コーナリングの楽しさを後輪操舵で研究するって?
2025年ジャパンモビリティショー会場のヤマハ発動機ブースで、ひときわ異様なオーラを放っていた一台の3輪の乗り物があった。前2輪・後1輪という、一見するとクラシカルにも見えるデザインに、先祖返りしたようなパッケージ。ステアリングを切れば、普通に前輪が左右に切れる。しかし、ステアリングポストにあるパドル操作によって、「グリンッ」とありえない角度で動く後輪の挙動だった。

それが『TRICERA proto(=トライセラ・プロト。以下、TRICERA)』。
「なぜ今、3輪なのか?」「この後輪操舵で、一体何をしようとしているのか?」





そんな私の疑問に答えてくれるというエンジニアを訪ねて、静岡県磐田市にあるヤマハ発動機の本社を訪れた。そこで待っていてくれたのはお二人のTRICERA開発担当者だった。
ヤマハ好きなことを実現したい人が多い、「何を作りたいのか」が大切
インタビューのテーブルについてくれたのは、現在TRICERAプロジェクトリーダー(PL)の宮本秀⼈さんと、宮本さんの参画以前の立ち上げからPLを務め、現在はサブPLとしてTRICERAの開発に関わる寺田圭佑さんだ。

宮本さんは、4年前に某自動車メーカーから転職してきた。「新しいモビリティを形にしたい」という熱い想いを抱いてヤマハの門を叩いたそうだ。
寺田さんはヤマハ生え抜き。あのフロント2輪の大型バイク『NIKEN(ナイケン)』を生んだ部署の出身であり、その立ち上げにも携わった、まさにヤマハの3輪には造詣が深い。

ーーーまずは、お二人のバックグラウンドから伺いたいんですが。宮本さんは転職でヤマハに入られた?
宮本 はい。4年前に中途で入りました。前職は某自動車メーカーで電装設計をやっていたんですが、もっと自分のアイデアを直接形にできる場所、新しいモビリティをゼロから作れる環境を求めてヤマハに来ました。入社して半年で『まずは量産を経験することが大切』と現場に送り出され、3年ほど量産設計を叩き込まれてから、この研究開発(R&D)の部署を担当するようになったという経歴です。

ーーー面白いですね。入社されてから、やっぱり体質というか『空気』の違いは感じますか?
宮本 かなり違いますね。ヤマハは、担当者個人に『君はどう思うのか』『君は何を作りたいのか』という意思を問う文化がすごく強い。好きなことのために仕事をしている、そんな感覚の人が多いのが印象的でした。

ーーーああ、それ、すごく分かります。取材するたびにヤマハの人たちって、どこか『自分が楽しいから作ってる』感がありますよね(笑)。寺田さんは、ずっとこの3輪というジャンルをやってらっしゃるんでしょうか?
寺田 私は最初に入った部署が、マルチホイール車両「NIKEN(ナイケン)」などを生み出した新規車両開発のグループでした。その後、車体設計を数年経験してまた研究に戻り、TRICERAの立ち上げに携わりました。実は2023年のジャパンモビリティショーに出展したときのTRICERAよりも前から、別のプロトタイプで運動制御の研究を続けていたんです。



利便性ではない快楽を求める後輪操舵
TRICERAが生まれた背景には、ヤマハ発動機のR&D部門にある「プロジェクトリーダーが集まる部署」という、一風変わった組織の存在がある。
ーーーその部署、いかにも尖っていて面白そうですね。具体的には何を担っているんですか?
寺田 研究開発プロジェクトの目標設定とプロジェクトのマネジメントをおこなう部署です。様々なモビリティを世に出すべく、日々試行錯誤しチャレンジを続けています。
ーーーそんな試行錯誤の中から、なぜこの『前2輪・後1輪』のパッケージが出てきたんでしょう?
寺田 起源は2019年頃に遡ります。二輪でも四輪でもない、既存の枠に収まらない『走りの楽しさ』って何だろう、と考えたのが発端です。そこで着目したのが、後輪操舵でした。旋回時に後輪を積極的にコントロールできれば、これまでにないコーナリング体験を生み出せるんじゃないか。そんな仮説から、最初のプロトタイプ開発がスタートしたんです。

後輪操舵自体は、1980年代に日本の四輪メーカーの間で一大ブームとなった技術だ。しかし、当時は主に「小回りの良さ」や「高速域での安定性」といった利便性を追求するものだった。ヤマハがTRICERAで目指したのは、その利便性とは真逆だった。
宮本 これまでの多くの後輪操舵は、利便性や安定性に振るのが一般的です。でも僕らは、最初から『楽しい乗り物を作ろう』という目的がありました。コーナリング時に後輪を前輪と逆の方向に切る(逆位相)ことで、車体が回ろうとする力、つまりヨーレートの立ち上がりを劇的に速くしたんです。



ーーー理屈は分かりますが、実際に乗ってみるとどうなんですか? 私も昔、4WS車には散々試乗やテストをやりましたけど、違和感とか、不自然な動きのものもありました。
宮本 僕も初めてプロトに乗った時は衝撃でした。事前に『楽しい』という感想は聞いていたんですが、詳細な言葉で説明されている資料がなくて。でも、乗った瞬間に『ああ、これか!』と。ハンドルを操作した瞬間に車体がクッと反応して、自分を中心に回転しているような、あるいは『クルマと一緒に踊っている』ような、強烈な一体感を感じたんです。
寺田 専門的な言葉で言えば、車体のスリップ角を制御して生み出す『自転しているような感覚』ですね。この独特のフィーリングを、単なる『感想』で終わらせるのではなく、科学的に解明しようとしているのが今のフェーズなんです。

ヤマハの新たな部門「人間研究部」とは?
今回のTRICERAプロジェクトにおいて、特筆すべきは「人間研究部」という部署との連携だ。ヤマハは今、乗り手が感じる「楽しさ」を、シート圧や加速度といったデータから数値化しようとしている。
ーーー普通、楽しい乗り物ができたら『よし、売ろう!』となりそうですが、そうなっていないんですね。楽しさを数値化しようというのは、なんだか高尚な、ヤマハらしい発想というか(笑)。
宮本 売りたい!というのはまた別の話になってしまいます(笑)。背景にあるのは『人はなぜ旋回を楽しいと感じるのか』という現象解明への欲求です。例えば、ヨーレートの立ち上がりが早ければいいというわけでもない。早すぎると『気持ち悪い』という評価も出る。その『ちょうどいい境目』がどこにあるのかを探っているんです。

寺田 ドライバーの頭に加速度計をつけて頭がどう振られているかとか、シートにかかる圧力を測ったりして、『この数値の範囲なら楽しい、これを超えると不快』というマップを作っている最中なんです。2025年から『人間研究部』という組織ができまして、人間にフォーカスした現象解明を設計に活かしていこうという動きが本格化しています。その部と連携してやっています。
ーーーそこで今、何か見えてきたことはありますか?
宮本 ひとつは、後輪操舵によって、ヨーレートが普通の車よりもシュッと素早く立ち上がります。それを人がシート圧による触覚、前庭覚(重力、回転、加速度などに対する人間の感覚)などで、車両の姿勢変化の早さを全身で感じ、車両と一緒に一体感を持って旋回していると感じるのではないか。
もうひとつは、連続コーナーから直線に変わる区間などで、TRICERAなら姿勢を早くまっすぐに変えてくれる。姿勢変化の収まりの早さによって、スッキリ回れてると感じるんじゃないか。その2つに楽しさがありそうだと考えているところです。
ーーー直接の製品化は今のところないとのことですが、その研究成果はどのように生かされるのでしょう。
寺田:我々の手掛ける製品の中には曲がる楽しさを標榜したものはたくさんあります。ここで得られた『コーナリングの楽しさとは何か』は、バイクやRV、さらには水上オートバイなど、ヤマハのあらゆる商材にフィードバックしていくことができると思っています。

宮本 TRICERAには、自分で後輪を操舵する『マニュアルモード』と、車両側が後輪を操舵する『オートモード』を備えています。オートモードは私たちヤマハが考えるベストの仕様。マニュアルモードで人それぞれがベストな走りへとチューニングできる。人が習熟を楽しむことは、他の乗り物にも共通するんじゃないかということです。それが、ヤマハが掲げる『鍛錬の娯楽化』に繋がると思っています。
「君はどう思うの?」という問いがヤマハ発動機らしさ
インタビューの終盤、お二人との会話から見えてくる「ヤマハ発動機」という会社の気質に、強く惹かれた。大企業でありながら「ものづくり」の本質を見失わない、商品を作る以前に、製品をしっかり作り込む姿勢があると感じたからだ。最後に「ヤマハらしさ」とはなにかお聞きした。
宮本 ヤマハは『個人の意思』をものすごく大事にしてくれると感じます。量産の現場でも『君はどう考えているの?』と問われます。最低限の閾値(しきいち)をクリアするのは当たり前。その先にある『君自身のベスト』を問われ、追求させてくれて、きちんとした理屈があれば社内のスタンダード(標準)さえも変えることを許してくれます。上司の考えていることを表現するのではなく、自分がどうしたいかが問われる。それが本当に楽しく、そこがいい会社だなと思います。
寺田:「乗り物の楽しさの価値をすごく認めてくれるのがヤマハの特長だと思います。私が手がけたあるプロジェクトでの話ですが、それは元々は社内技術研究イベントに出すため、仕事終わりに有志で新しい乗り物のプロトタイプを作ったんです。それを見た部長が『面白いな』と言って、翌日には実験部長を連れてきて、さらに翌日には役員が乗って……次の日にはプロジェクト化されていた、という経験があります。この規模の会社で、そのスピード感はなかなかないのではと思います。そのようなフットワークの軽さと、面白いものへの感度の高さ。これはヤマハならではの財産だと思います」

「鍛錬が娯楽になる」とは?
インタビュー中にも出てきた「鍛錬の娯楽化」という言葉は、元々はヤマハ発動機の創業者である川上源一氏が記した『エピキュリアン料理』という、バイクのバの字も登場しない完全な料理本が存在し、その中の「料理こそ鍛錬の娯楽である」というニュアンスの記述に由来するそうだ。

「エピキュリアン」を直訳すると「快楽主義者」となるが、「美味しいものをいただくという快楽を得るには調理技術の向上や素材の追求という鍛錬が必要であり、食に伴うその鍛錬こそ楽しさである」という考えがあったのではないだろうか。
現在「鍛錬の娯楽化」は、音楽のヤマハ株式会社、そしてヤマハ発動機株式会社の両社で掲げられている共通言語だが、趣味の楽器の習熟こそ、その意味を実感しやすい。私も幼少時、ヤマハ音楽教室でエレクトーンを習っていたが、なかなか弾けなかった一小節が引っ掛からずクリアできたときの嬉しさと、その後は「何が難しかったんだろう?」と不思議に思うような爽快感を覚えている。
補助輪なしで、初めて自転車に乗れたときだってそうだ。
自動運転で誰もが簡単にミス無く移動ができるような流れが主流だが、あえてその真逆も研究している人たちがいる。それこそがヤマハであり、世界に何社あるかわからないモビリティメーカーの中で、「生き残る術(すべ)」だろう。
TRICERAが、単に「開発中の楽しい3輪の乗り物」というだけではなく、「研究材料」だと言い切る深い意味は、その「術」も世界に見せてくれた。
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