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今日は何の日?■オランダと三菱、ボルボの合弁会社で生まれたカリスマ
1996(平成8)年10月24日、三菱自動車はオランダ・ネッドカー生産の4ドアセダン「カリスマ」を輸入して国内で販売を始めた。ネッドカーは、オランダ政府と三菱、ボルボによる合弁メーカーであり、欧州では前年に発売されて好評を得ているミディアムクラスの正統派セダンである。

カリスマを生産したネッドカーとは
ネッドカーは、正式には「ネザーランズ・カーB.V.」の略称であり、1991年にオランダ政府と三菱、ボルボによる合弁会社として設立された。もともとネッドカーは、1967年にオランダの自動車メーカーDAF(ファン・ドールネ自動車)が乗用車の生産拠点として設立したメーカーを起源とする。

経営難に陥ったDAFは1972年にボルボに買収され、ボルボ車の欧州向け生産拠点となり、「ボルボ・66」、「340/360」、「S40/V40」などが生産された。
以降もDAFは経営的には厳しい状態が続き、1990年初頭に資金難から閉鎖の危機に直面。オランダ政府は、何とか存続するために三菱と交渉を進め、1991年にオランド政府とボルボ、三菱自動車が合弁会社ネッドカーを設立したのだ。三菱は、欧州に生産拠点を作るための第一歩とする思惑があった。
ネッドカー設立後、三菱が初めて生産したクルマがカリスマであり、一方の「ボルボS40(セダン)/V40(ワゴン)」は三菱製のカリスマ用プラットフォームを使って独自のエクステリアデザインとエンジンを採用した。
オランダ生まれのヨーロピアンな雰囲気のカリスマ
1996年10月のこの日、ネッドカーで生産されたカリスマが日本に上陸した。日本ではバブル好景気は終焉を迎え、市場の要求は豪華なセダンやクーペからミニバンやRVへと移行している頃だった。


カリスマは、サイズ的にはランサーとギャランの中間の5ナンバーボディで、スタイリングはデザインコンセプト“リアリー・ヨーロピアン・テイスト”を感じさせるすっきりしたフォルムだった。パワートレインは、最高出力125ps/最大トルク16.5kgmを発揮する1.8L 直4 SOHCと、INVECS-IIを採用した4速ATの組み合わせ。駆動方式はFFのみで、4WDは設定されてない。

ボディは、三菱独自開発の安全ボディ“RISE”の採用によって、軽量かつ高剛性ボディが両立され、またSRSエアバッグは運転席と助手席の両方に標準装備されるなど、安全性についても十分な配慮がされていた。

車両価格は3グレードが用意され、それぞれ154.8万円/169.8万円/189.8万円に設定。当時の大卒初任給は19.5万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約183万円/200万円/224万円に相当する。

その後、マイナーチェンジで1.8L 筒内噴射(GDI)エンジンに換装して最高出力を140psへと向上させ、燃費改善も果たした。しかし、ボルボのS40系/V40系が世界的なヒットとなったのに対して、カリスマは成功を収めることができなかった。
クルマとしての完成度は高かったが、日本では全体的に地味なイメージでアピール力が低く、またランサーとギャランの中間という位置付けが中途半端だったようだ。そして2001年、日本での販売を終了した。
その後ネッドカーからボルボも三菱も撤退
引き続き、三菱はネッドカーでカリスマと同じプラットフォームを使った「スペーススター(欧州専売乗用車で、その後ミラージュを名乗る)」も生産した。

2001年にボルボが撤退し、その株式を三菱が取得することでネッドカーは三菱の100%子会社となった。その後も三菱はネッドカーで欧州向け「コルト」や「アウトランダー」を生産。しかし、三菱も欧州危機や円高などの影響からネッドカーの運営が厳しくなり、撤退することを英断した。


その売却先は、オランダのVDLでバスや商用車を製造していた自動車メーカーで、その売却価格は何と1ユーロ(当時は日本円で100円程度)と世間を驚かせた。もし、工場閉鎖になると多くの従業員が職を失い、オランダで社会的な問題となり、三菱の欧州での信用低下にも繋がりかねない。三菱としては、経営の足を引っ張っていたネッドカーを手放し、1500人の従業員の雇用も確保できると考えれば、売却額はどうでもよい、1ユーロでも良いと考えたのだ。
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カリスマは何が悪いというわけではなかったが、アピールするものが弱く地味な印象がぬぐい切れなかった。広宣にも力を入れていたようには思えないし、ネッドカーの生産工場の稼働率を上げるために日本で販売したのでは、と勘繰ってしまう。
毎日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。
