「陸」「海」「空」人と物の移動を支えてきたヤマハ
ヤマハ発動機といえば、バイクや電動アシスト自転車、トヨタ自動車への4輪エンジン供給、ゴルフカートやそれを応用した「グリーンスローモビリティ」など、陸上の移動を支える製品で知られる。さらに、船外機や水上オートバイといった「水上」、農薬散布用無人ヘリなどの「空」、さらには製造現場の産業用ロボットまで、人やモノの移動を支えるハードウェアで世界を席巻してきた企業だ。それらは世界中の様々な地域やシーンで、「移動」を速く、楽に、安全に変化させていった。

ところが今回、そのヤマハが「移動体験」を劇的に変化させるソフトウェアサービスを発表した。それが「Mobilit.E.S(モビリテス)」である。開発を率いたのは、新ビジネス開発部の込宮正宏さん。2020年にキャリア採用で大手ゲーム&総合エンターテイメント会社からやってきたという。
最初に担当したのは、観光地でのグリーンスローモビリティ(時速20km未満で公道を走る電動の小型モビリティ)事業であった。全国の観光地やその他の現場で感じ取った課題に向き合った経験、そしてその課題解決の糸口から生まれたのがモビリテスだ。


込宮さんがモビリテス構想に至った背景は、実にシンプルだ。グリーンスローモビリティが活躍している全国各地の観光地に出向いた際、現場の関係者から繰り返し耳にした言葉がある。「ガイドが足りない」「インバウンド対応ができない」「周遊するスタッフが少ない」といった主に人材に関するリソース不足であった。「せっかく移動手段があっても十分にその観光地を楽しんでもらえない」この解決のため、移動にエンターテイメントを結びつけられないか、というので誕生したのがモビリティ・エンターテイメント・サービス=モビリテスである。

「乗り物に乗ることを、もっと体験にできないか」という問いが、モビリテスのコンセプトの核心となった。
位置情報にRPGのようなエンタメ要素を載せて
技術的な核心はGPS連動による位置情報の活用と、外部デバイスとのリアルタイム連携にある。


ユーザーはスマートフォン(またはショップが貸し出す専用端末)でQRコードを読み込み、あとは移動するだけでいい。GPSが現在地を検出し、近接スポットに差し掛かると音声ガイドが自動で流れる。それだけにとどまらない。建物のプロジェクションマッピングが起動したり、海辺の照明演出が切り替わったり、ARカメラでの撮影体験が始まったりと、様々な外部デバイスが自動的に起動するだけでなく、アプリ側からも制御できる。これは他の位置情報ガイドサービスとの差別化のひとつだ。


「対象物に近付いたら案内が流れるなんて、どこにでもあるサービスじゃないか」と思うのはまだ早い。モビリテスでは、例えば、天気が悪いときや、季節による景色の違いという環境要因や、観光客が初めて来た人かリピーターなのかといったユーザー側の経験値、そのスポットに至るまでのルートや順番、途中に立ち寄った場所などによりストーリーを簡単に出し分けることが可能になっているという。これを体験の「分岐設計」と呼ぶが、込宮さんが長年ゲーム開発現場を主戦場としてきたからこそのRPG(ロールプレイングゲーム)要素を取り入れたのは、自然な発想だったことだろう。
ノーコードで誰でも作れて、クリエイターへも開放するプラットフォーム
「RPGのような要素も盛り込んだ」とまで聞いても、これまでの位置情報案内サービスの延長だと感じる人も多いだろう。筆者もその1人だった。しかし、もうひとつの特徴を聞いて、これは凄い、モビリテスは大化けする可能性を秘めていると感じた。それは、ここまで説明した内容のガイドを誰もがブログを書くように、あるいは動画配信サービスで配信するような感覚で、位置情報と連動したガイドアプリを作成したり、その中のトリガーによって設えた機器を動作させたりできる。また、そのアプリを簡単に生成できるだけでなく、アプリのダウンロードをためらうユーザーも考慮し、ブラウザで利用できるようにする配慮もなされている。
要するにモビリテスは、WordPressやYouTubeといったプラットフォームであり、プログラムを書けなくてもHTMLを理解していなくても、ノーコードでブラウザ上のツールで位置情報と連動したガイドや、特定のスポットで音楽や映像が流れ出すといった設定を、誰もが制作することができるツールなのだ。
やりようによっては素人にだって「ポケモンGO」みたいな位置情報エンタメソフトを構築できる開発ツール、と例えてもいいだろう。



まさに、移動と体験を絡み合わせることでエンターテイメントに発展させるためのソフトを開発するためのツール=プラットフォームを開発したわけだ。
このプラットフォームができたことで、観光地を有する自治体や観光協会などは、数少ない人材をガイドさんとしてリソースに回さなくてよくなることもあるし、外国語対応でのガイド作成も容易になる。それに、例えば営業時間のちょっとした変更なども、アプリ開発者に高い修正費用を支払わずとも自分たちで変更できるかもしれない。
観光案内を業務とする人たちへは、新たなビジネスチャンスとして映像やゲームといった演出に注力して観光地へ売り込みもできるだろう。
さらに期待できるのは、個人ユーザーの使用によって、自分が行ったスポットを思い出として記録していくだけでなく、その人がインフルエンサーとして観光ガイドを作るようになれば、数万人のフォロワーを持つモビリテスユーザーに観光地からガイド制作の依頼が舞い込んでくる、といった可能性だって秘めている。



昨年は美術系大学(込宮さんも美大出身とのこと)と連携し、学生がキャンパスガイドを自ら制作するプロジェクトも実施。法人・クリエイターを問わず、体験コンテンツを生み出せるプラットフォームとしての側面も持つ。
ユーザー側の使い勝手も考慮されている。モビリテスはウェブアプリ形式を採用しており、ネイティブアプリのインストールなしにブラウザ上で動作する。QRコードを読んでそのまま体験でき、終わったらタブを閉じるだけ。「アプリを増やしたくない」というユーザーの心理的ハードルを、込宮さん自身が開発者として意識した結果だ。
SNSにアップしたくなることを証明した沖縄の実証実験
これまで、沖縄の広大な最新リゾート施設「カヌチャリゾート」で実施した2回に渡る実証実験では、直近では昨年11月から今年2月にかけて約3カ月半、ホテル滞在客を対象に実施。10台の専用端末を貸し出し、稼働率は7~8割に達した。アンケートでは「また体験したい」「周囲に話したい」という高評価を得た。

注目したのはSNS投稿率だった。「10%いけば御の字」と見込んでいたところ、実際には約26%のユーザーが自発的にSNSへ投稿した。さらに、プロジェクションマッピングの演出が「自分だけでなく周囲の人にも見えてしまう」設計が、当初は開発チーム内で議論を呼んだ。ところが実際のユーザーからは「自分がスタートしたプロジェクションマッピングに人が集まって、優越感に浸れた」という声が上がった。この気づきから、以降のコンテンツ設計方針を「外に見せることはポジティブな体験になる」という方向へと繋がっていった。
今後は、北海道の「奥尻島」での導入が予定されている他、ゴルフ場などのレジャー施設への導入も検討している。また、広く一般に公開していきたいとしている。
さらに可能性を大きく秘めていると感じさせるのは、込宮さんが長年ゲームやエンタメ業界で培ってきた経験から、アプリだけでなくブラウザでも動かせるし、電波状況があまり良くなくてもコンテンツをサクサク動かすような見えない工夫もふんだんに投入されているとのことだ。そうしたユーザーの発想、最先端の端末、現在のインフラ状況を十分に理解した上でそれを解決できる開発陣が、社内だけでなく込宮さんの周囲でサポートしている体制も見え隠れしてくるからだ。
ヤマハグループの架け橋にもなる可能性も
モビリテスの強みにはもうひとつある。グループ企業のヤマハ株式会社が長年培ってきた、演出機器を制御するための音楽標準フォーマットとアプリが連携し、さまざまな機器を一括して動かせる点にもある。音楽というエンターテインメントに始まり、バイクという移動する喜びに発展してきたヤマハとヤマハ発動機ではあるが、実は両社の表から見える接点は少なく、つい昨年、ヤマハ発動機製水上オートバイに搭載するオーディオユニットをヤマハが手掛けた、というのがニュースになるほどのレアケースである。それぞれの分野で頂点を目指す創業以来の体質もあり、気軽にコラボ企画を持ち上げることも難しかった側面もあるように感じる。まさに今回のモビリテス、外から来た込宮さんだからできた、両社の架け橋となる可能性も感じる。
ヤマハ発動機の企業理念は「感動創造企業」。これからも、バイクを運転して気持ちよく走れる感動に磨きをかけていくことだろうが、それとはまったく違う「移動を感動に変えるツール」をヤマハが発明した。モビリテスの誕生は、これまでとは違った新たなベクトルに向かって企業理念追求を進めていくその方向が、ひとつ定まった瞬間と言えるだろう。

![by Motor-Fan BIKES [モーターファンバイクス]](https://motor-fan.jp/wp-content/uploads/2025/04/mf-bikes-logo.png)