連載

WRC名ラリーマシン図鑑

4代目パルサーGTI-Rがベース車両

1987年に始まったWRCのグループA規定。ベース車両は継続した12カ月間に5000台以上の生産が義務づけられた。ターボにエアリストリクターを装着して最高出力は300ps以下に抑えられていた。この当時、圧倒的に強かったのは、ランチア。

この時代のマニュファクチャー/ドライバータイトルは以下の通りだ。

1987年 ランチア(ランチア・デルタ)/カンクネン(ランチア・デルタ)
1988年 ランチア(ランチア・デルタ)/ビアシオン(ランチア・デルタ)
1989年 ランチア(ランチア・デルタ)/ビアシオン(ランチア・デルタ)
1990年 ランチア(ランチア・デルタ)/サインツ(トヨタ・セリカGT-Four)
1991年 ランチア(ランチア・デルタ)/カンクネン(ランチア・デルタ)
1992年 ランチア(ランチア・デルタ)/サインツ(トヨタ・セリカGT-Four)

翌1993年から1999年までの7年間は日本メーカーの時代が始まるわけだが、日産がパルサーGTI-RでWRCに挑んだのは、その直前だったわけだ。

1991年シーズンに参戦していたのは、ランチア・デルタ・インテグラーレ16V、トヨタ・セリカGT-Four ST165)、スバル・レガシィRS、三菱ギャランVR-4、マツダ323GTX、フォード・シエラRSコスワース4×4、そして日産パルサーGTI-Rだった。

ベース車両となったのは1990年に4代目にモデルチェンジした日産パルサーだ。エンジンは2.0L直列4気筒DOHCターボのSR20DETを搭載。4WDシステムは、電子制御4WDシステムの先駆者、ATTESA E-TS(アテーサE-TS)を使った。

当時の日産は、かつてのサファリでの活躍で「ラリーの日産」として名を馳せていた。ラリーの日産復活を託されたのが、パルサーGTI-Rだったのだ。

パルサーGTI-R パルサーGTI-Rの価格は227万円。ベース仕様は212万円だった。

日産パルサーGTI-R(市販車)1990年
全長×全幅×全高:3975mm×1690mm×1400mm
ホイールベース:2430mm
車両重量:1220kg
エンジン
形式:2.0L直列4気筒DOHCターボ
型式:SR20DET
排気量:1998cc
ボア×ストローク:86.0mm×86.0mm
最高出力:230ps/6400rpm
最大トルク:284Nm/4800rpm
サスペンション:Fストラット/Rパラレルリンク・ストラット

1991年のWRC第4戦サファリ・ラリーをデビュー戦にした日産パルサーGTI-R。ドライバーはスティグ・ブロンクビスト、マイク・カークランド、デイビッド・レベリンの3名。デビュー戦は5位(ブロンクビスト/メランダー組)だった。ちなみに優勝はランチア・デルタ・インタグラーレ16V(ユハ・カンクネン/ユハ・ピロネン組)、2位はトヨタ・セリカGT-Four(ST165)だった。

1991年のWRCサファリ・ラリーでは、ブロンクビスト/メイランダー組が5位、カークランド/タッティ組が7位に入賞した。

日産パルサーGTI-R(Gr.A)1990年
全長×全幅×全高:3975mm×1695mm×1400mm
ホイールベース:2430mm
車両重量:1140kg
エンジン
形式:2.0L直列4気筒DOHCターボ
型式:SR20DET
排気量:1998cc
ボア×ストローク:86.0mm×86.0mm
圧縮比:8.0
最高出力:300ps
最大トルク:35kgm
トランスミッション:日産製6速

日産が自信を持って投入したパルサーGTI-Rだが、エンジンルームの狭さから冷却に問題を抱えたのと、改造範囲の狭いグループA規定により、タイヤサイズの拡大ができなかったことなど、ラリーマシンとしてはさまざまな問題を抱えてしまった。満を持して登場したパルサーGTI-Rの活動は、わずか2年で終了してしまった。1991年は4戦のみの参戦でマニュファクチャラーズ選手権7位だった。1992年の途中で撤退してしまった。

ただし、グループNでは活躍し、1992年にはグループNチャンピオンに輝いた。


連載 WRC名ラリーマシン図鑑

名鑑 21時間前

パルサーGTI-R グループA時代のWRCに挑んだ”小さな巨人”