『auto sport特別編集「星野魂」』

auto sport特別編集「星野魂」

発売日:2025年12月17日(水)
定価:2200円(本体価格:2000円)
仕様:A4変形判(297×232mm)/オールカラー/112ページ
発行・発売: 株式会社三栄
販売:全国書店
三栄オンラインストア(AmazonPay、PayPay払い対応・送料無料)
https://shop.san-ei-corp.co.jp/shop/g/g505295/

auto sport特別編集「星野魂」発売中!!

星野自身がお気に入りとふり返るキャビンカラーのF3000が目次イラスト

野球少年だった星野一義がクルマとバイクに夢中になり、自分のバイクを手に入れたのが中学2年生の時。独学で走りを覚えて、浜松オートで走り見て研究し、また走る。高校は中退してプロモトクロスライダーの道を歩みだす。星野が常人を超えているのはバイクを手に入れた中学2年の時点で「プロとしてメシを食う」ことを決めていた点にある。まだ実績はなくてもやれる自信と覚悟を持っていた。

プロ野球選手でもサッカー選手でも、幼少期に選手へまず憧れて、自分もそうなりたいと努力して、一定の結果が出たところで自信をつかみ飛躍するのが常道。しかし星野一義少年は違った。バイクに夢中になった中学2年生の時にプロとしてメシを食うことを決意

自分でやってみて、他人の走りを研究し、考えて、また自分の走りにそれを活かす。誰に導かれることもなく、そのループを回す手法を自分で身につけたライダーは、オーディションによってニッサンの契約ドライバーに抜擢されて、4輪レースのキャリアをスタートさせた。

このページのメインカットは1972~73年頃に乗ったニッサン・チェリー。まだFF車が珍しかった時代であり、レースカーとしての仕立て方も手探り状態。激しいタックイン(旋回中にスロットルをオフすると巻き込む現象)をどう御してクルマを前に進めるか? その工夫の過程で身につけたドライビングは、フォーミュラにおいて開発初期段階のレーシングラジアルの対応に応用できた

どのように乗り、戦ったのか、その時になにを考えたのか、全キャリアをふり返るインタビューを合計16時間以上実施。貴重な当時の写真とともに「星野一義の戦い」を一冊にまとめた。

星野が最も情熱を傾けたフォーミュラ(グラチャン含む)を3つの時代に分けてレースシーンをふり返る。このページの1983-1986年はF2時代。非力なBMW 4気筒エンジンを限界まで回して、ホンダ製V6エンジンに挑んだ

時代は変化したとしても、レーシングドライバーに求められる能力や資質がどのようなものなのか、星野の言葉は示唆に富んでいる。

70年代、石油ショックによりワークス活動を休止したニッサン。そのなかで契約ドライバーとして残ったのは長谷見昌弘と星野一義だった。星野がこれまで乗ってきたニッサン車のインプレッション、思い出を語っている

【主な企画】
・星野はいかに運転してきたか
・星野フォーミュラクロニクル 1974-1982
[フォーミュラデビュー〜ヒーローズ時代]
回顧録1.「こんな俺についてきてくれた女房に感謝感謝よ」
・星野フォーミュラクロニクル 1983-1986
[ホシノレーシング始動〜打倒中嶋に燃えた時代]
回顧録2.「世界へ行きたかった」
・星野フォーミュラクロニクル 1987-1996
[F3000時代、そしてポールポジションからの引退]
・ホッチと浜ちゃんのトークルーム ~対談 星野一義×浜島裕英~
回顧録3.「そんなニッサン時代があったから」
星野印のニッサン車たち ~ホシノコメントで綴る「乗りこなしニッサンレーシングカー」全集~
PGC10型/KPGC10型 スカイラインGT-R
S30型 フェアレディZ(Z432/240〜280Z)
KPE10型 チェリーX1/X1-R
S110型/S12型 シルビア スーパーシルエット
グループC マーチ83G・LZ20B/マーチ85G・VG30
グループC R90CP〜R92CP
BNR32型 スカイラインGT-R グループA
HR31型 スカイラインGTS-R グループA
P10型/P11型 プリメーラ スーパーツーリング
LMGT1 ニスモ GT-R LM
BCNR33型/BNR34型 スカイラインGT-R GT500
LMGT1 R390GT1
・鈴木利男の星野ドライビング考察 ~究極の荷重合わせができた人~
・星野モトクロスクロニクル 1963-1969
[カワサキコンバット〜神戸木の実レーシング時代]
回顧録4.「これじゃないよ、CB92なんだよ!」──少年時代の星野
・EPILOGUE もうひとりの星野
・ホシノを継ぐもの 星野一樹が語る父・星野一義とこれからのホシノ