ジープから始まった三菱オフローダーの象徴、それがパジェロ
アジア向けSUV「ディスティネーター」や新型「デリカミニ」の登場により、“4WD王国復活”の声がますます高まる三菱自動車。中でも、ネットを中心に出回っている新型「パジェロ」の噂は、スリーダイヤモンドファンの心をざわつかせている。

そもそもパジェロは三菱の金看板であり、同社の屋台骨であった。しかし時代がSUV本流へと移り変わったこと、そして三菱のかつての諸問題によって凋落。残念ながら、パジェロは2021年を最後に国内市場から姿を消したのである。
しかし、昭和50年代からバブル期まで長きにわたり、クロカン4WD市場を牽引した同モデルの熱烈なファンは今でも多い。筆者もそうなのだが、青春時代の1シーンをパジェロが彩ってくれた…という人は少なくないのではないだろうか。
果たして、パジェロとはどんなクルマだったのだろうか。
そもそもパジェロを生んだ三菱は、戦後直後にウイリスよりノックダウン生産をする権利を買い取り、1953年からCJ3A型ジープを作り始めたメーカー(当時は中日本重工業)である。1956年からは部品も含めて完全国産化が始まり、J3というスリーダイヤモンドが付いたモデルを発売したのである。
以降、三菱ジープは戦後日本の復興の証と言えるクルマとなり、官公庁や陸上自衛隊、民間企業などで活躍した。しかし、日本が豊かになるにつれてモータリゼーションも進み、快適とは言えないジープは徐々に微妙な立場となっていく。単なる“道具”では、ユーザーの心を掴み取ることができなくなったのである。
スズキ「ジムニー」がそうであったように、三菱ジープもまた実用車以外の道を模索していた。それが、レジャーヴィークル。1973年の東京モーターショーを見ると、三菱の思惑が見えてくる。同社は ジープJ52をベースにしたコンセプトモデル「パジェロ」を出展した。

これは実用一点張りだったジープに、現代でも通用するようなカスタムを施したモデルで、若年層に当時受けていた“サンドバギー”のテイストを加味したものであった。その見た目は、今見ても色褪せていない斬新性を持っていたのである。
ちなみにパジェロとは猫科の動物の名称で、パジェロキャットと言うのが正式だ。パンパスキャットやコロコロともいう。南米が生息地で、ヒョウに似ているものの頭胴長は1mに満たない。
名前は精悍なイメージだが、見た目はやはりジープ。ミニスカートやベルボトムパンツがファッションシーンで流行していた時代には、戦後の象徴のようなジープはもはや若者の心を捉えることはできなかったのである。そこで1979年の東京モーターショーで三菱が再度送り込んだのが、「パジェロII」というコンセプトカーだった。
このクルマはジープのシャシーを一切使わず、代わりにライトトラック「フォルテ」のそれを流用してつくられた。オープントップのクルマではあったが、全席がしっかりとパネルで包まれた形状は、それまでのジープとは一線を画すものだったのである。
1981年にはライバルメーカーであるいすゞが、やはりライトトラックベースの新型4WD「ロデオ・ビッグホーン」を一足早くデビューさせる。これにより、いよいよ「RV時代」が幕開けとなったのである。
RV時代の幕が開け、1982年に三菱が満を持してパジェロを投入
そして翌年、三菱はついに「パジェロ」をリリース。当初は4ナンバー登録のメタルトップバンとソフトトップバン(共にショートボディ)の2バリエーションのみだったが、時間をおいて5ナンバーメタルトップと5ドアハイルーフワゴンを追加。さらにミドルルーフワゴンも追加し、四駆=仕事車のイメージを払拭したのである。


また、フロントサスにダブルウイッシュボーン+トーションバースプリング、前後車軸の重量バランスは50:50(フロントミッドシップ)という、クロカン4WDにしては異例の造りとなっていた。こうしたメカニズムは、乗用車に匹敵する運動性と快適性を実現する狙いゆえであったが、ジープファンには「短足」と揶揄されて、評判が良くなかった。
ダブルウイッシュボーン式はアームの長さ確保に限界があり、それゆえトラベル量もリジッドアクスル式ほどではない。また、左右独立して脚が動くためタイヤを押しつけるという力が働かず、トラクション確保の点からも不利な部分があった。
しかし三菱は、構造上の特徴が活かせるイメージ戦略を取った。1983年から砂漠で行うパリ・ダカールラリー(現ダカールラリー)に参戦したのである。しかも参戦3年目の1985年にはプロトT3クラスで初優勝。このイメージは当時のユーザーの心をがっちりと掴み、都会派に冒険という夢をパジェロは与えた。さらに80年代の“スキーブーム”“オートキャンプブーム”といった追い風にも乗り、パジェロはRV市場の頂点へと登りつめていくのである。

その勢いは、ライバル車であったビッグホーンもランドクルーザーもまったく寄せ付けないほどであった。ビッグホーンとは、常に開発競争で熾烈な競争を見せた。乗用車登録ワゴンの追加、リアサスペンションのコイルスプリング化、ディーゼルのインタークーラー化、ガソリンV6エンジンの搭載、3ナンバー&ワイドトレッド化など、両モデルの戦いはそのままクロカン4WDの進化へとつながったのである。
こうした戦いに乗り遅れたランドクルーザーがのちに、70系ベースのランドクルーザープラドを追加したのも、当時のクロカン4WD市場がいかに熱かったかを物語っている。
だがパジェロはその勢いに乗ったまま、1991年に2代目へとスイッチ。このモデルはさらに時代を先取りしたもので、まずデザインはパリダカのプロトマシンのようなフォルムを採用し、ロングとショートでマスクデザインを変えるという斬新なものだった。さらに、18インチホイールと電動オープントップを採用したJトップも設定。まさに、やりたい放題という感があった。


特筆すべきはその4WDシステムで、「スーパーセレクト4WD」という名付けられたその機構は市場の注目を集めた。パートタイム4WD独特の「タイトコーナーブレーキ現象」を解消すべく、フルタイム4WDモードをトランスファーの中に取り入れたのである。これによりユーザーは、乾燥路面でも安心して4WDで走ることができるようになった。
また、四駆ハイパワー時代の到来に合わせて、V6ガソリンエンジンをブラッシュアップ。後期モデルにはDOHC24バルブのユニットも追加している。また、ビッグホーンに比べると遅いと言われていたディーゼルユニットも大幅に改良し、動力性能をアップデートしたのである。
2代目モデルは初代以上の大ヒットとなり、ほぼ同じタイミングでモデルチェンジを果たしたビッグホーンを販売台数で大きく引き離した。1996年に登場した2代目ランドクルーザープラドに至っては、2代目パジェロを意識したデザインを採用したことで、業界の物議を巻き起こしたのである。
90年代末のパジェロはまさに栄華の絶頂にいたが、市場はよりライトなRVを求めるようになっていた。97年にはWRCマシンのランサーとパリダカ・パジェロを融合させた新基軸「パジェロエボリューション」を登場させたが、市場ではステーションワゴンやミニバン、SUVがもてはやされるようになり、本格クロカン4WDの販売には徐々に陰りが見え始めたのである。

パジェロ復活を願うファンの声に、三菱は応えてくれるのか!?
1999年に登場した3代目パジェロはSUVを意識したスタイリングを採用し、ボディ構造もモノコックとラダーフレームのハイブリッドであるフレームインモノコック構造に変更。エンジンも大幅にテコ入れをしたものの、全体的な目新しさに乏しいというのが大方の評価であった。
2006年には4代目へと移行し、2代目を彷彿とさせるデザインを取り入れたデザインが話題を呼んだものの、全盛期の勢いを取り戻すことはできず、2021年に生産終了という結果になった。


しかし、パジェロがクロカン4WDやSUVに与えた影響は大きく、歴史上で見てもマイルストーンになったことは間違いない。青春時代や幼少期をパジェロで過ごしたという世代は幅広くおり、パジェロ復活を望む声は少なくないのである。
それは三菱開発陣に言えることで、トライトンの発表時には多くの開発者がパジェロ復活に向けて尽力していることを匂わせていた。昨今ではネット上に新型のスクープ写真が出たり、一部の販売ネットワークに対して事前情報を開示しているという話も入ってきている。また、開催が間近に迫ってきた「ジャパンモビリティショー2025」に参考出品されるのでは…という噂もある。

次期パジェロの情報は少ないが、スクープ写真や予想CGを見ると、レンジローバーに似たエクステリアを採用しているようだ。全体的にスクエアなフォルムで、まさに初代パジェロを彷彿させる。パワーユニットは、日本仕様はPHEVのみという噂もあるが、ランドクルーザーのHVが日本には登場していないことを考えれば、大きなアドバンテージになりそうだ。
いずれにせよ、三菱の中でも大名跡であるパジェロの復活は近づいている(と思われる)。再びブームを興すのか、注目したいところだ。


