
友人は初代エスティマが家にやって来た日のことを、なぜかよく覚えていると言った。
納車の日、彼の父は普段より少し早起きで、いつもより饒舌だったという。「エンジンがミッドシップなんだ」「この形、未来っぽいだろ」。クルマを前にした父は、久しぶりに“少年”の顔をしていたという。父の発した「ミッドシップ」という言葉自体は、折からのF1ブームで彼もさんざん耳にしていたから、「エンジンが真ん中にある」という事ぐらいは理解していたが、よもやそのエンジンが横倒しーー傾斜搭載されている事までは知る由もなかったという。

1990年に登場した初代エスティマは、それまでのミニバンとは明確に違う存在だった。背は高いが四角くはない。フロントガラスは大きく寝かされ、ボンネットは短い。街で見かけるだけで「新しい時代のクルマだ」と分かる造形だった。何しろトヨタは当初は「ミニバン」などと呼ばず、「高性能ニューコンセプトサルーン」と呼称していた。

後席に座ると、視界の高さに驚いた。窓が大きく、外の景色がよく見えた。だから渋滞に巻き込まれても、不思議と退屈しなかった。エスティマは、移動時間そのものを少し特別なものに変えてしまう不思議な力を持っていた。
家族旅行の準備も変わった。それまではセダンの小さなトランクに押し込めない荷物が出たが、エスティマでは荷物の量を気にしなくてよくなったのだ。クーラーボックス、浮き輪、よく分からない大きな袋…。それらを積み込んでも、エスティマにはまだ余裕があった。その余裕が、家族旅行の行き先の選択肢まで広げていたように思えたという。

もちろん欠点もあった。取り回しは大きく、狭い道では彼の父もさすがに眉間にしわを寄せた。それでも文句は少なかった。すでにエスティマは、単なる移動手段ではなく「家族の象徴」になっていたからだ。
そんな昔話を聞きながら、今振り返ると、初代エスティマは合理性だけで家族に選ばれたクルマではなかったのだろうと思う。あの時代の日本は、合理性よりも「未来感」に価値を感じていた。きっと多くのエスティマ・オーナーの家族にとっては、「家にエスティマがある」ということ自体が、少し誇らしかったのだ。それは「未来」を所有することだったに違いない。


