーニです。R&Dが社内にあるのなら、デザインもそうあるべきです。チェントロ・スティーレはこの20年でランボルギーニのデザインDNA、構造、機能を体系化し、ブランドの遺伝子として定義しました」
アウディ傘下で進められた自社デザイン

1980年代には自社デザイン部門への布石が打たれ、「ウラッコ」をベースにした1981年の「ジャルパ」、1986年の「LM002」は当時のテクニカルディレクター、ジュリオ・アルフィエリによってデザインされている。その後のクライスラー時代には、ディアブロでウェッジシェイプから、より現代的な丸みを帯びたプロポーションを採用。1998年、アウディがランボルギーニを傘下に収めたことで、本格的な社内デザイン部門設立への動きが開始される。
同年、アウディからルーク・ドンカーヴォルケがプロジェクトマネージャーとして参加し、2003年にデザイン部門責任者に就任。ベルギー出身でのドンカーヴォルケは、ディアブロ最終型のデザイン監修、2002年の「ムルシエラゴ」、2004年の「ガヤルド」のデザインを手がけている。彼の情熱と感情的な手法は、より現代的で筋肉質なデザインランゲージ、ピュアで張りを持った面構成という「ランボルギーニらしさ」を確立した。
「ムルシエラゴはデザイン面で、ランボルギーニに大きな飛躍をもたらしました。私はジュネーブ・モーターショーで初めてムルシエラゴを見て、瞬時にランボルギーニのエモーショナルと存在感を感じ取りました。『フォルムは機能に従う』という原則を体現し、V12フラッグシップとして新たな時代を切り開いたのです」と、ボルケルトは振り返る。
2005年にチェントロ・スティーレが稼働開始

2003年、当時アウディのデザイン責任者だったワルター・デ・シルヴァの提案により、ランボルギーニ初の社内デザインセンター設立が正式決定する。これはランボルギーニのDNAを守りながら創造的独立性と長期的デザイン戦略を確保するというデ・シルヴァのビジョンの体現する施策だった。
2005年初頭、ステファン・ヴィンケルマンがCEOに就任し、デザイン・R&D・ブランド戦略を統合的に推進。2005年後半、ついにチェントロ・スティーレが正式に稼働を開始する。
「これは爆発的なイノベーションの時代の幕開けでした。チェントロ・スティーレの立ち上げにより、デザイナーはチームとして戦略的かつ創造的に考えることが可能になり、他部署とも極めて密接に連携するようになったのです」と、ボルケルト。
そして、2006年にはイタリア人デザイナー、フィリッポ・ペリーニが新たにチェントロスティーレの責任者に就任。彼のもとで「ムルシエラゴ LP640」「ガヤルド スパイダー」「ガヤルド スーパーレッジェーラ」「ガヤルド スパイダー ペルフォルマンテ」などが登場する。
さらに、数多くのデザインプロジェクトも登場した。2007年の「レヴェントン」は、ムルシエラゴをベースに、全く新しいデザインとパフォーマンスを与えた初の限定車。航空機をモチーフにしたシャープなラインと六角形・Y字モチーフが導入されたレヴェントンは、以後の限定車や特注モデルの原点となった。
進化を続けるランボルギーニ・デザイン

2011年に発表された「アヴェンタドール」は、初めて完全に社内設計されたV12フラッグシップであり、ランボルギーニのデザイン言語を大きく前進させたモデルだ。2012年には初のSUVのベースとなった「ウルス コンセプト」、2013年にはガヤルドの後継モデル「ウラカン」が発表された。
さらに2010年の「セスト エレメント」、2013年の「ヴェネーノ」、2014年の「アステリオン」など、チェントロ・スティーレは軽量素材、エアロダイナミクス、ハイブリッド技術など多面的な挑戦を続ける。
「コンセプトカーや限定モデルは、デザインチームが想像力を最大限に発揮できる場です。例えばアヴェンタドールのルーフラインは甲虫の羽から着想を得ました。六角形やハニカム構造、戦闘機のような力強い造形は、今もランボルギーニを特徴づけています」と、ボルケルトは説明する。
2016年、ポルシェから移籍したミティア・ボルケルトがデザイン部門を引き継ぐと、スタジオは2倍の規模となる、25名体制へと拡大。彼は「アヴェンタドール S/アヴェンタドール SVJ」、「ウラカン ペルフォルマンテ」を手がけ、2017年にはウルスの量産仕様のデザインを完成させた。
2017年にはMIT(マサチューセッツ工科大学)と共同開発した電動コンセプト「テルツォ ミッレニオ」を発表。「シアン」「カウンタック LPI 800-4」、そして2023年の「レヴエルト」は、ランボルギーニにハイブリッド時代の到来を告げた。
「レヴエルトは、私たちがゼロから設計した最初のモデルであり、非常に純粋でアイコニックなデザイン言語を用いました。即座にランボルギーニとわかるシルエットを持ちながら、滑らかな面と張りのあるラインで未来への扉を開いています」と、ボルケルトは胸を張る。
2025年夏にはチェントロスティーレ設立20周年を記念したV12ハイブリッド「フェノメノ」が発表された。ボルケルトは、チェントロ・スティーレのこれからについて次のように締め括った。
「ランボルギーニのデザインディレクターとして必要なのはビジョンです。私たちはトレンドを追うのではなく、創り出す側なのです。国籍や文化は異なっても、全員がランボルギーニというブランドへの情熱と献身で結ばれています。60年以上にわたるデザインの遺産を受け継ぎ、未来へのビジョンの両方を持つブランドは稀有な存在です。その恵まれた環境の中で、私たちチェントロスティーレは20周年を迎えたのです」

