いきなりの無線トラブルと大雨。困難な状況の中、サファリ・ラリーがスタート
2026年FIA世界ラリー選手権(WRC)の第3戦「サファリ・ラリー・ケニア」で、TOYOTA GAZOO Racing World Rally Team(TGR-WRT)の勝田貴元選手がWRC初優勝を果たした。日本人ドライバーによるWRC総合優勝は、1992年の篠塚建次郎氏以来34年ぶりの快挙となる。また、日本人ドライバーがサファリ・ラリーを制したのも、1995年の藤本吉郎氏以来2人目だ。
その快挙から一夜が明けた16日(月)、ラリーが終わって空港に直行し、ヨーロッパに帰ってきたばかりの勝田選手に、メディア向けの合同インタビュー取材が行われた。まずは、勝田選手の歓びの声に耳を傾けてみよう。

「篠塚さんの優勝から34年が経って、自分が2人目の日本人優勝者になれたことを、本当に光栄ですし、誇りに思っています」
「僕自身は『歴史』や『何回目』といった記録をあまり気にするタイプではないのですが、やはり篠塚さんが30年以上前にひとつの歴史を作られ、その2人目になれたということが一番嬉しい部分ですね」
今回のラリーは、「現代サファリ史上最も過酷」と評されるほど、激しい降雨とぬかるんだ泥、鋭利な岩場といった極限のコンディションとなった。勝田選手の4日間も、決して順風満帆だったわけではない。ラリー初日(デイ1)のSS1では、いきなりトラブルに見舞われることとなる。
「SS1はスコールのような大雨に見舞われ、非常に荒れた難しいコンディションでした。さらに、スタートラインに立った瞬間にコドライバー(アーロン・ジョンストン)との無線がまったく機能しなくなってしまったんです」

「そのステージは今回のラリーの中で最もツイスティで、狭くてコーナーが多く、岩もたくさん露出しているようなコースでした。自分の中で『どこまでできるかな』という不安はありましたが、アーロンがペースノートの情報をハンドジェスチャーで指示してくれたので、それを頼りに20km以上のステージを走り切りました」
「自分としては『3分くらい遅れてぶっちぎりの最下位かな』と思っていたのですが、コンディションにもうまく対応でき、トップとは1分差がありましたが、ロスは最小限に抑えられました」
勝田選手を襲うダブルパンクチャーの試練。「もう1本のタイヤもパンクできない」
初日を総合4位で走り終えた勝田選手だが、翌日(デイ2)も試練が立ちはだかる。午前中は安定した走りで好タイムを記録していたのだが、午後のSS7で2本のタイヤがパンク(ダブルパンクチャー)してしまったのだ。
「あと1本でもパンクしたらリタイアという状況で、パンクだけでなくブレーキラインもダメージを受けてしまい、そこを修復しながらの走行になりました。いつもならロスを最小限に抑えるためにリスクを負ってプッシュするところですが、今回は本当に長い1週間になると予想していました。そのため、あえて無理はせず、とにかくパンクだけは避けること、そして最小限のリスクでタイムロスを抑えることに徹しました」

デイ2を走り終えた勝田選手は、総合7位まで順位を落としてしまう。しかし、翌日(デイ3)には予期せぬドラマが待っていた。上位陣が次々とサファリ・ラリーの魔の手に襲われたのだ。首位を争っていたチームメイトのオリバー・ソルベルグ、セバスチャン・オジエ、エルフィン・エバンスは、泥によるオルタネーター故障やサスペンション破損で相次いでデイリタイア。勝田選手も再びダブルパンクチャーに見舞われたものの、大きなトラブルにはつながらず、着実な走りで徐々に順位を回復していく。午前のループが終わるころにはついに総合首位に浮上し、2位に1分25秒5の大差をつけてこの日を終えた。

迎えた最終日(デイ4)。初優勝を視野に入れながら残りを戦う際の心境は、どうだったのだろうか。
「このラリーで一番難しくて怖いのは、やはりパンクのリスクです。何かに当たったわけではないのに、思いがけないところでパンクしてしまうことが過去に何度もありました。自分自身でコントロールできない部分があるのではないかという点で、すごく怖かったですね。
例えば、フィンランドやスウェーデンのようなラリーであれば、パンクのリスクも含めて、ある程度自分でペースをコントロールできます。しかし、このケニアでは、どれだけ自分のコントロール下に置いていても、すべての障害物を避けていても、何かしらの原因でパンクが起きてしまう。それがサファリ・ラリーの怖さであり、難しさでもあります。
ですから、自分の中に不安がなかったと言えば嘘になります。ただ、タイムの貯金があったので、それを切り崩しながらペースをコントロールしていけばいいと考えていました。結果として、そこはうまく対応できたと思っています」
ついに訪れた歓喜の瞬間。表彰台では「自分より高いところに立っている人がいない」ことを実感
最終的に27.4秒差で、待望の初優勝を勝ち取った勝田選手。フィニッシュした瞬間は「やっと終わった」という安堵が広がるとともに、様々な想いが込み上げてきたという。
「本当にたくさんの人にサポートしてもらってここまで来ることができたので、その一人ひとりに心から感謝しています」
「無意識のうちに背負っていたものが大きかったのか、優勝した今は体も気持ちも少し軽くなったように感じています。以前、オリンピックの金メダリストの方が『1位と2位では表彰台の景色が違う』といったことをお話しされていて、正直『そんなことあるのかな』と思っていました。実際の段差は20cmもないくらいですからね。でも、実際に立ってみて、物理的な高さというよりも『自分より高いところに立っている人がいない』という事実にふと気がついたんです。表彰式で君が代を聞いている時にそれを実感して、自分の中でもグッときました。あの言葉には、そういう意味も含まれていたんだなと、今になって強く実感しています」

これまで勝田選手を支えてきた大きな存在であるモリゾウ(豊田章男会長)にも、勝利の報告を行ったという。そして、勝田選手が冷静にラリーを走り切ることができた要因のひとつに、モリゾウとのやりとりがあった。
「モリゾウさんとはメッセージでやり取りをさせていただきました。ラリーが終わったのが日本ではかなり夜遅い時間だったので、電話ではなく、まずはすぐにビデオメッセージを送りました。モリゾウさんからは『本当におめでとう、ありがとう』とおっしゃっていただいたのですが、僕の方こそ感謝してもしきれないくらいです」
「実は、3月頭に開催された全日本ラリーの開幕戦『ラリー三河湾』の際に一時帰国し、モリゾウさんとたくさんお話しする機会がありました。その時に『今年はまず全戦完走を目指して、しっかり走り切ってほしい。もちろん結果も出してほしいけれど、やはり世界の道を最後までしっかり走り切ることを考えてほしい』と言われ、それを約束していたんです」
「今回も走りながら、その言葉がずっと頭の中に残っていました。パンクなどのトラブルに見舞われ、あと少しでも何かあればリタイアになってしまうという状況でも、『絶対にリタイアはしてはいけない。モリゾウさんとの約束もある』と。その言葉が大きな支えになり、『1番』という結果に導いてくれたと思っていたので、メッセージでもそのことを伝えました。モリゾウさんも、その報告をすごく喜んでくださいました」

この合同インタビューの翌日(3月17日)に誕生日を迎えた勝田選手。その日までは勝利の余韻に浸りたいというが、勝田選手が目指すゴールはもっと先にある。
「この1勝を最初で最後にするつもりはありません。これからたくさん勝っていくための、最初の一歩だと思っています。次のチャンスがいつ来るかは、その時になってみないとわからない部分もあります。ただ、そのチャンスを少しでも多く得るために、まずは次のクロアチアに向けてしっかりと準備をしていきます。5月末には新しい日程で開催されるラリージャパンが控えています。そこまでに、良い流れを作っていきたいですね」
「ラリージャパンでは、日本のファンの皆さんの前で優勝する姿をお見せしたいです。昨年は優勝争いをしながら手応えを感じていた分、自分自身も本当に悔しい思いをしましたし(注:コースアウトを喫して総合17位)、ファンの方々にも悔しい思いをさせてしまったと思います。今年こそは、そのリベンジをしっかりと果たしたいです。今のところ変に気負うようなプレッシャーは感じていないので、良いモチベーションに変えて戦っていきたいと思っています」
ドライバー選手権のランキングで3位につける勝田選手(首位のエバンス選手とは11ポイント差)。勝田選手の2勝目、そして次なる目標であるチャンピオンシップ獲得に向けて、ファンの期待は高まるばかりだ。
