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今日は何の日?■レースで本領を発揮したFF最強スポーツモデルのチェリークーペX-1R
1973(昭和48)年3月9日、日産自動車は「チェリークーペ」に走りを追求した「チェリークーペX-1R」を設定した。チェリーは、サニーの下に位置付けられるエントリーモデルとして1970年に誕生し、翌年にクーペを投入。チェリークーペX-1Rは、クーペの走りを追求した最強スポーツモデルとしてデビューしたのだ。

個性的なスタイリングで登場した日産初のFF車チェリー
日産初のFF車チェリーは、サニーの大型化にともなって日産のエントリーモデルの役目を担って1970年に誕生した。

チェリーはトランクを持ったセミファストバックスタイルで、アイラインウィンドウと呼ばれた個性的なウエストラインからCピラーへのラインが特徴。エンジンは、サニーの最高出力58psの1.0L直4 OHVと80psの1.2L直OHVツインキャブを横置きに変更して流用、トランスミッションは3速/4速MTが用意された。
注目された日産初のFFレイアウトは、“イシゴニス式”が採用された。これは、トランスミッションとデフを一体化したトランスアクスルをエンジンの下に置く2階建てのレイアウトで、背が高くなり、コスト高になるため、現在はほとんど採用されていない希少な方式である。
大型ハッチゲートを備えたクーペが登場

翌1971年には、3ドアクーペ「チェリークーペ」がラインナップに加わった。全高は65mm下げ、大きな開閉式リアゲートを持つプレーンバックと呼ばれるセダンよりもさらに個性的なスタイリングを採用。サイドウインドウのアイラインを継承し、リアフェンダーのマッハラインなどスポーティかつ独創的なデザインのクーペとなった。

日産初のFF車として華々しくデビューしたチェリーだったが、販売成績は期待したほど伸びなかった。個性的すぎるスタイリングやクセの強いFFの走りなどが、エントリーユーザーには受け入れられなかったのだ。ただし、超軽量ボディに、4輪独立懸架を採用したチェリーの走りは、扱い難い一方で他を圧倒する魅力があった。特にチェリーX-1は、車重655~670kgと軽量で、クセのある走りを乗りこなす楽しさがあるとマニアからは熱い支持を受けた。
ボディ形状や重量増しに対応して、4輪独立懸架の専用セッテイングのサスペンションを採用。特に最上級グレード1200X-1・Lは、レザートップや大型パット付木製ステアリングホイール、木製シフトレバーノブなどが標準装備され、エンジンは最高出力80psの1.2L直4 OHVツインキャブ仕様が搭載されて注目を集めた。

この高性能グレードX1を中心にチェリーは、走り好きのマニアから熱狂的に支持され、日産のワークスマシンとして数々のレースで活躍した。後に“日本一速い男”の称号を得ることになる星野一義選手がまだ駆け出しの頃、他のドライバーがFF特有の挙動に苦しむなか見事にチェリーを乗りこなし、“チェリーの星野”として名を上げたのは有名な話である。

真打はレースのために誕生したクーペX-1R


1972年3月のこの日、チェリークーペの人気を加速する“地を蹴る純血マシーン”のキャッチコピーとともにクーペX-1Rが登場した。クーペX-1をベースにしたボディに、FRP製の前後オーバーフェンダーを装着、全幅を拡大した上で13インチ・ハイスピード・ラジアルタイヤを履き、4輪独立懸架のサスペンションは強化され、フロントにはスタビライザーが装備された。

パワートレインはX-1と基本的には同じで、80psの1.2L直4 OHVツインキャブ仕様と4速MTの組み合わせ。フロントブレーキには大径ディスク、シートはハイバックのスポーツタイプ、ステアリングは革巻き風の2本スポークを採用し、インテリアは極力簡素化された。

車両価格は、63.8万円に設定。当時の大卒初任給は、5.6万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約262万円に相当する。




クーペX-1Rの登場と、星野選手らによるモータースポーツの大活躍で若者からの人気に拍車がかかり、速いチェリーとしてその名が日本中に広まったのだ。

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チェリーはファミリカーとしての人気は今ひとつだったが、一方で独創的なスタイリングやクセのあるFFながら楽しくて速いスポーティなモデルとして高い評価を得た。エントリーモデルとしてデビューしたのに、こんなはずじゃなかったかもしれない。
日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。