懐かしの名車と出会えた
『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』

終わってみれば『ジャパンモビリティショー2025』(以下、JMS2025)は、見どころの多い近年稀に見る楽しいモーターショーだった。だが、旧車ファンの筆者にとっては”Interesting”としての楽しさ、知的な好奇心を刺激するものであって、”Fun”としての楽しみは「Mobility Culture Program」の一環として東京ビッグサイト・東7ホールで開催された『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』にあった。

東京ビッグサイト・東7ホールで開催された『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』の展示エリア。

このアクティビティはトヨタやホンダ、日産をはじめとする自動車メーカーと、トヨタ博物館などが所蔵する歴史的な名車を特別展示すると言うもので、古いものでは1947年のたま電気自動車(プリンスの前身となる東京電気自動車が開発)から、新しいところでは初代プリウスまで、戦後間もない頃から1990年代までの名車と呼ばれた30台以上のモデルが、当時の街並みや流行歌とともに展示されていた。

東京電気自動車が戦後のガソリン不足に対応すべく、1947年に発表したたま電気自動車。このメーカーはのちにスカイラインを開発するプリンス自動車の前身である。

小型車から高級車、スポーツカー、SUVやCCV(クロスカントリーヴィークル)、ミニバンと展示車はジャンルを問わず、その時代を代表する車種で、当時を知る人はなんとも懐かしく、過去を知らない若者には新鮮な気持ちで自動車史に触れることができる。

北米・マスキー法による厳しさを増した排出ガス規制を初めてクリアしたCVCC(複合渦流調速燃焼方式)エンジンを搭載した初代ホンダ・シビック。車両だけでなく、エンジン単体も展示されていた。

未来のモビリティが主役のJMS2025にこのような旧車が展示されるということは、自動車の進化の歴史が現在まで途切れることなく続いていることを実感させるとともに、あらためて過去を振り返ることで何か新しい発見があるかもしれない。まさしく温故知新である。

国産車ばかりでなく昭和の時代に庶民が憧れた外国車も展示

『タイムスリップ・ガレージ』の展示車は国産車ばかりではなく、日本製品の品質がまだまだ未熟で性能や信頼性が低く、舶来品の評価が高かった時代の外国車が2台展示されていた。

そのうちの1台が1951年型VWタイプ1(ビートル)だ。日本では1952年にヤナセが取り扱いを開始し、1950~1960年代にかけては堅牢さと信頼性の高さ、そして「寒冷期でも暖機運転不要でコールドスタートできる」との謳い文句で開業医が往診用にこぞって買い求めたことから医師自らハンドルを握る「ドクターズカー」として使われる例が多かった。当時は消防署が救急車を配備して救急搬送が普及する前の時代ということもあり、一般の人々の間でも「お医者さんのクルマ」として認知されていたようだ。

ヤナセを通じて日本に輸入が開始される1年前に製造された1951年型VWタイプ1(ビートル)。同社は終戦とともに生産を再開し、1949年から北米に輸出を開始し、1950~60年代にかけては小型大衆車の世界的ベストセラーとなった。

そして、もう1台の輸入車が元祖スペシャルティカーの1967年型フォード・マスタングだ。この車両は初代モデルの中期型で、前期型のスタイリングと基本となるメカニズムはそのままに、ボディサイズを大型化。それまでのオプションを自由に選択して「自分だけのマスタング」をオーナー自らが作り上げるフルチョイスシステムから、メーカーがオーナーの趣向を先読みして反映させたパッケージングオプションに販売スタイルを変え、登場当初よりも価格はアップしたモデルだ。しかし、それでもグレードによっては若者でも手が届くモデルも設定され、アメリカではスポーティな大衆車として人気を博していた。

1967年型フォード・マスタングHT。初代モデルとしては中期型に当たるモデルで、ホイールベースはそのままにボディ外板を一新。全長、全幅、トレッドともに大型化した。

だが、当時のドル高(1971年までは1ドル=360円の固定相場)もあって日本でのアメリカ車は庶民には手が届かない高嶺の花だった。もちろん、マスタングも例外ではなかったが、国内販売されるアメリカ車の中では比較的リーズナブルな販売プライスということもあって、当時のクルマ好きの若者は「がんばればオレにも手が届くかも……」と憧れたものだ。もっとも、ニューエンパイアモータースなどの当時のディーラーがマスタングにつけた正札は国産高級車のクラウンの2倍以上。実際に手に入れることができたのは、裕福な家庭の子弟に限られたようだ。

1967年型フォード・マスタングHTのリヤビュー。特徴的なテールランプの意匠は初代トヨタ・セリカLBなど、世界中のスペシャリティカーに影響を与えた。

1970年代前半に登場した初代トヨタ・セリカ 、4代目日産スカイライン(ケンメリ)、三菱ギャランGTOなどの国産スペシャリティカーがおしなべてマスタングルックを採用していたのは、単に世界的な人気車種というだけでなく、そのような当時の若者たちのマスタング・コンプレックスに応えようとした結果と言えるかもしれない。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で人気を博したデロリアン

ほかに輸入車としては、ずっと時代は下るが、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でお馴染みのデロリアンDMC-12も展示されていた。このクルマに関しては説明は不要だろう。GM重役だったジョン・デロリアンが理想のクルマを作るべく、北アイルランドに工場を立て、ジョルジェット・ジウジアーロデザインのステンレス製ボディを持つガルウイングクーペを1981年から製造を開始したものだ。

映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でお馴染みのデロリアンDMC-12。自身の理想的なクルマを作るため、GM重役だったカーガイのジョン・デロリアンが独立して製造したステンレスボディとガルウイングドアを持つクーペ 。性能面でパッとせず、ビジネス面でも失敗するが、映画の影響もあって今日でもコアな人気がある。

しかし、このクルマの品質は悪く、パフォーマンスもパッとしなかったことに加え、デロリアン自身が麻薬スキャンダルを引き起こしたことで資金繰りが悪化。1982年末に破産した。ラインオフしたDMC-12は9000台足らずで、ビジネス的には失敗作の烙印を押されたが、ロバート・ゼメキス監督による映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のヒットによって今日では名車として扱われている。

この3台の外国車はすべて愛知県長久手市にあるトヨタ博物館の収蔵車だ。JMS2025で見逃してしまった人は同博物館を訪れることをオススメしたい。

競技車両やモーターサイクルに旅客機のエンジンと充実のラインナップ

1988年のF1GPにて、アイルトン・セナ&アラン・プロストのコンビで16戦15勝という前人未到の金字塔を打ち立てたマクラーレン・ホンダMP4/4。唯一勝利を逃したのは第12戦イタリアGPで、プロストはエンジントラブルでリタイヤし、残るセナはウイリアムズから病気欠場のナイジェルマンセルの代役としてスポット参戦していたジャン=ルイ・シュレッサーと絡むアクシデントによってレースから去った。ちなみに、彼の叔父はホンダ第1期F1でRA302をドライブ中に事故死したジョー・シュレッサーだった。

会場にはF1マシンのマクラーレン・ホンダMP4/4や、WRC(世界ラリー選手権)で活躍したスバル・インプレッサ555(1996年サンレモ・ラリー参戦車)、三菱ランサーエボリューションIII(1996年1000湖ラリー優勝車)、三菱パジェロ(1985年パリダカールラリー優勝車)など、世界のレースシーンに栄光を刻んだ競技車両も展示。

グループA仕様のスバル・インプレッサ555(1996年サンレモ・ラリー参戦車)。インプレッサは1992年の登場とともに英プロドライブ社に持ち込まれてWRCに参戦すべくラリーマシンに仕立てられた。初陣は1993年第9戦1000湖ラリーで、初戦ながら総合2位に輝いている。初優勝は1994年の第6戦アクロポリス・ラリーで、さらにこの年はコリン・マクレーによる2勝と併せてマニュファクチャラーズランキングでも2位を獲得。1995年にはコリン・マクレーが初のチャンピオンを獲得。同時にスバルはマニュファクチャラーズも獲得し、初のチャンピオンをダブルタイトルで決めた。
同じくグループA仕様の三菱ランサーエボリューションIII。ランサーエボリューション、ランサーエボリューションIIに続く第1世代”ランエボ”の最終進化系として1995年シーズン途中からWRCに投入され、同年のオーストラリアラリーで優勝。1996年はトミ・マキネンが9戦5勝を挙げてマキネンと三菱初となるドライバーズチャンピオンを獲得した。
1983年から参戦していた三菱が、初参戦から2年目に日本車として市販車改造クラスで初優勝という快挙を遂げたのが、この三菱パジェロ1985年ダカール・ラリー優勝車だ。ベースは3ドア車で、ホイールベースを延長し、前後重量バランスを改善。リヤサスペンションはリーフスプリング式から3リンク式変更し、カーボンケプラー製のボディパネルの採用により200kgの軽量化を図った。また、2.6Lの4G54型直列4気筒ガソリンターボエンジンは改良によって225psまで高められている。

加えて、スズキRGガンマ500やカワサキKR350、ヤマハYZR500などのWGP(ロードレース世界選手権)を席巻したレーシングバイクも展示されていた。

1981年にWGPを席巻したスズキRGガンマ500は同年選手権2位のランディ・マモラのマシン(写真手前)。カワサキKR350は1982年のWGP350ccクラスのチャンピオンとなったアントン・マンク車(写真奥)。
1984年のWGPでエディ・ローソンのライディングでチャンピオンを獲得したヤマハYZR500。
1994年に14戦9勝と選手権を圧倒して自身初のチャンピオンを獲得したマイケル・ドゥーハンのホンダNSR500。なお、F1ドライバーのジャック・ドゥーハンはマイケルの息子だが、同じくF1ドライバーのリアム・ローソンはエディ・ローソンとは無関係。

さらに、ホンダ・モトコンポやヤマハJOGなどの懐かしの原付、さらには戦後初の国産旅客機YS-11に搭載されたロールス・ロイスRB.53ダートMk.543-10ターボプロップエンジンなども、これらの市販車に混じって展示されていた。

YS-11に搭載されたロールス・ロイスRB.53ダートMk.543-10ターボプロップエンジン。
エンジンの横にはYS-11の模型が展示されていた。

過去がなければ現在は存在し得ない。各メーカーが出展する未来を予感させるコンセプトカーがJMS2025の主役であることは否定しないが、先人たちがどのような技術を生み出し、どのようなクルマやバイクを作ってきたのか。そのような自動車史の1ページをこのような機会に紹介するのは大変意義深いことである。

次回のJMSで『タイムスリップ・ガレージ』のような旧車に焦点を当てた企画展が実施されるかはわからないが、同様の展示があった場合は足を運んでみてはいかがだろうか。

『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』
展示車両を一気に紹介!

『Mobility Culture合同展示 ~タイムスリップ・ガレージ~』には他にも多数の車両が展示されていた。そんな展示車両を一気に紹介しよう。

1985年に登場したいすゞFFジェミニ(ジェミニとしては2代目)。いすゞとしては久々の自社設計(先代はGMの世界戦略車)の乗用車で、デザイン原案はジョルジェット・ジウジーアーロによるものだが、市販化に当たってのリデザインに彼が難色を示したことにより、発表時にジウジアーロの名は伏せられた。
FFジェミニの展示車両は前期型ベーシックモデルのセダンC/Cで、ほかにハッチバックの設定もあった。また、1986年に西独イルムシャー社がチューニングした1.5イルムシャー、1988年には1.6L直列4気筒DOHCエンジンを搭載したZZハンドリング・バイ・ロータスが追加されている。
FFジェミニはシンプルながら個性的な造形で、フラッシュサーフェイス化による空力設計と視界の良さが両立されていた。
ハチロクことAE86型トヨタ・カローラレビン。レビンとしては4代目にあたるモデルで、マンガ『頭文字D』の影響もあって現在でも走り屋に人気のコンパクトスポーツ。
3ドアハッチバックのほかにノッチバックの2ドアクーペも設定されていた。設計と生産は関連会社の関東自動車工業が担当した。
プリンス・スカイライン2000GT。1964年の第2回日本グランプリに出場した同車が、同じGT-IIクラスにエントリーしていたポルシェ904の前を1周だけリードしたことから「スカイライン伝説」が始まる。その端緒となったマシンでもある。
もともと直列4気筒エンジンを搭載していたスカイラインに、グロリア用の直列6気筒を半ば無理やり搭載して成立させた。リヤからでもフロントノーズの長さが際立って見える。
今に続く名跡もここから始まった初代スズキ・ジムニー (LJ10)。
これまでのコンパクトカーには無いルーミーなトールボーイスタイルとポップなデザイン、インパクトのあるCMで人気を博した初代ホンダ・シティ。
シティのトランクにも積める折り畳み機構を備えたファンバイクとしてリリースされたホンダ・モトコンポ。その機構やデザインで今でも根強い人気がある。
今のところ最後の量産2ドアロータリースポーツとなっている3代目マツダRX-7(FD3S)。
直列エンジンをミッドシップに横倒しにして搭載して、重心を車体中央に低く手中することでワンボックス車のバランスを改善した”天才タマゴ”初代トヨタ・エスティマ。ただ、足まわりやタイヤの進化もあり、この構造は後のモデルには受け継がれなかった。
アウトドアレジャーやスキーブームと相まって初代から続く”ワゴンブーム”を牽引した2代目スバル・レガシィツーリングワゴン(BG)。DOHCターボ(写真の2代目はシーケンシャルツインターボ)によるワゴン離れした性能が人気を呼んだ。
世界初の量産ハイブリッド車として登場した初代トヨタ・プリウス。トヨタのハイブリッドシステムのまさに元祖。北米でも話題となり、当時盛り上がりつつあった環境問題から環境意識の高いセレブがこぞってプリウスオーナーであることをアピールしていた。
その前衛的なデザインが話題を呼んだいすゞ・ビークロス。今で言うところのクーペSUV的なクロスオーバー車だった。
1969年にデビューしたK0から始まるCB750FOURシリーズの最終モデルとして1977年に追加されたホンダ・ドリームCB750FOUR-K(K7)。
2023年に公開された映画『シン・仮面ライダー』に登場したシン・サイクロン号。ベースとなったのはホンダCB650Rだ(変形前はCB250R)。設定では自立可動型で、実際にホンダはオートバイに自立式の自立追尾システムを開発しているが、劇中の追尾シーンはCGを使用している。
デザイナーは『新世紀エヴァンゲリオン』や『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のメカデザインを担当した山下いくと氏。初代サイクロン号をモチーフに現代的でスマートなアピアランスとし、ヘッドランプを4灯式とするなどアレンジを加えている。