MotoGP第16戦サンマリノGPを現地取材した。開催地のミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリにはぜひとも紹介したい場所がある。それが、サーキットのエントランスに続く「viale Daijiro Kato(加藤大治郎通り)」である。
日本人ライダー、加藤大治郎の名がつけられた通り
MotoGPサンマリノGPが開催されるミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリは、イタリアにある。もう少し細かく説明すると、「サンマリノ」とはイタリアのなかにある共和国だが、ミサノ・サーキットはサンマリノから近くにあるので、サーキット自体はイタリアにあるけれど、グランプリの名称は「サンマリノ」となっている、というわけだ。
ちなみに、イタリアGPはこれとは別に開催されている。こちらの開催地はトスカーナ地方にあるムジェロ・サーキット。2025年シーズンは6月下旬に開催された。つまり、イタリアではMotoGPが年間で2戦、行われているのだ。
ミサノ・サーキットは、イタリア北部の大都市ミラノから約400km、南下したところにある。すぐ近くにあるリミニの街はアドリア海に面していて、いわゆるビーチリゾートだ。リゾート地だけあってホテルには困らないが、海沿いにみっしりとホテルやレストラン、お土産屋さんが並んでいるものだから、道がとても狭い。この建物と道の細さ、そして「その土地以外の人」であふれる様子は、日本で言えば、観光客でにぎわう温泉街がイメージに近いかもしれない。
夜にホテル周辺を歩けば、バカンスに来たのだろう親子や老夫婦が連れ立って歩いている。街は夜が深くなってもぴかぴかの照明によって明るい。9月上旬のリミニは、夜でもまだ暖かいのである。けれど、夏だと言えるほど暑いわけでもない。海からやってくる風は、間違いなく秋の空気をまとっている。リミニの9月は、そういう時期だ。


そんなリミニの街から、クルマで10㎞も走らない場所にミサノ・サーキットがある。
ミサノ・サーキットの特徴は、民家がとにかく近くにあること。サーキットのエントランス前のすぐそばに民家が立っていて、レースウイークには民家のスペースが駐車場になったり、サーキット前の通りにフードスタンドが立ったりする。
そして、もう一つの特徴は、サーキットのエントランス前の通りが「viale Daijiro Kato(加藤大治郎通り)」と名付けられているということだ。2004年にエントランスに続くこの道路が開通した。この道と名称は、インターネットの地図などでも確認できる。
イタリアの住所には通りの名前が含まれるので、ミサノ・サーキットの住所も「Via Daijiro Kato, 10 – 47843 Misano Adriatico (RN)」(ミサノ・サーキットのホームページより)となっている。
2001年の250ccクラスチャンピオンで、最高峰クラス2年目の2003年、MotoGP日本GPにおける不慮の事故により亡くなった故・加藤大治郎は、この近郊に住んでいたそう。日本人ライダーの名前を、遥か海を越えたイタリアのミサノのサーキットの通りで見ることができる。



また、このサーキットの名称「ミサノ・ワールド・サーキット・マルコ・シモンチェリ」には、2011年マレーシアGPのアクシデントによって亡くなったイタリア人ライダー、マルコ・シモンチェリの名前が冠されている。サーキットの近くのラウンドアバウトの中央には、シモンチェリのモニュメントが立っている。
余談ではあるけれど、ミサノ・サーキットだけではなく、ヨーロッパのサーキットには様々な形でライダー(またはドライバー)の功績を称えるものが多く存在している。そこには亡くなられた選手ばかりではなく、ご存命のレジェンドと呼ばれる選手も含まれている。コーナー名がライダーの名前になっていたり、コースのイン側やアウト側、あるいはサーキットのどこかに石碑やモニュメントが立っていたりすることも珍しくない。こうした選手へのリスペクト、彼らがなしたことへの「形のある」賞賛は、とても素晴らしいことだ。
サーキットの景観は大きくは変わらないのだけれど、レジェンドライダーであるバレンティーノ・ロッシが引退してから、サーキットを染める「色」が変わってきた。以前はロッシを象徴とするイエローが目にまぶしかったが、今ではドゥカティ・レッドがサーキットを染める。もちろん、イエローも健在だが、その割合は数年前に比べると少なくなった。
サーキットには変わらないものもある。サンマリノGP取材に行くと、必ず「viale Daijiro Kato(加藤大治郎通り)」へ足を運ぶ。けれど、変わるものもあるのだと、決勝レース後、表彰台の下を埋めるファンの“赤”を見て思うのである。




