連載

【メトロポリタンとナッシュのコンパクトカー】

メイソンとフラジョール……
アメリカでサブコンパクトカー開発を夢見るふたりの男の出会い

1948年のある日のことだ。「クルマは大きければ大きいほど良い」という価値観が支配的なアメリカにあって、これまでビッグスリーが手掛けてこなかったサブコンパクトカー開発に夢を抱くふたりの男が運命的な出会いを果たした。

そのふたりの男とは経済的な小型車開発で定評のあったナッシュ=ケルビネーター社の会長兼CEOのジョージ・W・メイソンと、若干15歳でクライスラー社から仕事を受注し、フォード社のデザイナーを経て独立した若き天才カーデザイナーのウィリアム・J・フラジョールであった。

ウィリアム・J・フラジョール
ウィリアム・J・フラジョール(1915年生~1999年5月9日没)
高校在学中に若干15歳でクライスラー社からカーデザインの仕事を引き受けたことがきっかけでカーデザイナー&工業デザイナーとなる。ナッシュ・メトロポリタンの原案と試作車のカーデザイナーを手掛けたあとも、引き続きナッシュ=ケルビネーター社でデザインの仕事を引き受けた。彼の作品で製品化まで漕ぎ着けたものは少ないが、メトロポリタンのほかジャガーXK-120のシャシーに特製ボディを架装したフラジョール・フォアランナーなどの少量生産車やトレーラーハウスなどのデザインで活躍した。詳しい経歴は前回の記事を参照のこと。

先見の明を持っていたフラジョールは、アメリカ国内の人口動態が大きく変化したことに注目。ヤングファミリーが都市部から郊外へと生活の拠点を移し始めたことで、女性ユーザー向けのセカンドカーが伸びるとの予測を立てた。

1950年代のアメ車なのにこんなにコンパクト!ナッシュ・メトロポリタンはアメリカのセカンドカー市場を獲れるのか!? | Motor-Fan[モーターファン] 自動車関連記事を中心に配信するメディアプラットフォーム

ランブラーよりも小さなエコノミーカー「メトロポリタン」の開発 1950年4月に誕生した小型車ランブラーの成功が追い風となって、ナッシュ=ケルビネーター社は、1949~1951年の3年間に過去最高の売り上げを記録し、文字通 […]

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【メトロポリタンとナッシュのコンパクトカー vol.9】

そこで在来車にはない女性の体格に合わせて小型で、扱いやすく駐車しやすい小型車を企画したのであるが、利益率の高い大型車を売ることに満足していたビッグスリーは彼の提案を一顧だにせず、黙殺したのだ。だが、諦めきれない彼は、デトロイト市内で開催されていた業界団体や女性団体の集まりに顔を出し、サブコンパクトカーの必要性を訴える講演を精力的に行っていた。

そんな何度目かの講演を終えたときに、たまたま出席していたメイソンがフラジョールに声をかけたのだった。同じ理想を描く者同士、ふたりは出会ってすぐに意気投合。十年来の知己のような間からとなった。会場を後にしたふたりは、メイソンが馴染みとしているホテルのラウンジへと場所を移し、メイソンはナッシュ=ケルビネーター社が社外秘としていた構想段階にあるサブコンパクトカーの存在を明かし、意見交換を求めてきたのだ。

1950年1月4日にニューヨーク市にあるウォルドルフ・アストリア・ホテルで開催されたナッシュ=ケルビネーター社による「サーベイ」で発表されたNXI(ナッシュ・メトロポリタン・インターナショナル)。フィアット500“トッポリーノ”をベースに、ウィリアム・J・フラジョールがデザインしたボディを架装した試作サブコンパクトカーだ。運転席に座るのは同社会長兼CEOのジョージ・W・メイソン。

メイソンがフラジョールに話した内容とは、ランブラーよりもさらに安価なサブコンパクトカーを1000ドル以下で販売するという、当時の常識ではにわかには信じられない計画だった。メイソンの試算ではこの新型車が発売された暁には、ナッシュ=ケルビネーター社の年間販売台数を現在の6万台以上増しの25万台に引き上げられるとの大風呂敷を広げたのである。

メイソンのこの言葉に最初フラジョールは何かの冗談としか思えなかった。だが、メイソンと話をしているうちに彼が本気でサブコンパクトカーを作ろうとしていることがひしひしと伝わってきた。そこでフラジョールは「これは自分が夢見ていた理想的な小型車を開発できる千載一遇のチャンスかもしれない」と思い直し、「ぜひそのプロジェクトに参加させて欲しい」と頭を下げたのである。

フラジョールの申し出にニッコリと微笑みメイソンは快諾する。ふたりはこの出会いを神に感謝して祝杯を上げたあと、後日フラジョールがしたためていた小型車のスケッチと企画書をナッシュ=ケルビネーター社に提出することを約束した。

斬新なフラジョールのデザイン案をフィアット500ベースに具現化
自走可能なプロトタイプとして製造

それから時をおかずして、フラジョールの魅力的なデザインスケッチ数点と車両概要を記した企画書がナッシュ=ケルビネーター社に届けられた。彼の提案したデザイン案はどれも素晴らしいものだったが、その中でもメイソンの目を引いたのが、フロントフェンダーよりもカウルフード(ボンネット)が一段低く、車体のフロントとリヤセクションが前後対称となった、それまでに見たことがない斬新なクルマのスケッチだった。

1930年代末から車体のフラッシュサーフェイス化が徐々に進んではいたものの、この当時のカーデザインはフェンダーが独立していた頃の名残で、フロントフェンダーよりもカウルフードを一段高くするのが常識であった。それを覆したフラジョールのスタイリングは、単に革新的なだけでなく、車体が低く見えるスポーティなルックスで、ずんぐりとしたフォルムになりがちの小型車にシャープで洒落た印象を与えることに成功していた。

フラジョールの手掛けたNXIのレンダリング。ナッシュ=ケルビネーター社のサブコンパクトカーは極秘裏に開発が進められ、万が一の社外への流出を考慮し、フィアットのエンブレムが描かれたスケッチも存在した。

メイソンはこのデザインをひと目見て気に入った。全長は3.8m足らず、全幅は1.6mにも満たない小さなクルマでありながら、その存在感はビッグスリーの大型車にも負けないものがあった。しかも、このデザインには生産コスト削減のための多くの革新性が秘められており、ナッシュ=ケルビネーター社が「ユニタイド」と呼んでいたモノコックボディとの相性も良く、またボディの前後で部品の共用化を考慮したデザインが採用されていた(最終的に前後の部品の共用化は非現実的だとして、生産型のメトロポリタンではドアだけが左右対象の意匠となり、互換性が与えられた)。また、当初から標準型のクーペだけでなく、オープンエアを満喫できるコンバーチブルが当初から計画されていたことも特色のひとつであった。

中型乗用車の1941年型ナッシュ600。ナッシュ=ケルビネーター社では「ユニタイドボディ」と称するモノコックボディをこのモデルから採用。ビッグスリーの保守的なクルマ作りに対して同社は軽量化による燃費と運動性、広い車内空間をウリにしていた。

フラジョールのデザイン案に満足したメイソンは、さっそく彼と正式に契約を結び、1/4スケールの石膏模型の製作社内のデザイン部門を命じた。そして、このクルマのデザイン責任者にはフラジョールが当たることになったのだ。縮小模型でデザインの検討が行なわれ、大きな問題がないことが確認されると、次のステップとして自走可能なプロトタイプが製造されることになった。

とは言うものの、アメリカ車としては前例のないサブコンパクトカーの開発プロジェクトである。社内には試作車に流用できるシャシーやメカニズムは当然ない。そこで同社の技術陣は「トッポリーノ」こと初代フィアット500のシャシーとランニングギアを入手し、フラジョールがデザインしたボディを架装して作ることにした。

1936~1955年にかけて生産されたフィアット500“トッポリーノ”。戦前から戦後を通じて約60万台が生産され、イタリアの庶民の足として活躍したほか、アメリカにも輸出された。ナッシュNXIの試作1号車はこのクルマのシャシーとメカニズムを流用してフラジョールがデザインしたボディを架装して製作された。

製作作業において力量を発揮したのは、フラジョールの長年のパートナーであり、金属加工の天才ジョン・ケーリッグだった。彼を中心とするナッシュ=ケルビネーター社の製作スタッフは比較的順調に作業を進め、短期間のうちに試作1号車の完成に漕ぎ着けた。

なお、メイソンは新型エンジンの開発に必要な莫大なコストを削減するため、計画当初から欧州メーカーからパワートレインのOEM供給を受ける腹づもりだったらしく、プロトタイプの製作作業中にフィアット車を流用したことがことさら問題視することはなかった。

フィアット500“トッポリーノ”のカットモデル。ナッシュNXIの試作1号車は重量が増しており、自走可能なモデルとして製作されたものの、排気量500ccクラスのエンジンでは充分な動力性能を発揮できなかっただろう。

ニューヨークで発表されたNXIは来場車に好評
メイソンはサブコンパクトカーに自信を深める

1949年末、試作車1号車が完成するとメイソンは、この車両をNXI(ナッシュ・メトロポリタン・インターナショナル)と命名した。車名にはこのまったく新しいサブコンパクトカーをアメリカ国内だけでなく、小型車が主流のヨーロッパ市場にも輸出し、世界戦略としてナッシュ=ケルビネーター社の発展に寄与してほしいとの想いが込められていた。

ナッシュNXIの試作1号車はコンバーチブルとして製作され、当初より生産車にもクーペとコンバーチブルの2車種を発売する計画であった。

完成時のNXIは車体をくすんだブルーで塗装されていたが、1950年1月4日からニューヨーク市にあるウォルドルフ・アストリア・ホテルでの開催を皮切りに、全米各地で開催されるナッシュ=ケルビネーター社による「サーベイ」(事前調査のこと。この場合はマスコミと一般消費者を招いた発表会)へのお披露目に合わせて、深みのある上品な栗色に再塗装され、併せて上質なインテリアと各種装備が与えられた。

今回の展示は、大胆な決断を厭わない一方で実務においては万事慎重なメイソンが、このサイズのクルマに対するアメリカの消費者の生の声を聞き、反応を知ることが目的であった。

ニューヨーク市マンハッタン区ミッドタウンで現在も営業を続けるウォルドルフ・アストリア・ホテル。ニューヨークのみならずアメリカを代表する高級ホテルとして有名で、このホテルのホールを借り切り、マスコミ関係者や顧客を招いてナッシュ=ケルビネーター社は1951年1月に「サーベイ」を開催した。

ニューヨークで初公開されたNXIの試作1号車は、来場者からの注目度は高く、反応は概ね好意的なものだった。このクルマは保守的な中・大型車に慣れ親しんでいたアメリカ大衆には見たこともない斬新なエクステリアを呈していた。

異例なほど小さな車体サイズに、同社のアイデンティティであるエアフライトボディを採用しつつ、フロントフェンダーよりも一段低いカウルフード、前後対称のユニークなスタイリングは、知的で愛くるしく、それでいて未来を感じさせる個性があった。

NXIの乗車定員は2名とされ、スモールカーでありながらも車内空間が広々としていたことも、会場に足を運んだ人々には好印象を与えることになった。懸念されていた車体の小ささに対する忌避感は、少なくとも来場者からはほとんど発せられなかった。

この結果にメイソンは大いに満足し、競争力のある価格で製造できれば、このようなクルマにも市場があると確信した。ただし、人びとはNXIのすべてを気に入ったわけではなかった。

消費者アンケートを受けて改善を図る
サイドウインドウの改良やベンチシートとコラムシフトを採用

ナッシュ=ケルビネーター社では、サーベイでの実車展示に併せて、大手データベース・サービス・ビューロー(世論調査会社)のRLポーク社に消費者へのアンケート調査を依頼。これにより、全米の不特定多数の14万9000人に調査票を郵送(回答率は17.4%。約2万6000通の回答のうち最初に届いた1万件を集計)したほか、対面式のアンケートでNXIの写真だけを見せた1万1117人と、サーベイ会場で実際に実車を見た6104人に同様の質問を行い、さらに200人の来場者にインタビュー形式で個別調査を実施した。その結果、すべてのグループに同様の回答パターンが示されたことにより、同社は集計が妥当であるとの結論を下し、NXIに対する報告書を取りまとめている。

ナッシュNXIの試作1号車のリヤビュー。フラジョールの前後対称コンセプトに基づきフロントバンパーと同じ意匠のバンパーが装着されている。ユニークな試みではあったが、実際に試作車を製作していると部品の共用化は思ったほど進まず、たいしたコストダウンの効果もさほどなかったことから、生産型のメトロポリタンではドアだけが左右対称のデザインを採用し、部品の互換性が図られた。

報告書によると消費者はプロトタイプにいくつかの変更を求めていることが判明した。アンケート結果によると、NXIのサイドウィンドウはプラスチック製で窓の昇降にはシンプルなストラップで行う方式であったが、これをガラス製に変更し、ウインドウレギュレーターを備えることを多くの消費者が求めていることが明らかとなった。

また、同車には欧州車風のバケットシートとフロアシフトが与えられていたが、これは当時のアメリカ人の好みには合わなかったようで、ベンチシートとコラムシフトへの変更を要求されたのであった。さらにNXIはトランクリッドの切り欠きを持たず、ラゲッジルームへのアクセスは車内後部のアクセスドアを使用することにも不満の声が挙がっており、報告書では「生産型ではこれらは改善されるべき問題点」と指摘されていた。

生産型のナッシュ・メトロポリタンのインテリア。アンケート結果で不評だったバケットシート+フロアシフトはベンチシート+コラムシフトに変更され、サイドウィンドウの昇降はシンプルなストラップ式からレギュレーター式となり、素材もプラスチックからガラス製へと改められた。

のちに、これらの不満点は製品化の過程でその多くに改善が図られることになるのだが、衝突安全性の低下を懸念したメイソンによって、外部からアクセスしやすいようにトランクリッドを切ることだけは見送られることになった(のちに安全性に支障がないことが証明され、1959年に登場したメトロポリタン・シリーズ4から外部からアクセス可能なラゲッジルームが採用されている)。

消費者に判断を委ねたNXIのパワーユニット選定

NXIが初公開された時点では、生産型に具体的にどのようなエンジンを搭載するかナッシュ=ケルビネーター社の内部で結論が出されておらず、スペックは非公表とされていた。だが、同社が第二次世界大戦を挟んで数十台の欧州製小型車をテストした結果から新開発するサブコンパクトカーには1.3~1.5Lクラスの直列4気筒エンジンが最適との結論が出されていた。しかし、問題はアメリカの消費者がどのようなキャラクターのパワートレインを求めているかである。

そこでRLポーク社が実施したアンケートには心臓部に関する質問があり、ふたつの選択肢の中から来場者が好みのパワートレインを選べるようになっていた。提示されたうちのひとつが燃費性能を重視して18HPを発揮する1.3L直列4気筒エンジンに4速MTを組み合わせた「エコノミー案」で、もうひとつが多少燃費性能は落ちるものの走行性能を重視し、36HPを発揮する1.5L直列4気筒エンジンに3速MTを組み合わせた「モアパワー案」であった。

生産型のメトロポリタンに搭載されたオースチン製B型エンジン。B型には4気筒と6気筒が存在したが、メトロポリタンには前者が搭載された。1947年のオースチンA40デボンに搭載されたのを皮切りに、さまざまな車種に搭載された。メトロポリタンには当初1.2Lが搭載されたが、のちに1.5Lに換装された。RLポーク社が実施したアンケートにより、組み合わされるトランスミッションはシリーズを通じて3速MTとなる。

集計結果によると後者を押す声が圧倒的に多く、その理由として「小型車でも走行性能で我慢を強いられたくない」「ギアボックスの多段化は変速が面倒」「中・大型車に比べれば後者でも充分に経済的」という理由が挙げられていた。こうした消費者の声を受けて、ナッシュ=ケルビネーター社はNXIの生産型の開発に向けて、欧州製エンジンの中から要求に合致するものを探すことになったのである。

資材費と人件費の上昇により
アメリカ国内でのサブコンパクトカーの生産が不可能なことが判明

アンケートの結果を受けてメイソンは、すぐさま改良を施したプロトタイプの改良をフラジョールらに命じた。1951年に誕生した試作車は、新たにNKI(ナッシュ・ケルビネーター・インターナショナル)と名付けられ、コンバーチブルとクーペの計6台が製作された。

このクルマは顧客から指摘されたさまざまな不満点が改善されており、巻き上げ式のガラスサイドウィンドウ、コラムシフト+ベンチシートなどが新たに採用され、スタイリング面ではカウルフードにダミーエアスクープ付きのバルジが加わり、パンク時のタイヤ交換を考慮して後輪ホイールアーチの切り欠き、ヘッドランプ下のターンシグナルなどが新たに設けられた。

1951年に製作された試作2号車のNKI(ナッシュ・ケルビネーター・インターナショナル)。コンバーチブルとクーペの計6台が製作された。顧客アンケートの結果が充分に反映され、実用性を重視した改良が随所に施されている。スタイリングはNXIのものを引き継ぐが、新たにカウルフードにダミースクープ付きのバルジが備わった。

製造されたNKIは徹底的にテストされ、問題点が見つかるたびに改良の手が入り、販売開始に向けて着実に進化を遂げていった。その開発作業は順調そのものだった。搭載するエンジンやギヤボックスなどは依然として暫定のものが搭載されていたが、パワートレインの供給はイタリアのフィアット社と交渉を進めており(おそらく開発中のフィアット1100/103用の1.2L直列4気筒OHV、もしくは1400の用の1.4L直列4気筒OHVエンジンの提供を求めたのだろう)、正式な回答はまだ得られてはいないものの、交渉時の手応えは充分にあった。この交渉が実を結べば、早ければ1952年秋には発売できるとの見通しが立てられていた。

フィアット1100/103。

しかし、予想外の報告がメイソンのもとにもたらされる。それは生産管理部からのものだった。担当重役からの説明によると、朝鮮戦争の勃発(1950年6月)による資材の高騰と戦後の好景気による人件費の上昇により、アメリカ国内で金型を製作し、車体を生産しても目標価格を大きく超えるプライスで販売しなければならなくなることが判明したのだ。いかに経済的で使い勝手の良いサブコンパクトカーであっても、車格が上のランブラーとほとんど変わらない新車価格では誰も見向きもしないだろう。

フィアット1400。

だが、冷静沈着なメイソンはこの報告に動じなかった。「それならアメリカ国内での生産は諦め、欧州メーカーに生産委託を頼めば良いではないか。幸にして欧州通貨に対してドルは強く、合衆国に比べて彼の地の人件費は安い。欧州で車両を生産し、それを輸入すれば価格競争力を維持できるはずだ。NKIの発売を1年ほど延長し、その間に全社を挙げて生産協力してくれるメーカーを見つけよう!」そう言って部下たちを鼓舞したのだった。

難航する委託製造先……イギリスのオースチン社が協力を申し出る

この降って湧いた難問に対し、ナッシュ=ケルビネーター社はすでに交渉を進めていたフィアット社と最初に協力を申し出た。ところが、エンジン単体での供給はともかく、車両の生産委託まで受ける余力はないと断られてしまう。フィアット社の交渉と並行してドイツやフランスのメーカーとも折衝したが、ラインナップに適当なエンジンがなかったり、生産設備に余裕がないとして期待した通りの返事を得られなかった。

各メーカーとの交渉が行き詰まりを見せる中で、イギリスに送り出していた部下から吉報がもたらされる。オースチン・モーター・カンパニーがエンジン供給のみならず車両の組み立て請負も可能であるとの返答があったのだ。また、金型製作とボディパネルのプレス製造は、同じくバーミンガム市にあるフィッシャー・アンド・ラドロー社が請け負うことを約束してくれたのだ。

イギリスをはじめとした左ハンドル圏で1956年より販売を開始したオースチン・メトロポリタン(写真は1958年型)。右ハンドル化以外は北米仕様に準ずる。

ただし、オースチン社は車両組み立てを請け負う条件をひとつだけ提示してきた。それは「アメリカ市場向けの生産がひと段落した時点で右ハンドル車の製造を開始し、イギリスを含むナッシュ=ケルビネーター社が販売網を持たない国々において、NKIをオースチンブランドで販売することを認めること」というものだった。だが、このオースチンの掲げた条件は、メイソンにとってはむしろ望ましいことであった。

それというのもオースチン社が右ハンドル車を製造すれば、量産効果が高まり、一層製造コストを引き下げることができる。また、独立系の中堅メーカーの同社では、生産規模の問題からとても左側通行圏まで販売網を整備する余裕はなく、オースチン社が自社ブランドでNKIをそれらの地域で販売したとしても市場で競合する恐れはなく、なにひとつデメリットがなかったのだ。

1956年のイギリス国内の販売開始時にカタログなどで使用された当時の広報写真。右ハンドル車の製造が間に合わなかったため、北米向けの左ハンドル車の写真を裏焼きして使用している。

パワートレインの決定を受けてNKIのデザインを再考

こうしてNXIはイギリスでの製造が決まり、懸念されていたエンジン供給は必然的にオースチン社製1.2L直列4気筒OHVエンジンの搭載が決定した。そして、1953年10月の正式発表を目標として掲げたのである。

オースチンA40に使用されたB型エンジンの透視図。ナッシュ・メトロポリタンも同じエンジンを搭載するため、内部構造はこの図に準ずる。

しかし、メイソンにはまだまだ懸念があった。それはかつて自身が絶賛したフラジョールが手掛けたスタイリングにあった。1950~1960年代のビッグスリーのニューカーは、イヤーモデル製の採用による毎年のマイナーチェンジ、2年に1度のフルモデルチェンジが常態化していた。すなわち、驚くほど短期間でアメリカ車のデザイントレンドは移り変わるのだ。

もちろん、企業体力の劣るナッシュ=ケルビネーター社ではビッグスリーに追随することなど不可能な話で、廉価なサブコンパクトカーともなれば、頻繁なモデルチェンジをすることなどますます望めず、モデルライフは必然的に長くなる。すなわち、時間が経過しても陳腐化しない普遍的な美しさと魅力を持ったデザインにしなければならない。

だが、この時期のデザイントレンドはボリューム感のあるファストバックからスリークなフラッシュサーフェイス化が進んだスリークなものに移り変わっており、その影響はフラジョールが手掛けたスタイリングにも及んでいた。すなわち、デビュー前から陳腐化の兆候が現れ始めていたのだ。

1953年10月に販売を開始した生産型のナッシュ・メトロポリタン。フラジョールのオリジナルデザインに、ピニンファリーナが手を入れたことで、ナッシュ車のファミリーデザインに当時の最新トレンドを取り入れたエクステリアに生まれ変わった。生産型の詳細については次回改めて紹介する。

いち早くそのことに気づいたメイソンはNKIの量産化にあたり、デザインの修正が必要になると考えたのである。そこで彼は急遽バッティスタ・ファリーナ(ピニンファリーナ)を頼ることにした。このイタリアデザイン会の巨匠は、アメリカ初の本格的量産スポーツカーとなったナッシュ・ヒーレーのデザインを担当し、1952年型アンバサダーから始まった「ゴールデンエアフライト」コンセプトを生み出したことでメイソン とは旧知の中にあったのだ。

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【メトロポリタンとナッシュのコンパクトカー vol. 4】

ピニンファリーナならば、欧州のエッセンスをアメリカ初のサブコンパクトカーに巧みに取り入れ、長期にわたって人々から愛されるデザインに修正し、息の長いモデルとしてNKIをリファインしてくれるに違いない。そのように考えたメイソンはさっそく彼に連絡を取ることにした。

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