グローブは「永遠の課題」
MotoGPのパドックでレーシングスーツを供給するメーカーの一つが、日本メーカーであるクシタニだ。2025年シーズン、クシタニは、MotoGPライダーとなった小椋藍(トラックハウス・MotoGP・チーム)、ソムキアット・チャントラ(イデミツ・ホンダLCR)とともに最高峰クラスに進出。今季はMotoGPクラスの小椋、チャントラを始め、Moto2クラスのイデミツ・ホンダ・チームアジア、Moto3クラスのホンダ・チームアジアのライダーたちをサポートしている。
クシタニは、レーシングスーツのほか、グローブとブーツをMotoGP、Moto2、Moto3ライダーに供給している。グローブは「GPV GLOVES II」(以下、GPV)、ブーツはアルパインスターズとのコラボレーションによる「SUPERTECH R × ProtoCore Leather」で、小椋やチャントラはオリジナルのカラーリングを使用しているが、製品としては市販されているものと変わりはない。
MotoGPのレーシング・サービスと、現場で行われるグローブの開発について、クシタニのレーシングサービス課長、六浦真樹さんに日本GPでお話を伺った。なお、今回は主にグローブにフォーカスした記事になっているが、レーシングスーツにフォーカスした記事も別途掲載しているので、ぜひご一読いただきたい。(記事「パドックでライダーを支えるクシタニ。MotoGPレーシングスーツの現場」)
「グローブに関しては永遠の課題なんですよ」と、六浦さんは語る。
「例えば以前うちのトップモデルだったGPRは、表側に樹脂のパッドを使わない形で発展させてきました」
樹脂を使用せずに安全なグローブを開発してきたが、昨今の風潮として「樹脂で保護されていない=危険」とされるようになってきた。このため、クシタニも樹脂付きのグローブの開発に乗り出すことになったという。
「けれど同時に、今までの樹脂がない形で進化したものを否定しないものにしたい、と作り始めたんです。それがGPVの発端です。当時、MotoGPの開発をしていた野左根(航汰)選手がテストのために常に浜松に来ていたので、彼にフィードバックをしてもらい、本当に二人三脚で作りました。それで形になったのが、今のGPVなんですよ」
試行錯誤は続き、大きく分けても、現在のGPVは3タイプ目になる。
「グローブに関しては、基本的にこれでいい、ということがないんです」
「ライダーの保護のために、どう(グローブを改良)するのか。常にその戦いです。グローブに関しては、我々としても完成したという意識が一切ないです。常に開発を進めないといけない。ガチガチにしてはいけないし、変に固めてもいけないですからね」
「グローブってシビアで、ミリ単位の差が指でわかるんですよね。だから、ある意味、レーシングスーツよりもシビアで難しいところもあります。体の中で力としてはそう多くないところで、でも稼働しなきゃいけない、細かい作業をしなきゃいけない。でも、転倒したら300km/h以上で路面にヒットする可能性がありますから」
「まだ全然、100点だとは思っていません」と、六浦さんはきっぱりと言う。「100点だと思った瞬間に、進化が止まってしまうので」
こうしたたゆまぬ「安全」への追及が、MotoGPの現場では行われている。そして、この最高峰の技術が、私たちがバイクに乗るときライディングウエアにも反映されるのである。
最後に、六浦さんにレーシング・サービスのやりがいを尋ねた。
「時には選手に怒られることもありますし、喜ばれることもあります。そのやりとりの中でものを作っていくっていうのは、やはりやりがいにもなります」
「あとは、最終的にやはり完全に安全なものが作れれば、理想じゃないでしょうか。動きやすく、耐久性もあって、コストも抑えられるような。全部は無理かもしれないけれど、少なくとも安全に関しては、妥協をしてしまうと終わってしまいますから」
「それはやりがいでもあるし、プレッシャーでもありますけど、この現場に来て作業している人間は、選手がけがをしたら実際に見ますし、意見も直接聞く立場ですからね。常にみんなが思っていることだと思いますよ」
日本GPはフライアウェイと呼ばれる、ヨーロッパ以外で開催されるMotoGPだ。だから、レーシング・サービスが行われるのはいつものようなサービストラックではない。でもそこにはミシンがある。走行によってこすれてしまったレーシングスーツが、色を塗られるのを待っている。インタビュー中、小椋のアシスタントがやってきて、また出ていった。この場所で交わされる会話から、得られるフィードバックから、クシタニの技術が生まれていくのだ。
クシタニ
レーシングサービス 課長
六浦真樹さん
1989年、クシタニ入社。1990年より商品管理、生産管理、営業管理を経て、2003年からはレーシングサービスを担当。以降、全日本を中心にサービス活動を行う。




