連載
今日は何の日?■ハードトップの追加で人気のコロナマークIIを追走
1968(昭和43)年3月11日、日産自動車はハイオーナーカーの先駆け、初代「ローレル」を発表(発売は4月6日)。「ブルーバード」と「セドリック」の中間に位置し、前年1967年にデビューして大ヒットした3代目510型ブルーバードをスケールアップしたような先進技術満載のモデルである。


ハイオーナーカーを謳った初代ローレル(C30型)

1966年、大ヒットした日産「サニー」とトヨタ「カローラ」が登場して、日本のモータリゼーションに火が付き、マイカーブームの到来とともに上級志向のクルマが求められるようになった。そのような中、日産は「ブルーバード」のワンランク上で「セドリック」の下に位置するアッパーミドルセダンのローレルを、“ハイオーナーカー”というキャッチコピーを掲げて1968年3月のこの日に発表、4月から発売した。

ブルーバードで採用された“スーパーソニックライン”を踏襲した直線基調のスタイリングに、サスペンションはブルーバードと同じフロントがマクファーソンストラット、リアがセミトレーリングアームの4輪独立懸架、さらに国産車初のラック&ピニオンのステアリング機構を採用するなど、先進技術満載だった。

パワートレインは、最高出力100ps/最大トルク15kgmを発揮する1.8L直4 SOHCのエンジンと、3速/4速MTおよび3速ATの組み合わせ。ちなみに排気量1.8Lのエンジンは国産車初である。

車両価格は、67.5万円~80.0万円。当時の大卒初任給は3.1万円程度(現在は約23万円)だったので、単純計算では現在の価値で約501万円~594万円に相当する。
バリエーションの豊富さでローレルに差をつけたコロナマークII
先進的な技術を備えていた初代ローレルだったが、半年後に登場しセダンとハードトップを用意したトヨタ初代「コロナマークII」に圧倒され、販売は苦戦した。
コロナマークIIはコロナの上級グレードに位置する、まさにローレルが謳ったハイオーナーカーだった。コロナのボディを大型化して躍動感のあるスタイリングでメッキパーツを多用し高級感を演出。さらにインテリアの装備も充実していた。

ハードトップを国産車で初めて採用したのは、1965年にデビューした3代目コロナだが、コロナマークIIもこれを継承した。エンジンは、100ps/15kgmの1.9L直4 SOHCキャブ仕様、110ps/15.5kgmのツインキャブ仕様、および85ps/12.5kgmの1.6L直4 SOHCキャブ仕様、100ps/13.6kgmのツインキャブ仕様の4種エンジンが設定された。

サスペンションは、フロントがウィッシュボーン、リアが半楕円リーフ式、ステアリングはリサキュレーティングボール式と、ローレルに較べるとオーソドックスな仕様だった。しかし、コロナマークIIは車種バリエーションの豊富さや装備の充実ぶりで勝り、さらにトヨタの強力な販売力でローレルを圧倒したのだ。

さらに、1969年には、140ps/17kgmを発揮する高性能1.9L直4 DOHCを搭載した「コロナマークIIハードトップ1900GSS」が登場すると、その差は決定的となった。
対抗するローレルもハードトップを投入

ハードトップの人気を目の当たりにした日産は、1970年に2ドアハードトップモデルを設定。日産初のピラーレスハードトップを採用することで、コロナマークIIに対抗した。

トップグレード「ローレル2000GX」のエンジンは、125ps/17.5kgmの2.0L直4 SOHCツインキャブ仕様を搭載して走りにも磨きをかけた。インテリアは、フライトコクピットタイプのインパネにウッドステアリング、オプションでパワーウインドウを装備。車両価格は、標準グレードが82.5万円、2000GXが87.5万円に設定された。


その後ローレルは、1972年に2代目に移行。2代目は、アメ車風の彫りの深いスタイリングとなり、歴代ローレルの中で最高の販売台数を記録した。それでもコロナマークIIとの差は縮まることなく、コロナマークIIは順調に人気を加速させて1980年代に入ると、スポーティな高級セダン“ハイソカーブーム”の代表的なモデルとなり、歴史のページを飾る大ヒットモデルとなった。

もはやマークIIは、ローレルのライバルではなくなったのだ。

・・・・・・・・
ハイソカーブームの立役者に成長したマークIIに対して、ローレルは好き嫌いがハッキリ分かれた、ある意味大衆に媚びない個性派モデルとして異彩を放った。浮かれたハイソカーなんか興味ないといった、個性的なちょっと渋めのユーザーから人気を獲得していたように思う。
今日が何かの記念日。今日がなにかの記念日になるかもしれない。